ぼくの家族は冷え切っていた。
お母さんはほとんど部屋に籠もり、お父さんは何も言わない。だからなのか、ぼく自身も冷めていた。きっとぼくは、何にも興味を示すことができずに、淡々とした人生を送るのだろう。いやだけど、仕方ない。これがぼくなのだから。
そんなぼくを変えてくれた言葉があった。
「
公園のブランコで、隣に座る
他の子たちが遊具や砂場で遊ぶ声。キイキイ、とブランコが擦れる音。それらが聞こえたけれど、ぼくは静香ちゃんの声に耳を傾けていた。はっとなり、ぼくは目を逸らして話した。
「そうかな」
「うん。別人みたいに、楽しそう」
「それは……」
別人か。ちょっとひどい。ただまあ、確かに好きな曲を歌えるというのは、楽しい。けれどそれは、逃避、というものに近いと思う。そんな気持ちを正直に話した。すると静香ちゃんは小首をかしげた。
「それって、いけないことなの?」
「え?」
「楽しいという気持ちに、嘘はないんでしょう? だったら、それで良いんじゃないかな」
「あ……」
不思議とすっと腑に落ちた。静香ちゃんに肯定されて、ぼくは救われた気がした。これでいいんだと、そう思えた。こんな単純なことだったんだ。自分と向き合うのは。そして、人を好きになるということは。
それから父の転勤で、ぼくは地元を離れた。両親同士の関係は冷え切ったままだ。母は相変わらず何もしない。けれど、ぼくには何も無かったわけじゃない。ぼくには歌がある。
やがて、ぼくは―――俺は、作詞作曲をするようになった。完全に独学だけど、夢中になれた。幸せにも近い感情を持っていた。母とは違う意味で部屋に籠もり、作曲する。飯の時間でも、風呂の時間でも、学校でさえ、歌を、音楽を忘れることはなかった。春も夏も秋も冬も、作曲のことばかり考えていた。
中学三年のある日、自作の曲をネットで投稿していると、注目されるようになり、プロからも人目置かれることとなった。認められた。肯定された気がした。興奮するほど嬉しい。
決めた。俺はここを出て、大勢の人の心に残る曲を作る。そして静香ちゃんに成長した姿を見せたい。また会えるとは思えない。けれど、せめて恥じない存在でいたい。そう誓った。
「となると、テレビに出られるくらい有名にならないと、かなあ」
自室で勉強机に向かいながら、つぶやく。勉強机にはノートが数冊散乱してある。どれも音楽に関係する物だ。一冊のノートは開いてあり、走り書きした詩の跡が視界に入る。思えば、俺の詩が刺さった人がたまたまプロだった。そんな気がしてくる。こんなんじゃあ、きっと足りない。
「はあ……」
まだまだ夢は遠そうだ。天を仰いでいると、扉をノックする音が聞こえた。親父だろう。俺は渋々ドアノブを捻る。
「なに?」
「ああ」
なんだか話しにくそうだ。言葉に詰まっているようにも見える。しかし、すぐに親父は覚悟を決めたような表情を見せ、言った。
「父さんたち、離婚するから。そのことについて、話がある」
ああ。来てしまった、か。いや、むしろよく保った方だろう。父に促されて、俺はリビングに向かった。母の姿はない。そこで聞いた話では、どうやら俺は親父に引き取られて、地元に戻るらしい。数年前に親父は転職していたから、転勤族ではなくなっていた。そういう面では融通も利く。疲弊したから地元に帰って穏やかな生活をしたい。そういうことだろう。
当然、俺には拒否権も無ければ、拒否する理由もない。言うことに従った。高校がどこだろうと関係ない。大学を出られる程度には勉学に励み、俺は自由になってみせる。そこからは音楽で食っていけるように色んな手法でアプローチしてやる。
そして春。高校生になり、入学式で俺は見つけた。彼女を。美凪静香を。
校門で見かけた時、見間違いかと思った。が、同じクラスで名前もわかり、間違いないと確信に変わった。再会に心が躍る。
一緒の高校なのか。つい嬉しくて、入学式の全てが終わってから、下駄箱で戸惑いながらも声をかけた。
びっくりするだろうか。喜んでくれるだろうか。成長した俺を見て、どう思うだろう。
「すみません。美凪静香さん、ですよね?」
彼女は少し驚いた様子で、頷いた。緊張していた俺は、自分の紹介など忘れて、間髪いれず感謝の言葉を伝えた。
君のおかげで変われた。あのときの肯定の言葉が、俺を救ったんだ。と、俺は話す。叶うなら、俺の歌を聴いて欲しい。
「ごめんなさい」
「え?」
どうして謝るのだろう。彼女は困った様子で微笑む。はっとなり、俺は慌てて自己紹介した。
「あ。俺だよ。瀧上猛。小学生の頃、同じクラスだった」
「ごめんなさい。わたし……」
そこで俺は知らされた。彼女が、美凪静香が【発症】していたことを。