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第45話 『僕らの詩』

 夏休みが終わり、新学期が始まった。

 通学する学生たち。

 僕は、それを自室の窓からぼんやりと眺めていた。


「忙し忙し!」


 パンを口に頬張りながら、エリカが廊下を行ったり来たりしている。

 と思ったら、開け放しにしておいた入口から、エリカがひょこっと顔をだした。


「……何してんだ?」

「いいなお兄ちゃん、自宅謹慎とか」


 エリカは、ぷーっと頬を膨らませる。

 そう、僕はあの騒動の責任ということで、1週間の自宅謹慎が言い渡された。

 あれだけの騒ぎを起こしたのに退学や無期停学にならなかったのは、クラスのみんな、そしてヒナコ先生が学校に掛け合ってくれたからと聞いている。


「お兄ちゃんだけ、夏休みが1週間延びたようなもんじゃん!」


 人の気も知らずコイツは……。


「馬鹿言ってないで、早く学校行け」


 僕は、ため息をついた。


「べーだ!」


 エリカは小さな舌を出すと、姿を消す。


「まったく……」


 もう一度ため息をつくと、僕はまた窓の外に目を向けた。


「ねぇ……お兄ちゃん」

「なんだ、まだいたのか」


 振り返ると……。

 そこには、いつになく真剣な顔をしたエリカがいた。


「どうした?」

「あのときのお兄ちゃん……かっこ良かった! だから……」


 エリカは、一瞬言葉を切る。


「だから、ミサキさんのことは気にしないで!」


 胸に手を当て僕を見詰めるエリカ。

 僕を励まそうとしてくれていることが、痛いほどわかる。


「エリカ……」


 僕は立ち上がると、エリカに歩み寄った。

 そして、その頭に手を置く。


「ありがとうな」


 できるだけ優しく微笑みながら、頭をなでてやった。


「もー! いつまでも、子供扱いしないでよー!」


 エリカは、そう言いながらも僕の手から逃れようとはしなかった。


「それじゃ、行ってくるね」


 そんな僕に少しだけ安心したのか、エリカはパタパタと階段を下りていった。

 ややあって、玄関の扉が閉まる音が響く。

 僕は、コルクボードの写真に目を落とした。


「ミサキ……」


 そこには、変わらぬ笑顔のミサキがいる。

 窓から見える、青く澄んだ広い空に、ぽかっと浮かぶ白い雲々。

 それは、ミサキと出会ったときと良く似た空だった。




 それから1週間が過ぎた。

 謹慎が解けた僕は、みんなより1週間遅い登校となる。

 なんとなく緊張しながら校門をくぐったところで、偶然ヒナコ先生と出会った。


「先生………迷惑かけてごめんなさい!」


 謹慎中にレイジから聞いた話では、ヒナコ先生は辞表を提出しようとしていたらしい。

 あのとき先生が車の中で言ったこと。


『……私も覚悟は出来ているから』


 それは、このことだったのだろう。

 でも、クラスのみんなの嘆願たんがんと、僕の罪が比較的軽かったことと、先生のことは世間には知られていないこと。

 それらを踏まえて、学校側は僕と同じ謹慎一週間を先生に言い渡した。


「梨川くん、気にしないで。私は自分の信じた気持ちを貫いただけだから」


 そう言って、先生は僕の肩を優しく叩いた。


「先生……僕のしたことは正しかったのかな……? 先生や、みんなに迷惑をかけて……。ミサキだって、あんなことになって……」  


 絞り出すような声。

 胸が痛くて、僕はそこに手を当てた。

 そんな僕を先生は正面から見つめると、やがて口を開いた。


「何が正しいか、正しくないか……それは、これからのあなたが決めることよ。今は、いっぱい悩めばいいと思う。涙を流してもいい。真剣に悩んで流した涙は、きっと誰かに繋がるから。そうして見つけた答えは、きっと大切なものとなるはずだから」

