【大坂都/大統領官邸】
南蛮武葬兵が事前の意志通り、今回の大統領選挙に立候補し、前大統領含む11票中、10票を得る圧倒的大差で当選した。
取りこぼした一票が、信長真理教本部がある、北陸甲信越地方票だったのは起こるべくして起きたのか偶然か?
元々、明朗快活な南蛮武少将だ。
軍や政治の機密に触れない程度に、SNSで日々の感想をユーモラスに零したり、名物コーナー『変な規則』が人気を博していた。
また、自身が武術の達人でもあり、ほぼルール無用の過激な大会を開く一方で、陸軍主催の子供武術道場も開いていた。
『いいかな? 今は子供1人で外を出歩くなんてありえない時代だ。だが、そうも言っていられない時もあるだろう。そんな時に身を守る武術を教える訳だが、これを使って自分の欲望を満たしてはいけないよ? 武術を使わないと逃げられない時、誰かを守る為の手段だからね』
子供相手の変質者撃退術。
子供に限らず、若い女性にも人気で、何なら教えの中で戦いの才能に目覚めそのまま軍に入隊してしまう猛者もいる程の人気講座だ。
陸軍でも名物大佐として名高い南蛮武の人気は絶大だった。
最近は
それは任務だから仕方ない事だし、良くある事だった。
道場は大佐の趣味であり、やはり仕事は優先せねばならない。
ただ、軍としても大佐の活動は、国民の自衛意識を植え付ける意味でも有意義かつ、軍の人気に一役買っており、軍からは自由裁量を与えられていた。
そんな大佐が
軍の管轄下だった南蛮武少将が、今度は軍を管轄する立場となった。
国民にとっては喜ばしい事だが、一方で、政治力は未知数だし、定期的な道場を開けるかは心配の種だった。
大統領になって道場を続けられるかは、支持者の不安の種だった。
「南蛮武大統領、当選おめでとうございます!」
テレビ局のアナウンサーが我がことの様に喜びながら祝辞、にしては圧の強い賛辞を贈る。
選挙で勝利が決まった当日のテレビ対応の時だった。
「これからは軍務だけではなく、政治をも担う訳ですが、大統領は大佐時代からの名物行事をおこなわれていましたね? 独自の武術教室を」
質問する側は百も承知の質問だが、一応知らない人の為に伝える為にも、バカっぽい質問をしなくてはならない。
これでマスゴミなどと呼ばれるから、割に合わない仕事だ、と言うのは余談だが、結構な数の国民が知りたがっていた事なので聞くべくして聞いてみた。
実はアナウンサーも通った事がある道場なのだ。
「フフフ。これで全ての局で同じ事を尋ねられました」
「あっ!? し、失礼しました!」
「いえいえ。叱っている訳じゃありません。国民がどの放送局を見ているは分かりませんからね。質問が重なるのは仕方ない事。ただ、それにしても私の武術教室がそんなに人気だったとは少々驚いております」
南蛮武も『やろう』と決めて始めた道場では無い。
近所の子供に乞われて始めた事だ。
それがきっかけで噂が噂を呼び、各地の陸軍施設に頻繁に出張するハメになってしまった。
人が多すぎて練習場所を確保できず、ダメ元で軍に場所を借りたいと願ったら、あっさり通ってしまった。
民間と軍の垣根を取り払うのに丁度良い機会だ、と。
治安の悪い時代だからこその需要もあったのだろう。
軍も南蛮武に賛同する暇人が、無償で指導を手伝う。
白洲御、目冥木、馬琉麒はこの頃からの同志で、菅愚漣はこの道場に通ってそのまま陸軍に入隊した。
最初は任務や事務作業も並列して行ったりしたので、疲労困憊で指導する事もあったが『そんな状況での戦い』と想定し20年頑張ってきた。
そこまで年月が経過すると、たまに弟子が立派な姿を見せる様になってきた。
『ん? おぉ!? 岩井君か!? 久しぶりだな!? 大きくなったな!?』
『はい! 大佐先生のお陰で、辛くても頑張れる様になりました! 出版社という畑違いの仕事場ではありますが、先生の教えを胸に頑張っています!』
『……ッ! 別に褒められたい訳では無いが……嬉しいモノだな……!』
別に称賛されたい訳でも無い。
最初は乞われて始めた稽古だったが、厳しくも優しい指導の成果が表れる、正に青春の汗を流す幸せな時間だった。
「道場に通った子らが、後押ししてくれたのなら、私は幸せ者です。大統領となった身ではありますが、なるべく時間を作って道場は継続しようと思います。それに、各地に赴くことは地方の状況を目視確認もできますからね。一石二鳥という奴ですね。ハハハ」
実に日本の未来を明るく照らす事を予感させる、南蛮武のコメントだった。
『あの戦争に従事し、勝利を勝ち取った者達の苦労は、こんなモノではないぞ!!』
それなのに、政権末期――
こんな言葉が飛び出す程に日本が荒れ始めるとは――
日本中、誰も予見できなかった――
別に南蛮武の政策が悪かった訳ではない。
だが、世界の一部の政治失敗が、日本にも悪影響を及ぼした。
その原因たるR国が覇権主義を掲げ、かつてのS連邦構成国に次々と侵略を始めたのだ。
日本は断固反対の立場を示し、侵略された側の国に軍や武器を派遣し、世界に同調してR国の敵に回った訳だが、R国は時代錯誤の帝政主義を復活させたいのか分からないが、各地で連戦連敗をして弱さを露呈していった。
正直、拍子抜けする程に弱かった。
だが、異常にしぶとい。
それに弱いと言っても両軍ともに死者や負傷者は出る。
こうしてダラダラと長く不毛な戦争が続いていく。
そうなると、そのしわ寄せは当事者じゃないハズの、支援国の国民達だ。
物価の上昇が異次元の領域に達し、しかもオマケに災害まで頻発する始末。
その国民の怒りを、正論で黙らせた南蛮武は、その失言で失脚する事になる。
大統領任期8年目の事であった。
「だ、大統領……アレは流石にマズイです……」
「皆まで言うな。つい怒りが飛び出してしまった。ただそれ以前に、復興の機を、是正の期を逃がし続けてしまった。コレはもう責任を取る以外にない。信長公も仰っていた。『耄碌を自覚して政治にしがみつくな』だったな。正にソレだよ。耄碌した政治家は国民の敵だ」
こうして日本中で手腕を期待された南蛮武大統領は失脚した。
自分の責任以外の所で、事件が頻発し過ぎたのも不運だが、運が無いのもある意味罪だ。
その後、46代から49代まで必死に挽回しようと奔走するが、結局どうにもならなかった。
46代から49代まで南蛮武の苦労を嫌という程に理解し、いずれも短命政権に終わった。
物価の上昇と治安の悪化に、完全に歯止めが利かなくなり、警察担当の事件に軍が派遣される事が日常茶飯事になった時、50代大統領としてかつての東西岬が北南崎桜太郎として就任することになる。