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第3話 不思議

「いただきます」


七海はたしかに、自分が龍に食べられる『ガブリ』という音を聞いた気がした。


「いやーーっ!!!」


七海は恐怖で目をつぶって叫び声を上げた。


「…あれ?」


おそるおそる目を開ける。どうやら自分は食い殺されてはいないようだ。


「なんじゃ、大げさじゃの」


おそるおそる目を開けて前を見ると、たった今自分にかぶりついたはずの龍は、凛太郎の姿に戻っている。ただ相変わらず口元からは牙が突き出ており、眼は緑色だ。


「安心せい。おぬしの肉体を傷つけてはおらん」


七海が周りを見ると、レストラン「カルメン」の客たちが、先ほどの七海の叫び声を聞いて一斉にこちらを見ている。七海は恥ずかしさで顔を赤らめる。


「どうかなさいましたか?」


七海の叫び声を聞きつけて、店員が心配して声をかけてきた。

「いえ、何でもないです…すみません!」


七海はさらに真っ赤になって冷や汗をかく。


「なにするの!どういうつもりよ!」


「なかなかうまかったぞ。これでもう、おぬしの体は心配いらん。」


「はあ…?」


「触ってみい」


「どこをよ?」


「何を言うか。ちちに決まっておろうが」


「乳って…!」


「いいから、触ってみよ」


凛太郎が真剣な眼差しを向ける。

七海はおそるおそる、右の乳頭近く、しこりがあった場所を触る。


「あれ…消えてる?」


「言うたじゃろ。心配いらんと」



 数日後、新宿総合病院。七海は緊張しながら、自分の担当医である乘本洋幸のりもと ひろゆきと対面している。


「不思議ですね…全く異常ありません」


「…!」


「ちょっと、触診失礼します。

…やはり消えていますね。おかしいなあ…。前回触診したときは確かにしこりがあったのに。

 念のため、1週間後、もう一度検査してみましょうか」


「…はい…分かりました」


病院からの帰り道、新宿の繁華街の屋外大画面には、国会中継が映し出されていた。与党人気の原動力ともいえる美人女性議員が、朗々と答弁をしているところだった。



 ところ変わって、株式会社ギャラクティカ。終業時間間際に、七海が凛太郎のいる営業部のデスクしまにまで出向いてきた。


「葛原君、もう仕事上がる?このあとちょっといいですか?」

「え、はい…もう少しで上がります」


凛太郎はいつものオドオドした様子である。どうやら九頭龍からいつのまにか凛太郎の人格に戻っているようだ。


「また『カルメン』でいい?」


「は、はい…」


回りの社員が驚いて振り向く。万年営業最下位のクズリンが、会社のアイドル・阿賀川七海に誘われ、「また」カルメンに食事に行くだと…?先輩の若生わこうは「ヒュー」と口笛を吹いた。


 30分後。レストラン『カルメン』。七海が凛太郎を問い詰めている。


「胸のしこりが完全に消えてたわ…。どういうこと?」


「そんなことを言われましても、僕には何が何だか… 大体、前回ここで気を失ってからの記憶がないんです。気づいたら自分の家にいました」


「…クズ君、あのとき急に気絶して、目を覚ましたと思ったら『我が名は九頭龍』とか、イタ~イこと言ってたんだけど。で、私の癌を食べたから、もう検査は必要ないとか何とか…」


「うぅーん…」


「ホントに記憶ないの?今までこういうことは一度もなかったの??」


「ありません。ただ、小さいころから夢の中で声が聞こえることがあったんです。いつも間にか聞こえなくなってたんですけど、最近突然、また聞いたんです。『起きよ、戦じゃ』とかって…」


「そう、そんな感じのしゃべり方だったわよ。おじいちゃんみたいな」


「ずっと僕の中に、九頭龍ってのが眠ってたんでしょうか…」

「私に聞かれても困っちゃうよ。…今、九頭龍には変われないの?私の体のことを教えてもらわなきゃ」


「やってみます…」


凛太郎は、目をギュッとつぶってうつむく。

数秒が経過した。凛太郎はうつむいたままである。


「ダメ…かしら?」


凛太郎は突然顔を上げ、「ギン」と目を見開くいた。縦長の瞳に、金色こんじきがかった緑の光彩。龍の目である。

九頭龍に変わった凛太郎は、凄みをきかせた表情でいう。


「何じゃ。儂は人間に呼ばれてほいほい出てくるような安い龍ではないのだぞ。」


七海は全く動じずに九頭龍に詰め寄る。


「九頭龍さんね!私の体をどうしたの?病院の検査で、腫瘍が消えてるって先生が言ってたんだけど!」


「…動じない女じゃな。」


九頭龍は目を点にする。意外とかわいらしい表情もする龍のようだ。


「キャンセルでよい、と凛太郎に言わせたのに。結局検査とやらを受けよったのか。人間が心配性なのは昔から変わらんな。

 …簡単なことよ。儂が食った。九頭龍といえば病気直し、これ常識。特に女子おなご腫瘍できものは、儂の大好物じゃ」


「…クズさんって、何者なの…?」


「何度も言わすでない。箱根は芦ノ湖の九頭龍大明神様じゃ。知らんのか?」


「知らないわよ… その九頭龍さんとやらが、なんで葛原君と二重人格なのよ。」


「フフン。二重人格という言葉は正しくはないがの。こやつの前世とちょっとした因縁があってな。こやつが生まれ変わるたびに、儂が守護神としてこやつを守ってやっておる」


「…葛原君、龍神に守られてたの?とてもそうは見えなかったけど…」


「つくづく男を見る目のないヤツじゃの。そんな調子じゃから嫁の貰い手もないのじゃ」


「な…失礼ね!彼氏つくらいないのはちゃんとしたワケがあるんです!」


「そのワケとやらは何じゃ。」


「それは…」


七海は少し言いにくそうに下を向く。

 七海は美人である。社内・社外に男性ファンがゴマンといる。言い寄ってくる男も絶えたことがない。この時代、27歳というのは十分に若い年齢であるが、ここまで独身を通し、あまつさえ恋人すらつくる気配がないのは、七海のスペックを考えたときにどう考えてもおかしい、と周囲は常々不思議に感じていた。七海本人もいわゆるコミュ力には自信があり、人望も厚い。男からも女からも良くモテるが、樹液に群がる昆虫のように寄ってくる男を退けるたびに、男子社員たちからの「氷の女王」というあだ名が定着していくこと、そして女子社員たちからも「なぜ男の影がないのか…?」と奇異の目で見られていることには、うすうす感づいていた。また一部の女子社員が「ひょっとして女性の方が好きなのでは…?」と胸を高鳴らせていることには、まったく気づいていなかった。


 七海は口を開いた。

「じつは今、お金を貯めなきゃいけないことがあって副業してて…

平日の夜も土日も、個人でデザインの仕事をしてるから、恋愛してる暇なんてないのよ…」


「ほーー。それだけこん詰めて働けば、体を壊すのは当然じゃ。癌にもなるわい」


「…」


七海は、ハッと何か思いついたように顔を上げた。


「ねぇ、九頭龍さんって、癌以外の病気も治せるの?」


「?」


(つづく)

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