【山梨県織田市/信長教寺院】
寺院と言うにはこぢんまりとした寺。
人気スポットでなければ、素通りしてしまいそうな、何の特徴も無い寺。
だが、普通の寺院とは決定的に違う特徴はある。
普通の寺院ならご本尊には何らかの信仰する仏像が飾ってあるが、信長教のご本尊は当然信長像だ。
この寺の住職にして元信長真理教教祖の高橋海鷂魚逸の娘、改め、証人保護プログラムによって、赤の他人となった高
北南崎達もそうだが、知っている人からすれば簡単に連想できる、元の名前から劇的な変化が無い。
全ては罪悪感だ。
証人保護適用により、名前の変更は強制だったので変更には応じたが、かと言って、全く余韻も残らない名前にはしなかった。
全ては責任感だ。
愚かな他人となった父の贖罪を引き継いだ者の、せめてもの償いなのだ。
だから悩み事には誠心誠意答えるし、感情を読み取る力もフル活用して、悩みの急所をズバズバと指摘する。
それが良いのか悪いのか。
テレビ、メディア等の取材は一切断ってきたが、噂が噂を呼び、悩み事、特に人生の岐路に迷った人の、本当にやりたい事を導く事が増えた。
お陰で、寺なのに教会にある懺悔室の様な、相談所と化している。
(まぁ、これも使命として受け入れるべきなのでしょう)
賂媚子も別に迷える子羊を導くつもりでは無かったが、これも贖罪として受け入れている。
幸い、父の(偽)善なる面も散々見てきたから、やる事は同じだ。
信長の功績や、自身の経験を元に、あるいは古今東西の戦国武将の名言をアドバイスに変え送るだけだ。
それプラス、能力による的確なアドバイスが素晴らしく、噂が爆発するのも当然であった。
そんなある日の事。
一人のやつれた男性が寺へ訪れてきた。
「こ、こんにちは。今日はよろしくお願いします」
「はい。よろしくお願いします。……まずは冷えた麦茶でも飲みましょうか。暑いですしね」
「あ、ありがとうございます」
加藤は差し出されたお茶を一気に飲み干すと、勧められたお代わりも一気に飲み干した。
そんな光景を見ながら賂媚子は記帳された名前を読んだ。
「えぇと、加藤
「はい」
「色んな問題を抱えている御様子ですね」
「そ、そんな見ただけで分かるんですか?」
「え、えぇ、まぁ。今日貴方とすれ違った方は、みんな道を譲ったのでは? (感情を探るまでもなく、顔に出でいるのよねぇ……。ただ事ではない深刻さがガンガン伝わるわ)」
「そ、そう言えば! 凄い! 噂は本当なのですね!?」
「噂……。私の『特殊能力』と言われる噂ですか?」
「はい!」
「人の顔色を伺う人生でしたので、そう言った経験が豊富なだけですよ。その経験が人様の役に立つなら、私の人生も無駄ではないと喜んでおります」
何億人に一人の才能だ。
幸運でもあり不運でもあった人生だった。
ただ、今日の相談者は能力を発揮するまでも無い程に、悩みと迷走を表情に出していた。
「どちらからお越しですか?」
「滋賀県です」
「滋賀県! 遠い所からようこそおいで下さいました。今回はどういったお悩みで?」
感情を読める賂媚子も、言葉による説明が無ければ真偽の判定ができない。
「人を……殺しました……」
「えっ!? 人を!? (嘘じゃない! 本当に殺している!) 滋賀県……? まさか『仇討ち法』の適用者第一号の方ですか!?」
「そうです……」
被害者側は名前を公表されていない。
ただ、近所の人には事件は隠せないので、バレてしまうが、原則、仇討ち法適用の可能性がある被害者は、最初から名前は非公表での裁判となる。
だが、人を殺して自由の身、滋賀県出身、そしてガンガンと伝わるグチャグチャの感情。
更に賂媚子は北南崎の関係者でもある。
殺人の事実はともかく、仇討ち法関係者であるのは能力を使うまでもなく、その勝者と辿り着くのは容易な事であった。
この男は加藤刑素毛。
山下頌痔に残虐非道に殺された息子の敵討ちを果たした、あの加藤刑素毛だ。
「成程。人を殺したのは確かに間違いないですが、仇討ち法であるならば、法で認められた殺人の権利。自分で希望した殺人なのに、そんなに後悔しているのですか?」
「……後悔。そうですね後悔しています」
「理由を伺っても?」
「はい……」
加藤は話した。
息子が殺された原因は、己の息子にあった事を。
ただ、裁判の争点は、山下による残虐な殺人行為であって、お互いの息子達の行動は関係なかった。
そもそも、仇討ちが終わった後に発覚した事実。
加藤の息子は人を殺し、その事実を隠蔽したが、山下に殺された。
つまり、自分の仇討ちは、権利ではあったが、実行してはいけなかった権利。
そう考えるに至ってしまっていた。
決戦当日、あの偽造日記を見つけなければ、こんなに悩む事は無かっただろう。
そんな仇討ち法当日の事実を、話が行ったり来たり、時系列が乱れながらも、加藤は何とか話し終えた。
(……困ったわね)
賂媚子の正直な感想だ。
起きてしまった事は覆せない。
加藤は、この事実を背負って生きていくしかないのだ。
その生き方を示す事はできる。
自分も、似た様な状況で生きているのだから。
