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第42話 『熱き矢の如く』

 ピピピピピーッ!


「はい、止まって!」


 響き渡る笛の音。

 そして、車内にまで聞こえてくる大きな声。

 彼女は、声の持ち主である警官の指示に従い、車を停車させた。


 誘導棒を持った若い警官たちの中に、1人中年の警官がいる。

 おそらく、声の主はこの中年警官だろう。

 彼が、車に近付いて来るのが見えた。

 彼女は、パワーウインドウのスイッチを押して窓を開ける。


「検問です。運転免許証を拝見いたします」


 切れ長の目が凛々しい中年警官。

 顔立ちや仕草から、大人の渋さを感じさせる。


 きっと、若い頃は相当モテたんだろな……。


 そんな考えが、の頭をふとぎった。


「何かあったんですか?」


 彼女は、助手席にあったバッグから運転免許証を取り出しながら問う。


「いえ……恋愛免許が無いのに告白しようとする少年がいましてね」


 警官は、免許証に目を落としながら答えた。


「そうなんですか」

「まったく、困ったものです。……ん?」

「どうか……しましたか?」

「いえ……あなたのお名前、睦美むつみ 日奈子ひなこさんというのを、どこかで見た気がしまして……」


 中年の警官は額に手をあて、しばし考える素振りを見せる。


「あの……失礼ですがご職業は?」

「私、高校で教師をしております」

「それって……もしかして、桜新おうしん高校では……?」

「はい、そこの2年2組の担任をしています」


 恐る恐る尋ねる警官に、ヒナコ先生は優しく答えた。


「ああっ、やっぱり! そ、それは失礼しました!」


 警官は敬礼をすると、慌てたように免許証を返す。


「いつも、息子がお世話になってます!」

「え? 息子さん?」


 先生は首を傾げた。


「申し遅れました、私はカズマの……。新発田しばた 一摩かずまの父です」


 そう言って、目の前の警官は頭を下げた。


「いつも息子がご迷惑おかけしています」

「迷惑だなんて、そんなことありませんよ」


 ヒナコ先生は微笑む。


「ちょっと不器用なところはあるけど……。友達思いのいい子ですよ」

「そ……そうなんですか?」

「はい」

「そうですか……」


 ため息混じりのその声には、安堵の感情がありありと見えていた。


「ああ、ところで先生」


 しかし、その声はすぐに仕事へと戻る。


「先生は、どちらに行かれるんですか?」

「はい、ちょっと駅まで。今日は実家の母が来ることになってまして、その迎えに」

「ああ、そうでしたか」


 カズマの父さんは、ポンと手を叩く。

 だけどその顔は、すぐに申し訳なさそうなものになった。


「すみません、この先は封鎖されてまして。車では駅の正面に行けないのですが」

「あら~、それは困ったわ」


 体をくねらせるような、ヒナコ先生の声。


「徒歩でしたら問題なく利用できるのですが……」

「困ったわ~、母は足が悪くて~」


 そんな先生に、カズマの父さんはニカッと笑う。


「でしたら、そこの路地を抜けて下さい。道なりに行けば、駅の裏手の方に出ますよ」


 明るく答えるその声からは、気さくな性格が滲み出ていた。


「わかりました、そこの路地ですね」

「あれっ? 新発田さん!」


 そのとき不意に若い声が響く。

 見れば、そこには20代くらいの警官が立っていた。


「新発田さん、何やってるんです!?」

「何ってお前、交通整理をだな……」

「そんなものは、若い者に任せればいいんです」


 若い警官は、やれやれと息を吐く。


「上の人は、もっとどんと構えてて下さいよ」

「何を言う! 俺はこう見えて、交通整理のシンちゃんと呼ばれてだなぁ!」

「そう言うわりに、後続車は別の者に任せ、ご自分は話し込んでたじゃないですか」

「うぐっ……。そ、それはだな……困ってる人がいたら手を差し延べるのが我々の使命であって……」

