目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報
第4話 病室の子

 新宿総合病院。七海が検査を受けた病院である。


七海と、九頭龍の人格のままの凛太郎の二人は、ある入院患者の部屋にやって来た。表札には、「阿賀川 光」とある。『見せた方が早いから』と、七海は九頭龍凛太郎に対し説明をせずに病院に連れてきた。


「…お姉ちゃん!」


読んでいた本から顔を上げて精いっぱい元気そうな声を絞り出したのは、小学校3,4年生くらいの少年だった。入院生活が長いのだろう。痩せているうえに髪の色も淡く、はかなげな雰囲気が漂っている。よほど本が好きと見えて、大人が読むような分厚い難しそうな本が何冊も病室のベッドの周囲に積みあがっている。好きなミュージシャンなのだろう、病室に貼ってある女性歌手のポスターと、図書館にしかないような専門書の束とのコントラストが奇妙な感覚を与える。よく見ると、ベッド横に設置された大きな箱型の装置から2メートルほどの管が出ていて、少年の体につながっている。一体、何の装置だろうか。


ひかる、また勉強してたのね。今日は会社の友達を連れてきたの。 …紹介するね。この子が弟の光。光、こちら会社の同僚の葛原さんよ。挨拶できる?」


「こんにちは、阿賀川光です」


光はニッコリと人懐こい笑顔で微笑む。


「おう、葛原凛太郎じゃ。よろしくの」


「葛原さんは、七海姉ちゃんの彼氏なの…?」


「ち、チガウワヨ」

「ま、そういうことにしとこうかの」


七海と凛太郎の返答はほぼ同時だった。


「よかった!… お姉ちゃん、働き過ぎでなかなか彼氏ができなかったんだよ。こんなに綺麗なのに」


「こーら、あんまり大人をからかうんじゃないの」


「からかってなんかないよ。僕のことなんか気にしないで、姉ちゃんは自分のために生きて欲しいって、何回も言ってるじゃないか」


「光、その話はもう終わりって約束したでしょ。わたしの幸せはあなたが元気になることなの。お金は心配しなくて大丈夫。心臓のドナーもきっと見つかるわよ」


七海は優しく諭すように言い聞かせるが、かなり感情がたかぶっているのがアリアリとわかる。心の底から、弟の幸せを願っているのだ。


「…なるほどの」


横で見ていた九頭龍凛太郎は一人で呟いた。少年の体と管でつながる大きな装置は、人工心臓の駆動装置らしい。


と、突然、誰かの携帯のバイブ音が鳴りはじめた。


 ヴーッ、ヴーッ…


七海が携帯を取り出し、画面の表示を確認する。


「あ、ちょっとごめんなさい」


七海は通話をしに病室の外に出ていく。ギャラクティカとして受けた仕事のクライアントか、それとも個人でやっている副業の方だろうか。


「ほーらね。どうせ仕事の電話さ。働き過ぎなんだから… 葛原さん、七海姉ちゃんをよろしくお願いします。幸せにしてあげてね」


七海が席を外したので言った言葉だろうが、これはこの少年の本心なのだろう。姉は弟を、弟は姉を、互いに思いやっているのである。


「…のう、わっぱ。さっきからおぬし、あまりせいに執着がなさそうじゃのう」


「…うん、僕がいると、姉ちゃん大変そうだから。でも僕が死ぬと、姉ちゃんは廃人になるだろうからなぁ。悩みどころだよ」


まったく笑えないギャグである。


「この世に未練はないのか?臓腑を治して、他のわっぱたちと遊びたいであろう」


「うーん… そうでもないかなぁ」


「ホウ。なぜじゃ?」


「だってさ。あんまり、日本、生きてても楽しくなさそうなんだもん」


「何じゃと…?」


「40年くらい前は、日本は世界一豊かな国だったんでしょ?それがどんどん国力が落ちて貧乏になって、子どもの数も減って、暗いニュースばっかりだ。もうとっくに三流の国だって、こないだ読んだ本にも書いてあったよ。大人はみんな生きるのが辛そうだし」


「…うーむ。儂が眠りこけている間に、この国はそこまで落ちてしもうたか。景色を見る限り、大戦からよくぞここまで復活したもんじゃと感心しとったが…」


「…??」


眠りこけている間?さっきから、この葛原という見た目と話し方のギャップが凄いお兄ちゃんは、何を言っているのだろうか。光は訝ったが、なぜかこの男といると不思議と安心できる感じがしていた。


「わかった。日の本を、おぬしが生きたく生きたくててしょうがなくなるような国にしてやる」


「本当?」


「おう。このクズry…はら凛太郎に二言はないぞ。じゃから、ぬしは安心して病を治せ。未来を楽しみにして、な」


「へへへ、何だか分からないけど、わかったよ。楽しみにしとくね!」


光は無邪気に笑う。七海が溺愛するのも頷ける。血がつながった兄弟でなくとも、この少年にはどこか不思議な魅力がある。

ガラリ、とドアを開けて、七海が戻って来た。


「ゴメンね、お待たせ。クライアントから緊急の用件で…」


七海が話しかけたのにも気づかないくらい、九頭龍凛太郎と光はポスターの歌手の話で盛り上がっていた。


(いつの間にこんなに仲良しになったのかしら…?)


♦ ♦ ♦


 その後。光の病室を後にした凛太郎と七海の2人は、再びレストラン『カルメン』に移動した。


「光はね… ギフテッドに近いのよ。病室の専門書、見たでしょ?あんなに才能があっていい子、死なすわけにはいかないわ。心臓移植の手術のお金を溜めたくて、仕事が終わった後は、ずっと家で副業やっているから、彼氏つくるどころじゃないの。」


七海は、キッと凛太郎の緑の瞳を見つめて言った。


「九頭龍さん、病気治しが得意なんでしょ。お願い…光の心臓も治して!」


九頭龍になった凛太郎は、腕組みをして考える。


「う~ん。残念じゃが、すぐには無理じゃな。」


「…どうしてよ!」


「儂らのような存在は、この世で力を好きに使うと、人の運命を変えすぎてしまうでの。特に命にかかわる大病を治すような力を使う頻度には、上限が設けられておる。軽い怪我やちょっとした病気なら、いつでも治してやれるのじゃが…

 儂が重病の人間を完全に治せるのは、一年に一人までじゃ。ぬしを治したから、光は来年じゃ」


「そう…なんだ…」


「…光の治療にかかるお金はいくらほどなのじゃ。」


「普通の入院生活にかかるお金は、国の補助があるから自己負担額は10万円くらいなんだけど… 久田松くだまつ社長が同情してくれて、いろいろ手当つけて給料多めにくれてるから、何とかやってけてるんだけど。ただ…」


「ただ?」


「日本だと心臓のドナーは5年くらい待たなきゃいけないの。アメリカなら割とすぐ見つかるらしいんだけど、そうなると手術費がいくらになるのか、見当もつかないくらい」


殊勝しゅしょうじゃのぅ。要するに、儂が光を治せる1年後まで待つか、金を工面してアメリカですぐにでも手術が受けられればいいわけじゃな?」


「うん…生臭い言い方だけど」


七海はうつむく。


「それなら、お安い御用じゃ。」


「本当!?」


「儂を誰じゃと思うておる」


凛太郎はにんまりと歯を、いや牙を見せる。


「当然、ぬしにも協力してもらうぞ」


「うん、もちろん!何をすればいいの?」


「そうじゃなあ…。とりあえず、しばらくぬしの部屋に厄介になるぞ」


「…え?」


今度は、七海が凛太郎の予想外の答えに驚く番だった。


(つづく)

コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?