だが加藤に対し、それは適切なアドバイスにならないと賂媚子は直感で感じ取っていた。
「例えばですが『コレコレこうやって生きてはどうですか?』と言う事はできます。信長公も言っています。『失敗しても挽回してこそだ』と。でも貴方の聞きたい事はそうではないですね?」
「……はい、なんと言いましょうか……」
加藤は加藤で、藁をもすがる気持ちでここに来たが、背中を押してほしいのか、道を示してほしいのか、解決策を提示して欲しいのか、頭がグチャグチャのまま来てしまった。
「その苦しみの理解者はいないのですか? 息子の仇を討ったのであれば、最低でも奥様はいらっしゃったのですよね? 離婚はしていないですよね?」
この『離婚』は能力を使って読み取った。
加藤が『奥様』の言葉に心が反応し、しっかりとビジョンを思い浮かべたのだ。
「そうですね。妻は、理解を示してくれています。ただ……妻だけは理解しつつも違うと申しましょうか……。日記が……」
「日記? 日記を見つけたが、それは奥様が置いた物だったと?」
「!? 何故それを!?」
いじめの証拠日記は、決戦当日、加藤が息子の部屋で見つけたものだった。
ただ、その日記は不自然ではないが、かと言って、今思えば偶然見つけるにしては出来過ぎた、絶妙な場所に置かれていた。
「……その可能性を考えただけです。つまり奥様は理解しつつも、加藤さんには別の意図をもって日記を置いた、そう思っているのですね?」
「妻は、日記が偽物と早々に見抜いていた様です。私は怒り心頭で、日記の矛盾点に気が付かなかった。山下さんが息子を異常な方法で殺したのは許せない。でも、山下さんを、そう仕向けたのは息子だった!」
加藤は自分の膝を、握った拳で鉄槌を落とした。
「私は裁判から仇討ちまで、妻の言葉に耳を貸さなかった。今思えば、山下さんを許す方向に導こうとしていたのでしょう! そんな妻の心を見抜けなかった自分が情けない!」
(ノートを置いたとて、怒り心頭の加藤さんが気づくとは思えないけど、それが精一杯の夫婦関係だったのかしら? 子供が殺されて夫の本性に恐れたのかしら?)
ここに妻の瀬津羅も一緒にいれば、その心を読んで答えが出せるが、このままでは予測しかできない。
「加藤さん。これは根深い問題です。確か法では仇討ち法に関わったものは、大統領にいつでも相談できるのですよね?」
「はい。直々に、大統領直通アドレスを頂きました」
これは仇討ち法を今後改正する為に、当事者の意見を聞く為の物だ。
仇討ちを行った結果、困っているなら、そう伝える事もできる。
「わかりました。では、こうしましょう。今度は奥様と一緒に大統領官邸に行きましょう。そこで一緒に考えて、大統領に直訴する事にしましょう」
「はい……。えっ? 大統領官邸へ? 直訴!?」
「そう、直訴です。大統領とは昔馴染みでして、とは言え簡単に『遊びに行こう』と言えたのは私が幼少の頃の話。今は軽々に会うなどもっての外ですが、仇討ち法関連となれば会うのは可能です」
「そ、そこまでして頂けるのですか!? ありがとうございます!!」
突然、眩しすぎる光が差し込んできた幻覚を見る加藤。
興奮するのも当然の反応だ。
「例には及びません。昔の話ですが、大統領になる前の東ざ、いえ北南崎さんと約束したのです。『一人でも困った人を救おう』と。その約束は今でも生きており、定期的に、こちらに来る悩みを匿名として政府に届けています。今、民衆がどんな事で困っているのか、生の声が聴けますからね。逆に大統領の紹介で私が悩みと生き方を提示する事もあります。……これはオフレコでお願いしますね?」
「そうでしたか。ではお言葉に甘えさせていただきます。えぇと……」
「大統領の都合のつく日を聞いておきます。その時は私も大坂都に同行しますので、一緒に進むべき道を考えましょう」
「あ、ありがとうございます!」
何一つ問題は解決していないが、解決への光明が見えたのが救いだったのだろう。
入ってきた時とは別人の様になった加藤は、足取り確かに帰路に就いた。
【3日後の夜】
大統領が忙しく、賂媚子と通話が出来たのは3日後だった。
「こんばんは。北南崎大統領」
《これは賂媚子様。何度か連絡して頂いたのに対応できず申し訳ありません。して、賂媚子様からの連絡と言うからには重大案件ですね?》
「そうです。仇討ち法に関する相談が来ました」
《それは……ひょっとして、加藤さんですか?》
「え!? そうです! 良く分かりましたね!? 何か能力に目覚めましたか?」
さすがの賂媚子も電話越しでは能力は発揮できない。
生の声が何故か精神に響くので、電気信号に変換された声では全く能力は機能しない。
《いえ、そうでは無いのですが……賂媚子様、政府専門チャンネルのテレビを、今見る事が出来ますか?》
「はい。ちょっと待ってください……はい見られました……えっ!?」
テレビを付けると、ちょうどアナウンサーが原稿を読んでいる場面であった。
テレビの見出しには『滋賀県で殺人事件。容疑者は会社役員加藤刑素毛』とあった――