「はいはい、わかりましたから」


 若い警官は、苦笑いを浮かべながらカズマ父の背中を押していく。


「こ、こら、ちゃんと話をだな……」


 カズマの父さん……。

 顔は二枚目だけど、性格は三枚目なのかも……。


 小さくなっていく背中にヒナコ先生は会釈すると、教えられた路地に向かって車を走らせた。




 しばらく車を進めたところで、先生は前を向いたまま口を開く。


「……もう、出て来ていいわよ」

「ぶはぁ!」


 その言葉と同時に、僕は後部座席から飛び起きた。

 体を覆っていた大きめのブランケットが、パサリと下に落ちる。


「あ~、暑かった!」


 車の中はエアコンが効いているとはいえ、今は夏だ。

 頭からブランケットを被ってたら、そりゃ暑いに決まっている。


「ふ~~」


 僕は片手を団扇うちわのようにして風を送りながら、もう片方の手で額の汗を拭った。


「梨川くん……。時々、ブランケットから外を覗いてたでしょ~」

「えっ!? ……バレてました!?」

「バレバレよ、もう~」


 ルームミラーに映る先生は、ふうっとため息をついた。


「見付かるんじゃないかって、冷や冷やしたわよ」

「あう……ごめんなさい」

「まぁ、見つからなかったから良かったけどね」

「ほんと、お世話になりっぱなしで……」


 僕は今、ヒナコ先生の車の中にいる。

 ハカセの活躍で警官たちを振り切ることができたけど、駅の正面口に続く大通りはすでに封鎖されていて……。

 警察の人も、今まで以上にいっぱいで……。

 困っていたところを、たまたま車で通り掛かった先生に声を掛けられた。

 それで、事情を察した先生は、僕を半ば強引に車に乗せたのだった。


「ニュースの情報だと高校生は走ってるって言ってたし、車ならノーマークかなって思ったのよね。……でも、その高校生が、まさか自分のクラスの子だとは思わなかったわ」

「すみません……」


 肩をすぼめている僕に、先生は笑顔を見せる。

 ちなみに、駅にお母さんを向かえに行くというのは、本当のことらしい。


「ねぇ! 先生の演技、なかなかだったでしょ?」

「え!? あ、はい、それは……う~ん……」

「何よ? 言いたいことがあるなら、ハッキリ言いなさい」

「や……ちょっとクサい演技だったかなって……」


 僕は頬をかいた。


「えっ、そ、そうだった?」

「はい……。『あら~』とか言って、体をくねらせるとことか……」

「あ、あれは雰囲気を出そうとして!」


 頬を赤く染める先生の姿が可笑しくて、思わず口から笑い声が漏れた。


「まったく、誰のせいだと思ってるの」


 そういう先生も笑っていた。

 ひとしきり笑いあったあと、僕は先生に向き直る。


「……先生」

「うん?」

「なんで先生は、僕を助けてくれるんですか? 先生は大人なのに……」


 僕は、胸の奥に渦巻いていた疑問を口にした。

 規則を作るのは大人たちだし、それを破ったときに怒るのも大人たちだ。

 今の僕は、無免許での告白をしようとしている。

 普通なら、激しく怒られているとこだ。


「梨川くん……」


 僕の問いに、先生は少しだけ悲しそうな横顔を見せた。


「大人がみんな、敵だと思わないで」

「え……で、でも普通は……」

「子供が何かを成そうとするとき、大人がそれを信じられなくてどうする!」


 不意に響く強い口調。

 僕は驚き、思わず息を呑んだ。


「ふふっ……ビックリした? これね、私が高校生のとき、担任の先生が言ってた言葉なの」


 目を細めるヒナコ先生。


「いい先生でね……。私が教師を目指すキッカケになった人だったんだ」

「そうなんですか……」


 遠くを見詰めるような瞳。

 それは、昔を懐かしんでいるかのようにも見えた。



 車は駅の裏手に到着した。

 ここから駅は、目と鼻の先だ。


「梨川くん……」


 ヒナコ先生は路肩に車を止めると、静かに振り返る。


