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第7話 凶日

 ある日、凛太郎が居候している七海のマンション。今は九頭龍は眠っており、凛太郎の人格が表に出ている。


「葛原君、今度の土日、ちょっと付き合ってくれるかしら。光と外出なんだけど、葛原君にも一緒に来て欲しいんだって。遠出はたまにしかできないから、私の顔に免じて勘弁してあげて欲しいんだけど…」


「そんな、勘弁だなんてとんでもない。僕なんかでよければ、いつでもご一緒しますよ」


「ごめんね、ありがとう。今度の外出はどうしても葛原君と一緒がいいって言って聞かないのよ」


「いや、それは光君が九頭龍さんを好きになったのであって、僕とは実質初対面になっちゃいますけど、大丈夫でしょうか…」


「九頭龍さんの人格のときは、凛太郎君の意識はまったく無いの?何をしたか全く覚えてないものなのかしら」


「それが… 最初のころはそうだったんですけど。

今は、九頭龍さんが前に出てるときは、眠ってるのに半分以上意識があるような、不思議な感覚なんです。薄っすら意識があるというか… 一応、クズさんが何をしゃべってるのかも聞こえてはいます」


「なら、話を合わせれば大丈夫よ」


(そんなに簡単に言わないで欲しいなー…)


凛太郎はため息をついた。仕事の鬼、デザイン課の氷の女王は、意外と楽観的なところがある。



 新宿総合病院、阿賀川光の病室。2人が部屋に入ると、光はパッと顔を輝かせる。


なな姉ちゃん、凛太郎兄ちゃん!」


凛太郎は、自分の人格が表に出ているときに光と会うのは初めてである(ぼんやりと記憶はあるが)。この姉にしてこの弟ありとでも言おうか、光の方も七海に負けないほどの美形だ。加えて光は、本当に屈託なく人懐こい笑顔を見せる。病気であることと淡い髪の色が相まって、どこか危うい儚げさは漂うものの、まさに天使のような笑顔である。


(こりゃあ、阿賀川さんが体を壊すまで働いてでも手術代を工面してあげたくなるわけだ…)


「おはよう、光。まずは41フォーティーワンアイスクリームでいい?その後、本屋巡りをしてから、『カルメン』でお昼を食べようね」


「うん!凛太郎兄ちゃんは、アイスクリーム好き?」


「うん?あぁ、好きだよ。光君は、ゲームセンターとかよりも本屋さんが好きなんだね。エライなあ」


「ゲームなんかは、時間がもったいないからね。いつまで生きられるか分かんないし…」


一瞬ではあるが、七海の顔が如実に曇る。


「きっと大丈夫だよ。神様が味方してくれるって」


「…凛太郎兄ちゃん、今日は戦国武将みたいな話し方はしないの?」


「う… あ、あれは、たまに発作的に出てくる人格というか、キャラってゆうか。ハハ」


「?変なの。まぁいいや。七姉ちゃん、僕もう準備できてるよ」


「そう。じゃあ、早速出発しましょっか」


 3人は仲良く41フォーティーワンアイスクリームを食べながら、新宿の人ごみの中を歩いていた。


「凛太郎兄ちゃん、重くない?」


「平気平気、アハハ」


光の体から出ている管の先の心臓駆動装置は、外出専用のキャリーバッグ形式のものに変わっている。ドイツのBerlin Heart社のEXCOR ACTIVEという商品である。外出が可能な持ち運びタイプの補助人工心臓駆動装置としては、ほぼ世界に唯一の製品らしい。管にはある程度の長さがあるため、凛太郎が光を肩車し、キャリーバッグ式の装置を七海が引いて移動している。


「姉ちゃん、チョコミントひと口ちょうだい」


「いいわよ。…光、今回は本はもういいの?」


「うん。ネットでの注文だけだと、どうしても偏っちゃうからね。たまにこうして本屋さんにいって、面白そうな本が見つかると嬉しいんだ」


装置を押す七海のもう片方の手には、光が先ほど新宿の大型書店で購入した、工学と哲学の専門書が入った手提げの紙袋が握られている。


「すごく難しい本が好きなんだね、光君は」


「うーん、本当はもっと買いたいんだけど、病室が本で埋まっちゃうからね。どうしても欲しい本は買うけど、図書館で借りるのがメインなんだ。入院患者のために病院まで本を届けてくれるサービスがあるんだよ」


