私の家には一つだけ変わった伝統がある。一年に一度、家族の一人が決まった日に家の前の海へボトルメールを流すという習慣だ。これまで祖母が担ってきたその役割を今日、私が引き継ぐ。
「いいかい。自分の名前は最後のボトルメールまで書いてはいけないよ」
たった一つの祖母との約束。名前を手紙に書きたくなったけど、意味のないことを口酸っぱく言い続ける人ではなかったから名前を入れるのは諦めた。
『初めまして、今日から私が手紙を書くことになりました。私は……』
簡単な自己紹介から始めたが名前は書けないため少し戸惑ってしまう。念のため私だとわかるように手紙の最後に蛇のイラストを描こう。本当は祖母みたいに兎のイラストのほうが可愛らしくて好きだけど、私を示すなら蛇だから仕方がない。
完成した手紙をボトルに詰め海に行くと既にボトルが流れ着いているのが見えた。
流れ着いたボトルを手に取ると私は持ってきたボトルを海へと流す。海の先の誰かに届きますように。そんな願いを込めて流れていくボトルを眺めていた。
しばらくして流れ着いたボトルから手紙を出すと何故か安心するような香りを感じた。不思議に思いながら手紙を開けばそこには一人の女性の楽しそうな日常が描かれていた。
彼女もボトルメールを出すのは初めてのようで自己紹介から始まっている。相手も名前は名乗れないようでどこか戸惑いを感じさせる。絵について教えてみようかな。お互いに最後の手紙では名前を告げられたらいいなと思いながら手紙に書かれた女性の楽しそうで何故か懐かさを覚える家族の話を眺めていく。
ボトルメールを初めて海に流した日から長い年月が経った。受け取った手紙はすでに二十九通。そして今日は最後のボトルメールを海に流す日だ。次からは息子が役目を引き継ぐ。彼女の手紙に描かれた彼女自身を指す可愛らしい兎の絵が新たに見られないことを悲しく思ってしまう。最後の手紙を受け取ってしまえば、少しずつ上手くなっていく兎の絵を新たに見ることはもうできない。長いようであっという間だったこのやりとりを私は大切な思い出として胸に抱えながら生きるのだろう。もう会うことはできないけれど彼女との三十通の手紙は生涯の宝物になっていた。彼女の知らなかった一面もあの頃はわからなかった優しさも今ならよくわかる。叶うならもう少し続けたかったが、願いが叶うことはない。
息子はボトルメールに興味を持ってくれたからきっとまた三十年間、ボトルメールを続けてくれるだろう。少し不器用な息子のために馬の判子を用意しておくのも良いかもしれない。名前が書けなくても誰からの手紙かがわかるだけで嬉しくなるものだ。私がそうだったけど息子はどうだろうか。
ボトルメールを流す前に改めて手紙の中身を確認する。この手紙が届く頃、私はどうなっているのだろう。息子はどう思ってくれるのだろう。
ボトルメールが息子の大切な思い出になることを願って私は海に流した。