「私は、あなたを信じる。あなたのその想いは、間違いなんかじゃないって信じてる」

「先生……」

「そして、この恋の答えは、あなた自身で確かめてほしい」


 そう言って、先生は優しく微笑んだ。


「教師という道を見つけた、あのときの私みたいにね」

「答え……」


 そうか……。

 告白をしたからといって、それが上手くいくとは限らない。

 フラれることだってあるんだ……。


 でも……。

 あのときこうしていれば……。

 と、後になって後悔するのだけは、もう嫌なんだ!


 だから、僕はミサキに告白をする。

 これが僕の答え。

 ミサキから、どんな返事がもらえるかは分からないけれど……。

 僕は、それを受け止めなくちゃいけないんだ!


「いい目をするようになったね」


 不意にヒナコ先生が言う。


「少し前と違って、迷いがなくなった気がするよ」

「そ、そうかな……」


 なんだか、少し照れ臭くなった僕は、平静を装いつつ頬をポリポリとかいた。


「……あ、でもね!」


 そんな僕に、ヒナコ先生は向き直る。


「私は、梨川くんに法を犯すことを勧めているわけじゃないからね?」


 先生は、少し笑いながら言った。


「恋愛法は、私たちの暮らしを守るためにできたもの。それは間違いないから」

「そう……ですね」

「だから、あなたが戻ってきたら、何らかの罰を受けてもらうことになると思う」


 その顔は微笑んではいるけど、目は真剣だった。


「その覚悟はできてる?」


 静かな。

 だけど、強さを感じさせる声。


「……はい!」


 その声に緊張しながらも、僕は先生の目を真っ直ぐに見詰め答えた。


「そっか……。わかった」


 僕の答えに満足したように、先生は何度もうなずいた。


「それじゃ、早く行ってきなさい」


 そう言って、指し示す先。

 そこには駅の構内へと続く狭い階段があった。


 その場所は駅の裏手ということもあり、利用する人は少ない。

 ただ今は、検問の影響で正面入口が利用し辛いためか、数人の人影が見て取れた。


 その中には、警官の姿もある。

 人数は2人。

 階段の入口に立つ彼らは、この入り口を利用する者をチェックしているようだった。


「こんなとこにも……」


 通行人を見詰める警官の鋭い目。

 僕は思わず、息を呑んだ。


「大丈夫、私に任せて」

「先生……?」

「……私も覚悟は出来ているから」

「えっ!? それって……」


 驚く僕に、先生は笑顔を見せる。


「今から私が警官の注意を引き付けるから、梨川くんはその隙に行きなさい」

「で、でも!」

「あなたの答え、しっかりと示しなさい!」


 僕を、真っ直ぐに見つめる先生。

 その笑顔は、どこか晴々としている気がした。


「ほら今よ! 降りて!」

「先生……」

「早く!」


 その勢いに押し出されるように、僕は後部席の扉を開けて外に出た。

 それと同時に、先生も車から降りる。

 僕が車の陰に身を隠したのを確認すると、先生は警官の方に歩を進めた。


「すみませ~ん、ちょっとお聞きしたいのですが~」

「はい、何でしょうか?」


 先生の演技に、キビキビと言葉を返す警官。


「田舎から出てくる母に~、何か美味しいものを食べさせたいのですが~」

「は? ……はぁ」

「どこか、オススメのお店はありませんか~?」

「い……いえ、そういうのはちょっと……」


 ヒナコ先生の言葉に、警官は戸惑いを隠せない。


「お願いします! 母はグルメなんです!」

「そ、そんなこと言われましても……。お、おい、ちょっと来てくれ!」


 くねくねした調子から、すがりつくような口調に急変するヒナコ先生。

 完全に困惑した彼は、もう1人の警官に助けを求めた。


「お前、どこか美味い料理屋を知ってるか?」

「い、いきなりそんなこと言われてもなぁ……」

「お願いします! 教えて下さい! じゃないと私……私ぃぃぃ!」

「ちょ、ちょっと落ち着いて! ちょっと!」


(いまだ……!)


