スカイさんと夕飯を作った。
豚肉の生姜焼き、大根と竹輪の煮物、豆腐の味噌汁。
その間、僕はスカイさんに何も聞くことができなかった。
聞きたいことはたくさんある。けれど何を聞いたらいいかわからなかった。
スカイさんは、というと、テレビの話だとか本の話だとか、ひっきりなしに喋っていた。
「スカイさん」
「何?」
ダイニングテーブルにお皿を置いて、向かい合って座りながら僕はスカイさんにやっと声をかけられた。
スカイさんはいつもと同じ優しい笑顔だった。
何を聞こう。
どれを聞こう。
頭の中を思考がぐるぐると駆け巡る。
「スカイさんて、何歳ですか?」
やっとでた言葉に、スカイさんは目を大きく見開き、
「え?」
と、間抜けな声を出す。
あ、なんか間違えた?
「あ、あの、だって、昔がどうのってい言っていたじゃないですか? でもスカイさん、二十代だったと思うし、いったい何歳なんだろうって思って」
早口で僕が言うと、スカイさんは頬杖をつき、声をあげて笑った。
「ははは。面白いねえ、怜君は」
「え? な、な、何かおかしかったですか?」
「いいや。そう言えばちゃんと言ったことなかったっけ。僕は二十五だよ。十月で二十六なはず」
今年で二十六ということは、僕と十歳違うだけなのか。
やっぱり若い。
「そんなに若いのに、なんで僕を引き取ろうなんて思ったんですか?」
「約束したからだよ」
約束。
「誰と約束したんですか?」
その問いに対する答えは、無言の笑顔だった。
スカイさんはただ笑って、僕を見つめているだけだ。
なんだろう。
約束……何か引っかかるような。
「僕の年齢を聞くだけでいいのかい?」
「え、えーと……」
あとは何を聞こう? いや、聞きたいことはたくさんあると言えばあるけれど。
「君を引き取るとなった時は苦労したよ。僕は若すぎたからね」
スカイさんの来訪は突然だった。
孤児院にいた僕を名指しして、引き取ると言いだして。
そこからちょっとした騒ぎになったっけ。
「僕と会ったのっていつの話ですか?」
「ずっと、昔の話だよ」
スカイさんの年齢でずっと昔っていつの事ですか。
「スカイさんは、暗殺者だったっていうのは本当なんですか? 僕と会ったのって……」
「本当だよ。僕は嘘を言わない」
暗殺者。
という響きがもう現実味を感じない。
そもそもスカイさん自身、どこかふわふわした人に思えるけれど。
僕は、箸をぐっと、握りしめ、湯気を上げるご飯を見つめる。
「そんなの信じられないです。だって、暗殺って人を殺してきたってことですよね」
口に出して初めて、僕ははっとする。
そうだ。
暗殺ってことは人を殺してきたってことだ。
僕はばっと、顔を上げてスカイさんを見る。
彼はお茶碗を手に持ち、煮物の器に手を伸ばす。
「そうだよ」
それだけ呟き、スカイさんは箸で大根を摘まむ。
スカイさん、所作が綺麗なんだよなあ……
育ちよさそうに見えるのに、何で暗殺なんて……
これは夢だろうか?
いいや、夢じゃない。
「なんでそんなことをしていたんですか?」
「そうするしかなかったから」
暗殺者になるしかなかった状況、というのはどういうことなんだろうか?
そんな状況ってある?
この国はどう見たって平和……だと思う。
そりゃ、昔はテロ事件だってあったけれど。表面上は平和だとおもう。
「あの、ヤタガラスとかなんとか言ってましたけど、それってどういう組織なんですか? スカイさんはそこで暗殺者をしていたって事なんですよね? それで、あの、今日のあの人……ヒジリ、っていう人はスカイさんが暗殺者にしたって事なんですか? なんでそんな人が僕を狙うんですか」
考えるよりも先に、次々と言葉があふれ出る。
「怜君」
「はい」
「せっかく作ったご飯、食べないと冷めてしまうよ」
言われて始めて、僕は慌てて茶碗を持ち、ご飯を口に運んだ。
生姜焼きに、煮物。
慌てて食べて、味はよくわからなかった。
「ヤタガラスは、政府の組織だったんだよ」
僕がご飯を食べている間に、スカイさんは語りだす。
「悪魔を使役して、この国で暴れる天使たちと戦ってきた。時には人を殺すこともあったよ。天使は手段を選ばないからね。目的の為に人を操ることもあるんだよ」
操るって。
すごいことを言っている。
って、ちょっと待って。
「天使って実在するんですか?」
「悪魔がいるんだから、天使だっているよ」
「あ、そうか……え、じゃあ、あの、天使機関っていうのは」
「本物の天使だよ」
てことは、天使がテロを起こしてしかも人を殺してたって事?
「天使って神様の使い、ですよね?」
「そうだよ。神の御心の為に動く奴らだよ。目的のためなら何でもする。聖書に出てくる神なんて、どれだけ人を殺していると思う? それを考えたら、天使が人を殺すのなんて普通の事だよ」
確かに、聖書に出てくる神様は、洪水を起こしたりして世界を滅ぼしているけれど。
いやでも、天使が何でテロなんて起こすのさ……訳が分からないよ。
でもそれよりも、僕が狙われる理由を知りたい。
「あの、ヒジリって人は、なんで僕たちの前に現れたんでしょうか?」
「あの化け物に襲われた後調べたんだけれど、ヤタガラスは僕を連れ戻したいらしいんだよねえ。これでも三年潜伏して大人しくしていたんだけれど。僕の事なんて構ってないで、スサノオや天使たちと三つ巴をしていればいいのに」
また耳慣れない言葉が出てきた。
スカイさんのこと、知らないことがたくさんあるんだ。
「連れ戻すのに、僕が邪魔なのでしょうか?」
口にして、思わず身体が震える。
「ヒジリは僕を殺せない。だから、君も殺せるわけがないんだよ」
大丈夫、なのだろうか。
いいや、きっと、大丈夫だろう。
スカイさんは強い。
たぶん、僕が思うよりもずっと強いだろう。
でも待てよ。僕がいなければ、スカイさんは僕に気を取られず戦えるんじゃないだろうか?
「馬鹿なことは考えなくていいんだよ、怜」
僕の考えを見透かしたかのような言葉に、僕は思わずびくり、と震える。
「え?」
「僕は君の為に命をかける。大丈夫、僕は死なないよ。だから君も死にはしない」
「そうですね、スカイさんが死ぬわけないですもんね」
自分に言い聞かせるように、僕は言う。
大丈夫だろうか。
いや、大丈夫だろう。
「でも、守られてばかりは嫌です。僕だって戦えたらいいのに」
戦う方法なんて知らないけれどでも、僕は、自分の身くらい守りたいと思う。
「大丈夫だよ、怜君。その時が来たら君は、自分の力で戦えるようになるから」
「え、それってどういう……」
僕は戦う方法なんて知らない。
体育は人並みだし、格闘技はやったことない。
なのに。
なんでスカイさんはこんなこと言うんだろうか?
「だから、怜」
「はい」
「今を、大事にしようね。何気ない日常こそ貴重で、何気ない日々こそ大切なものだから」
そう言ったスカイさんの表情は至ってまじめなものだった。