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第9話 サービスしすぎ

パシイィイン!


頭を低くしていた江島めぐみの横に突然瞬間移動のように現れた優男やさおとこは、乾いた音を立ててライフルの弾丸を素手でキャッチした。素手と言ってもその手は人間のものではない。全体の形状こそ人間の手に近いが、爬虫類のような硬いうろこに覆われ、先端には猛禽類のように大きく鋭い爪が付いている。


(龍の手…?)


江島めぐみは今目の前に突如現れた優男の、特徴的な右手を見て思った。


「ひとつ貸しじゃなあ!女子おなご先生よ」


優男もとい凛太郎は、見た目と相反する老人のような口調で言うと、弾丸の勢いを殺そうとするかのように回転しながら一瞬めぐみの方を向いた。よく見ると瞳も爬虫類のように、縦長の瞳に緑色の虹彩をしており、口元からは牙がのぞいている。


「さて、返品じゃ」


優男は、銃弾を受け止めた勢いのまま、腕と体をグルンと回転させると、そのまますさまじい速度でその銃弾を撃ったスナイパーの方向へ投げ返した。人間の力では決して不可能な速度で投げ返された銃弾は、ビシッ!という鈍い音をたてて、スナイパーのいる数百メートル離れた屋上の壁にめり込み、大きなヒビを入れた。


「ありゃ、外したかの」


九頭龍となった凛太郎はてのひらを目の上にかざして言った。一方、ビルの上のスナイパーは思わずヘタンと尻もちをついてしまい、


「クッ、化け物め…‼」


という捨て台詞を残すと、できうる限りの早さでライフルをケースにしまい、屋上から逃げていった。


と、その光景をまた上空から大ガラスが見ている。


「先生!おそらくもう大丈夫です。車の中に!」


「う、うん…」


選挙カー上にうずくまっていた江島めぐみの体を助け起こし、まだ人心地の付かない江島候補を車の中に押し込んだ梅ケ谷は転がっていた防弾ブリーフケースを拾うと、安堵あんどのため息をついた。


「…ふう。さすが三田村装備開発の最高級防弾仕様。ドイツ製と迷いましたが、こういうのは国産の特注品が断然安心ですね」


だが、まだ安心するには早かった。


さとし君!大変…‼」


たった今、命を救われたばかりの江島めぐみが、慌てた様子でカーウィンドウを下げて顔を覗かせると、金切り声をあげた。


「?」


梅ケ谷が不思議そうな顔をする一方…


「え」

「そんな…」


江島議員の目の前で、銀髪スーツ男と九頭龍凛太郎の2人により披露された、人間離れした曲芸を見たばかりの七海は、呆然としていたが、ふと我に返る。


さきほど、自身の手に感じた鈍い衝撃はなんだ…??


よく見ると、銀髪スーツ男が防弾仕様のブリーフケースで跳ね返した銃弾が、よりによって七海が手に持っている光のキャリーバッグ型の補助人工心臓駆動装置に命中していた。


「あ…」


ひかる自身も、ようやくこの事態に気づいた。梅ケ谷が防弾ブリーフケースで弾いた銃弾が、自身の生命線である補助人工心臓駆動装置に命中し、機械は駆動を停止してしまった。ゆっくりと自らの心臓の働きが鈍っていくのが分かる。


光の病気は拡張型心筋症である。通常心臓は、心臓の壁の筋肉が収縮することで血液を体中に送り出すポンプの役割を果たしている。拡張型心筋症とはその心臓の壁がペラペラに薄くなって収縮する力を失い、心不全を引き起こす病気であり、心臓とくに左心室が収縮する力を失って外方向に拡張することから、「拡張型」心筋症という名前が付いている。原因はウイルス性や遺伝性と言われているがはっきりとは判明しておらず、重度のものは心臓移植をするしか助かる道はない。この病気はゆっくりと進行するため、光のように補助人工心臓での延命を年々も行うことにも限界があるのだ。そして―今の光の病状でも、補助人工心臓の駆動装置が停止すれば、数十分以内に死亡するだろう。


「光!」


七海が顔を真っ青にして叫ぶ。最愛の弟、自分の命よりも大切な光の命のともしびが、今まさに目の前で消えようとしている。


「姉ちゃん、ゴメン。思ったよりお別れが早かったみたい…

凛太郎兄ちゃんと幸せになってね。

…凛太郎兄ちゃん、すごかったね。どこに行っちゃったのかな。最後にお話ししたいな…」


「光!やだ、ダメ!しっかりして、光!」


光は、息苦しさとともに、自分の視界がだんだんとぼやけてゆくのを感じた。すでに立っているだけの体力も尽き、ペタリと尻もちをついて座りこむ。目の前には七海が両手で自分の顔を挟み、何とか正気を保たせようと必死に呼びかけているが、光の意識はもはや限界だった。呼吸も弱くなり、止まろうとしている。


「やだ… いやだよ、こんなの…

凛太郎君‼」


ほとんど無意識のうちに、七海は叫んでいた。


すると。


「ハイハイ。まーったく姉弟きょうだいそろって世話の焼ける奴らじゃの。ちょ~っと今日はサービスしすぎじゃな」


いつの間にか光の背後に現れた九頭龍凛太郎は、意識が朦朧としているを、後ろから抱きしめるような、羽交い絞めにするような体勢になると、左手の指を二本、光の小さな口に突っ込んだ。


「まずは気道を確保して、と。ちょっと我慢せいよ、光」


凛太郎は今度は、鱗の生えた右手をゆっくり、ズブリと光の左胸に突き刺した。血は出ない。凛太郎の右手はそのまま、ズブズブと光の体内に沈んでいくと、心臓を直接鷲づかみにした。七海の腫瘍を食べたときもそうだったが、霊体にも肉体にも自在に変わる九頭龍の体は、標的の器官以外の肉体を透過することができるらしい。


「んっ、あっ… 

凛太郎…兄ちゃん…?」


光は焦点の定まらない目で振り返り、凛太郎の緑色の目を見つめた。


「お前には、希望が持てる世界を見せると約束したからのう。ここで死なれては約束を果たせん」


そう言うと凛太郎は、突き刺した右手で光の心臓を掴むと、トクン、トクンとじかに心臓マッサージを始めた。正確に言えば、心肺機能蘇生のためのマッサージではない。補助人工心臓の代わりに、凛太郎の手が直接心臓の鼓動を生み出しているのだ。


(凛太郎兄ちゃんの手…あったかい…)


朦朧とする意識の中で、光は思った。


「よし。儂はしばらく、この稚児ちごの胸を揉み続ける。早うとやらを呼べ、七海」


「(いや言い方…)う、うん」


七海が携帯を取り出して119番にかけようとしたその時。


「それには及びません」


後ろから声がした。


「?」


七海と凛太郎が振り向くと、そこにはくだんの銀髪スーツの男が、こちらを心配そうに見つめる江島候補とともに立っていた。


「その少年は、私どもが責任をもって病院までエスコートいたします」



(つづく)


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