 2人の警官が髪を振り乱す先生に気を取られている隙に、僕は車の陰から走り出す。

 音を立てずに素早く!

 まるで忍者のように走る僕は、どうにか駅の裏口の階段へと辿り着いた。


「ありがとう、先生……」


 僕は一度振り返ると、そうつぶやく。

 そして、再び階段に目を戻した。

 長く薄暗い階段の先に、構内の明かりが見える。


 ここまで来たら、あと少しだ!


 僕は、弓から放たれた矢の如く走り出した。

 その輝きに導かれるかのように。


 今、光りあふれる場所へ!




―――




 せわしない人の流れを眺める私。

 街は、部分的に交通規制があるみたいだけれど……。

 駅の中は、それでもたくさんの人がいる。


 交通規制って、何かあったのかな?

 事件とか、事故とか……。


「ミサキ、どうした?」

「こっちにいらっしゃい」


 首を傾げている私に、少し離れたところからお父さんとお母さんが声をかけてくる。


「そろそろ新幹線が来るわよ」

「うん……」


 お母さんの言葉にうなずくと、2人の所に向かった。


 今から私たちは、新幹線に乗って空港に行く。

 そこから、飛行機でアメリカに行くことになっているの。


 旅行?

 って良く聞かれるけど……。

 旅行だったら、どんなに嬉しいか……。


 私は、心臓弁膜症しんぞうべんまくしょう

 それは、心臓にある弁が、上手く働いてくれない病気。


 お医者さんから、体に負担をかけちゃダメって言われてて……。

 だから、体育はいつも見学だった。

 運動なんて、できなかったんだ……。


 アメリカには、この手術のために向かうの。

 向こうに、心臓外科の第一人者の先生がいるって……。


「ミサキ、安心してていいんだぞ」

「そうよ、手術なら大丈夫。凄く有名な先生なんだから」

「うん……」


 お父さんもお母さんも、私をこうやって励ましてくれるけれど……。

 手術に失敗したら命を失うかもしれないことも、私は知っている。


 怖い!

 そのことを考えると、夜も眠れなかった。

 部屋の隅で、震えながら朝を待ったこともある。


 闇の中に溶けていくような……。

 私という存在が無くなってしまいそうな感覚……。


「ミサキ?」


 うつむいていた私に、お母さんがもう一度声をかけてくる。

 でも、ここで私が弱音を吐いたら、2人に心配かけちゃう……。

 だから――


「私なら大丈夫だよ」


 私は、一際明るい笑顔を見せた。

 もちろん空元気だけど、元気がないよりいいよね……。


「そう……? それならいいけど」


 私が見せた笑顔につられたのか、お母さんも一緒に笑う。


 やっぱり……笑顔でいなきゃ……。


「ミサキの友達は、見送りに来ないのか?」


 お父さんの言葉に私は首を横に振った。


「お友達に会ったら……行くの辛くなっちゃうから」

「そうか……」


 お父さんはうなずくと、床のトランクを掴んだ。

 私も、バッグを肩にかけ直す。


 でも……。

 本当は……。


 後ろを振り返る。

 改札口の周りには、たくさんの人の姿がある。

 だけど、そこに私の知っている人はいない。

 歩き出す、お父さんとお母さん。

 私も、その後に続いた。


 歩きながら、もう一度だけ振り返る。

 でも、そこはさっきと何も変わらない風景だった。


 短い間だったけど、大好きだった街。

 ここで出会った大切な人たち。


 私はもう、帰って来ることはできないかもしれない……。


「サヨナラ……」


 小さくつぶやくと、私は前を向いた。

 願わくば、この声が風に乗って皆に。

 そして、彼に届きますように……。


 私が、そう祈りを込めた瞬間……。

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