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第8話 スカイが背負うもの

 皇海すかいはひとり、自室でデスクに腰かけて頬杖をついていた。

 デスク上の灯りだけが灯る、薄暗い部屋。

 赤いワインが入ったグラスを見つめ、皇海は物思いにふける。


『スカイさんとの時間は、お父さんといるみたいで楽しいです』


 昨日、怜が言った言葉が耳の奥で響く。

 一年前から一緒に暮らし始めた義理の息子。

 独身の皇海には養子にできる資格がないため、正確には里子だけれど。

 この一年、彼のおかげでいろんなことを経験できた。

 「親」として学校に行き、高校を共に見学に行き、受験の日は送り迎えもした。

 合格発表の日は落ち着かない時間を過ごし、合格を知った時は、人生の中で一番、嬉しかったと言えるだろう。

 怜と暮らし始めた時、皇海は二十三歳だった。

 十五歳の少年との接し方なんてわかるはずもないし、そもそも皇海は日の当たる場所で生きてこなかった。

 だからきっと、足りない部分ばかりだろう。

 それでも不満を漏らすことはないし、慕ってくれる。

 その事に、内心戸惑いを覚えることがある。


「君を引き取るのに、四年もかかってしまった」


 呟き、ワインを口にする。

 怜に話したように、皇海は彼の父親に会ったことがある。

 ただ一度、ほんのわずかの時間だけれど。

 そして同じ時に怜にも会っている。

 その時のことを、怜は覚えていない。 


「全てを思い出したら、君は僕を許すだろうか?」


 呟き、皇海はグラスを手に持ち、赤いワインをじっと見つめる。

 血のように赤いワイン。この血を、皇海は何度も見てきた。


「僕はたくさんの罪を犯したからねえ。でも、そんなに罪の意識なんてないんだけど」


「お前のそう言うところ、私は理解できないよ」


 そう言ったのは、いつの間にか現れた大きな三毛猫。

 まあごはすっと机に乗ると、そのまま座り皇海の顔を見つめた。


「政府お抱えの元暗殺者。よくもまあ、今まで無事に過ごせているよ」


 半ばあきれた様子でまあごは言う。

 まあごと出会ったのは、四年以上前のことだ。

 皇海が暗殺者として活動を始めた頃に知り合った。

 彼女の言う通り、皇海は元暗殺者だった。

 政府がもつ秘密組織ヤタガラスの暗殺者として、三十年前国内でテロを繰り返し、今でも闇で動き続ける天使機関の者たちと戦ってきた。

 その経歴を完全に断ち切り、表世界に出てきたのは一年半ほど前だ。


「あはは。だって、まあごさん。罪の意識なんて持っていたら、僕の心はとうに壊れているよ」


「……そうだね」


 まあごからしたら、皇海の心はだいぶ壊れて見えるけれど、自覚がないのか、それとも見ようとしないのか。

 皇海は生に対する執着心が薄い。

 それに、食に対する意識も薄い。

 暗殺者時代からそうだった。

 まあごから見て皇海はとても、危なっかしい。


「怜が来て、随分とお前は雰囲気が変わったよ」


「あぁ、それは自覚しているよ。でも……」


 皇海はワインをひと口飲み、その揺れる水面を見つめて言った。


「もうすぐ終わるよ。この間の獣は、様子見だろう。きっと、彼らはやってくるよ。天使たちもたぶん……」


 三十年前、国内でテロ行為を繰り返した天使機関は、本物の天使が作った組織だ。

 神社や社の破壊を繰り返したと思ったら、突如としてテロ活動に終わりをつげ、なぜか闇に潜伏してしまった。


「天使の要求は、神をも斬ると言う刀だ。その刀はいったいどこにあるのか、誰も知らないんだよねえ」


「ふん。人の庭に土足で上がりこみ、身勝手な要求してそれが手に入らないと知った瞬間テロ行為。天使っていうのはほんと、身勝手だね」


「その身勝手さで、何十人と死んだ。人も、僕たちが使役する妖怪たちも」


 なぜ、天使機関が刀を要求し、そしてテロ行為を繰り返したのか。

 どうも彼らは、刀が神社にあると考えたらしい。

 それで都内にある神社を片っ端から壊して回ったとか。

 普通に考えて神をも斬る刀が、そう簡単に壊れるわけないとわかりそうなものだが。


「天使と戦ったことがあるけれど、ほんと、彼らはプライドばかりが高くて、僕たち人間を見下していて好きじゃない」


「あぁ、お前は天使殺しだったねえ。それでお前は天使機関のレッドリストに載っているって話だっけ? そんな状況でなんで怜を引き取ったんだい?」


「そばにいれば守れるじゃないか。彼は自分が狙われるなんて微塵も思っていないからね。それにあのまま孤児院にいたら、たくさんの人を巻き込んでしまう」


 だから引き取った。

 引き取ると決心し、いくつかの手続きを済ませた時も迷いはあった。

 そして今も、その迷いは心の中にある。

 グラスの中で揺れるワインを見つめ、皇海は呟く


「僕と一緒にいることがいいことなのか、今ではいいことだったのだろうかと思うよ」


「あの子はいつも笑顔じゃないか。その笑顔が証明しているだろう」


 皇海はグラスを机に置き、頬杖をつきまあごの頭に手を伸ばす。


「あぁ、そうだね。ありがとう、まあごさん」


「それで今日、気になることがあったんだが」


「何、気になることって」


 まあごは、金色の目で皇海をじっと見つめて言った。


「あの子、学校の行き帰りにいつも、学校そばにある小さな社で手を合わせるんだよ」


「あぁ、お地蔵様とか、神社とか見つけると手を合わせると言っていたよ」


「あの子が社に背を向けた時に声が聞こえてねえ。その社にいる狐が、あの子に警告したんだよ」


 それを聞き、皇海は目を瞬かせた後、口角を上げて笑った。


「へえ、それは面白い話だね。長く生きた狐の中には、千里眼を持つ者がいるとは聞くけれど、その類かなあ。まあごさんは、先の事、何かわからないの?」


 すると、まあごは不機嫌そうにひげをぴん、とたて、すっと目を細める。


「たとえ自分に危険が及ぶ未来が見えたとして何ができる? どんな道筋をたどろうと、結果は変わらないものだよ。お前は、自分に訪れる未来を知りたいのかい?」


 意地悪な声音で言うまあごに、皇海は首を横に振って見せた。

 未来を知りたいとは思わない。

 重要なのは今をどう過ごすかだ。


「そんなものに興味はないよ。生きている限り絶対に死が訪れることはわかっているんだから。僕にはその事実だけで十分だからね」


「あぁ、お前はそうだろうね。まあ、言えることは確実に日常は崩れていくだろうね。お前と、怜の日常は。まあ、契約は契約だから、私はお前が死を迎えるまで付き合ってやるよ」


 そう言ったまあごの目は妖しく光った気がした。

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