「先生……」

「未来は誰のもとにも訪れる。それだけは忘れないで」


 そう言って、先生は笑顔を見せてくれた。



 久しぶりの教室。

 久しぶりに会うクラスメート。


「ガク、おはよー!」


 みんな、いつもと何ら変わらない様子で僕に接してくれた。

 誰も、あのことに触れてこない。

 気を遣ってくれているんだなと思う。


 自分の席に向かう。

 途中で、僕の視線はある場所に向けられた。


 それは、ミサキの席だった。

 そこには誰もいない。

 ミサキが帰ってこないことは、レイジから聞いて知っていた。

 誰も座ることのないその席は、どことなく寂しそうに見える。


「ふぅ……」


 息が漏れた。

 空には、まだまだ厳しく照らす夏の陽射し。

 だけど時折、頬をなでていく風は優しくて。

 耳に届く教室の話し声や、廊下を歩く人々の音は、あまりに自然で……。

 何も変わらないときの流れは、あの夏の出来事を夢と錯覚させてくれる。


 そう、今までのそれは長い夢で……。

 本当は、もうすぐミサキが教室に入ってきて……。


『久しぶり、ガク! 少し焼けた?』


 そう言って笑いながら席に座るんじゃないかって……。


「ミサキ……」


 僕は、目を細めた。


「もう一度、ゆっくり話がしたかったな……」


 小さなその声は、教室の喧騒に掻き消されていった。




 それから2ヶ月が過ぎた。

 教室には、今でも同じ場所にミサキの席はあり続ける。

 僕たちが彼女と共に過ごした期間は、ほんの数ヶ月。

 だけど、みんなにとっても大きな存在になっていたということなのだろう。


 僕は、空を見上げた。

 ここは、何も遮るものがない屋上。

 秋晴れの青い空に、飛行機雲が長く尾を引いていく。


 あの出来事の後、みんなそれぞれ何かを見つけて歩き出した。



 委員長のアサミは、医者になるらしい。

 将来は心臓外科医になり、まだまだ苦しんでいる人たちを救いたいと言っていた。

 真っ直ぐなアサミらしい、いい夢だと思う。

 彼女なら、必ず実現させられるだろう。



 カズマは、陸上部に入った。

 ブランクがあり、まだ思うようにはいかないが、それでも毎日が充実しているらしい。

 以前の感覚も少しずつだけど戻ってきているようだ。


「お前のベストを抜いてやるよ!」


 そう笑うカズマが、とても印象的だった。



 ハカセは……。


「第4条、恋愛をし告白しようとする者は、公安委員会の恋愛免許証を取得しなければならない」


 なんと、恋愛免許証を取ると言い出した。

 毎日、様々な本を見ているけど……。


「やあやあ、子猫さん。君という魅惑の果実に、僕のソウル鼓動ビートを刻むぅ! ……うむ、コレだな!」


 成果が出るのは、まだまだ先らしい……。



 そして、レイジは……。


「じゃあ、今度の日曜日ね?」

「そう、日曜日」

「わかった~、楽しみにしてる」


 校舎内から、男女の声が響いてくる。

 話し声からして、男1人に女2人。

 屋上の扉は開け放しになっているため、3人の声は良く聞こえてくる。


「にしても、2人と遊びに行けるなんて、俺は世界一の幸せ者だぜ!」

「もう、言い過ぎだよ」

「お気になさらず~」


 笑い合う声。

 あんな風に軽い話し方をする男を、僕は1人しか知らない。


「それじゃ、またね」


 男は別れを告げると、足取りも軽く階段を上がって来る。

 その足音が、次第に近付いてきて……。


「おーい、ガク!」


 屋上に辿り着くやいなや、勢いある声が飛び込んできた。


「レイジ……」

「1組のミワちゃんと、トモちゃんいるだろ? 今度の日曜日、一緒にライブ行くことになったぜ!」


 上機嫌な声。


「いや~、マジで楽しみだぜ!」

「ねぇ……そのライブ、私は連れてってもらえないの?」

「いや、悪いけどもうチケットが……」


 突然響く背後からの声に、笑いながら振り返るレイジ。

 だけど、その笑顔は瞬時に凍り付く。


「マ、マ、マ、マキ!?」


 そこには腕を組み、仁王立ちでレイジをにらむマキがいる。


「い、い、い、いつからそこに!?」

「最初から、ずっとそこにいましたけど?」


 そう言って、出入り口の脇の壁を指差す。