「月に20冊以上読むからね、この子。難しい専門書ばかり」


「読むだけなら月50でも100でも読めるよ。理系の専門書は数式を考えたりするから、ペースが落ちちゃうんだ」


「ふえぇ…」


凛太郎は言葉も出ない。


 七海と、光を乗せた凛太郎の足は新宿駅西口付近に差し掛かった。駅前のスペースが人だかりで埋まっている。選挙演説だ。


「もうすぐ都知事選か。政治家って大変そうね」


「そうなの?楽してお金をもらってるイメージしかないんだけど」


「いくら頭がよくても光はまだちっちゃいからね。大人になればだんだん分かってくるわよ。楽な仕事なんて存在しないわ」


「ふーん… 誰がしゃべってるの?」


「自公党人気No.1の江島めぐみですね。国会議員を辞めて都知事選に立候補するみたいです」


凛太郎が答える。


「へー… 僕、ちょっと近くで聞いてみたいな」



「さすが政界のアイドル。すごい人気ね」


 3人は何とか人ごみをかき分けて最前列に陣取った。「ハーフ美女」という言葉がぴったりの江島議員が、選挙カーの上で空気を振るわせるような演説をし、聴衆は身じろぎもせず聞き入っている。

(国会議員の籍を持ったまま地方首長選に出馬はできない。立候補を表明した時点で江島議員の参議院議員資格は失効しているため、今後は|江島《《候補》》と呼称する)


「…日本の科学技術が世界一と言われた時代は、とっくに過ぎ去ってしまいました。今はトップどころか、一流ですらない。二流・三流に落ちぶれようとしているのが現状です。給与水準も欧米の三分の二から半分程度にまで落ちました。かつての経済大国、技術大国ニッポンは今は見る影もなく、もはや立派な途上国に逆戻りです。これは日本人の頭脳が劣化したからでも、労働を怠けたからでもありません。政治という国の舵取りを誤ったからです…」


凛太郎は心の中で「その舵取りを戦後一手に引き受けてきたのは、貴女のいる自公党では…?」とツッコんだ。選挙カー上では、江島候補から一歩斜め横に離れたところに、銀色の髪がひときわ目を引く細身の男性がスリーピースのスーツに身を包み、ハードタイプのブリーフケースを持って立っている。おそらくは公設秘書・兼・ボディーガードなのだろう。


 七海は、しばらくは江島候補の演説に聞き入っていたが、ふと隣を見てギョッとした。肩車をしている凛太郎の頭の上で、光が真っ直ぐに伸ばした手を高々と上げている。まるで一般の小学生が授業中に先生に「ハイッ!」と発言を求めるときのようだ。


「ちょ、ちょっと光…」


七海がたしなめるより早く、演説中の江島候補が反応した。


「…話の途中ではありますが、この可愛らしい坊やがどうしても訊きたいことがあるようですので…

ちょっと、マイクを貸してあげてくださいますか」


銀髪スーツの男が、江島候補からマイクを受け取ると、光に発言を促すようにそのマイクを差し出した。その際、銀髪スーツ男は光ではなく、光を肩車している凛太郎の方に「…」と無言で視線を向けているような気がしたが、凛太郎は心当たりがなく、「?」という表情をするほかなかった。

マイクを向けられた光は、まったく臆する様子もなく、いつもの無邪気な声で喋り始めた。


「…えっと、光っていいます。僕は心臓の病気で、ひょっとしたらあと何年かで死んじゃうんですけど…」


聴衆がざわつく。近くにいた一部の人たちは、光の体から伸びる管とその先につながる駆動装置に気づいたようだった。


「…日本がそんなに生きづらい国になってるなら、無理して生きなくてもいいかなーって思うことがあります。日本が今、すごく貧しい国になってきてるのは分かりました。じゃあ、江島さんが東京の知事になったら、日本はいい国になりますか?」


小さな子どもである光の質問を、真剣な表情で聞いていた江島候補はゆっくりと2,3度深く頷くと、自らに戻ってきたマイクを再び握りしめた。


「…ッ」


江島議員が何かを言おうと息を吸い込んだ瞬間。


演説場所である新宿駅西口広場から200メートルほど離れた雑居ビルの屋上で、ライフルのスコープ越しにこちらの様子を覗いていた人影が、『ガチャリ』という音を立てて引き金を引いた。


ピシュッ!


という弾丸が空気を切り裂くときの音が、ハッキリと凛太郎と七海の耳に聞こえた。


(つづく)


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