「うは……全然気付かなかった……」


 レイジは、がっくりとうなだれた。


「そ・れ・で……ライブ行くの?」

「ち、違うって! 俺はただ、ガクの為にだな……」

「でも、ガクは乗り気じゃなさそうだけど?」


 そう言いながら、マキは僕の隣りに並んだ。

 そして、僕の傍らに置いてあったノートを拾い上げる。


「また詩を書いてたんだ……」

「うん……」

「そっか……」


 マキは、そっとノートをめくった。




『僕らのうた


 君と過ごした いくつもの日々が

 僕の心の中 埋め尽くして

 忘れたいことだって 忘れられなくて

 とても大切な 思い出になった


 今からあの日を やり直せるなら

 その手を 離さないから

 どうか もう一度 僕に微笑んで

 お願い


 君の涙が 声が 優しさが

 この胸に あふれ出して

 僕は目を閉じるよ

 話したいことが たくさんあるから

 だから いつか……


 もしも2人が 再び出逢うことができたら

 涙こらえて 僕は微笑むから

 小さな喜びや幸せを 分かち合っていこう

 心からの笑顔を 君にあげたい


 いつかの 白い花のように




 読み終わったマキは、静かにノートを閉じた。


「いい詩ね……」

「ありがとう……。完成するのに、かなりかかっちゃったけどね」


 この詩を書きはじめたのは2ヶ月前。

 恋免の試験から帰ってきてすぐ、ミサキに影響されて書いてみた。

 初めて書く詩は上手くいかず、またアサミがお見舞いに来たこともあって……。

 あのときは、すぐに放り出してしまった。


 でも、ミサキが倒れて……。

 自分も同じように詩を書いてみたら、あのときの微笑みの理由がわかるかもしれない。


 そんな気持ちから、再び詩を書きはじめたのだった。


 でも――


「まだまだ、ミサキには届かない……」


 僕は、目を細めた。

 高いフェンスの向こうに街並みが広がっている。

 この方角に、伯父さんの教習所もある。

 そう、ミサキと過ごした教習所が……。


 少し風が強くなった。

 秋の風は次第に冷たさを増し、冬の香りを運んで来る。

 街は、今日も動いている。


「ミサキ……」


 その声は、空に街に吸い込まれていく。

 僕のスマホが、ポケットの中で振動した。




―――




「なぁ……」


 マキの隣りに並んだレイジは、静かな声を出した。


「ガク……あれからずっと空ばかり見上げてるよな」

「うん……。きっと、うつむくとこぼれそうなのよ」

「零れそう?」

「そう……色々なものが、ね……」

「そうか……」


 レイジはマキの肩を抱くと、自分の方に引き寄せた。

 不意に人の温もりが恋しくなったからだ。

 マキもそれを理解し、レイジの胸に頭をつける。

 目には見えないけれど、掛け替えのない大切なものが、そこにはあった。




―――




 パタンと音を立てて、僕は手帳型のスマホカバーを閉じた。


「……ガク、メールでも来てたのか?」


 その音に反応し、レイジが声をかけてくる。


「うん……メールが来た」


 僕は、レイジとマキに向き直った。


「ところで、さ……。恋免を取りに行ったときに、コトノさんって人と知り合いになったんだけど……」

「ガクがお世話になった人よね」


 マキの言葉に、僕はうなずく。


「コトノさん、コウイチさん、ユリちゃんにメグル君……。すごく素敵な人たちでさ……」


 そっと瞳を閉じた。

 まぶたの裏に、あのときの思い出が蘇る。


 あの人たちがいたから、僕は前に進めた。

 あの人たちがいたから、ミサキと同じ方向を見ることができた。

 あの人たちがいたから、今の僕がある。


「だから今度……」


 静かに目を開いた。

 レイジとマキが、僕を見つめている。

 2人に応えるよう、そっと微笑んだ。


 風が僕たちの間を吹き抜ける。

 とても優しい風。

 青空に浮かぶ飛行機雲は、流されてゆっくり形を変えていく。


 僕は言葉を続ける。


「4人で遊びに行かない?」

「ああ、そうだな……って、4人?」


 その言葉に、僕は最高の笑顔で答えた。


「そう、4人で!」

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