目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報
第34話 『彼女になりたい』

 シュー……。


 と、加湿器が音を立てる部屋の中。

 そっと目を開くと、そこには見慣れた天井がある。

 見慣れた部屋、見慣れた物、見慣れた景色。

 そう……。

 ここは僕の家だ。


「ふぅ……」


 自然と漏れるため息を隠すように、タオルケットを鼻まで引っ張り上げた。


「はぁ……」


 それでもため息は止まらない。

 僕は今、自分の部屋のベッドの中にいる。

 昨日のこの時刻は、確か・・免許センターで試験を受けていたはず・・だ。


『確か――』

『――はず』


 曖昧なのは、そのときの記憶がほとんどないからだ。

 あのときの僕は、再び襲ってきた高熱にうなされながら試験を受けた。


「試験は、なんとか最後までやり切った……と思う」


 だけど、それはただの幻覚かもしれなくて……。

 本当だったとしても、そんな状態でまともな解答ができているとは思えなくて……。

 素直に喜ぶことは出来なかった。


「いつもそうだ……」


 ギリッ!

 歯噛みの音が響く。


「僕は……いつもいつも最後のツメが甘い……」


 陸上のときも……。

 今回の試験も……。

 そして、ミサキに対しても……!


 本番に弱い自分が情けない。

 試験終了後は、合格発表を待たずに伯父さんの車で病院に直行。


「母さん……びっくりしてたっけ……」


 駆け付けた母さんは、驚きを隠せないようだった。

 まぁ……。

 真っ青な顔で点滴を受けている息子を見たら、仕方のないことだろうけど。


 その後、僕は家に帰り、フラフラしながらも服を着替えてベッドに入ったんだよな……。


「今、何時だろ……?」


 ふと見た時計の針は、午前10時を指している。


「確か、帰ってきたのが午後4時くらいだったから……18時間も寝てたのか」


 点滴のおかげか、たっぷり寝たおかげか、はたまたその両方か。

 体はかなり楽になっている。


「ふぅ……」


 僕はため息をつくと、顔を横に向けた。

 机の上のペンとノートが目に入る。


「……詩でも、書いてみようかな」


 つぶやき、それらに手を伸ばした。




 そして、1時間後……。


「うーあー!」


 そこには、頭を掻きむしる僕がいた。


「くぅ……一応できたけど……」


 ノートを眺める。


「やっぱり、ミサキみたいにはいかないや……」


 深いため息が、口から漏れた。

 僕はノートを閉じると椅子から立ち上がり、トボトボとベッドに向かう。

 そして、再びベッドに体を預けた。


「あ~、やめたやめた!」


 背伸びをしながら言う。

 意外と大きな声が出た。


「こんなんじゃ、また熱が出ちゃうよ……」


 窓から差し込む日差しが眩しい。

 僕は、腕で目を隠した。


「こんなのやったことないし……。やっぱり僕には向いてないのかな……」


 人間、諦めが肝心という。

 でも、諦めたらそこで終わりという人もいる。

 一体、僕はどちらを信じたらいいのだろう……。


「あ~あ、ミサキ、何してるかな……」


 心の声が、そのまま口からあふれ出る。

 試験後、そのまま病院に直行した僕には、ミサキのその後はわからない。


 僕はふと、壁のコルクボードに目を向けた。

 そこには、前に撮ったプリントシールの写真が貼ってある。

 可愛い笑顔でVサインを作るミサキ。


「お見舞い……来てくれないかな……」

「お兄ちゃーん!」


 つぶやいた瞬間、部屋の扉が勢い良く開き、妹のエリカが姿を現した。


「違うんだよ……」


 漏れるため息。


「エリカに来てほしいんじゃないんだよ……」

「なに言ってるの?」


 エリカは憮然ぶぜんとした表情で僕を見る。


「お兄ちゃんに、お客さんだよって言いに来てあげたのに」

「え? お客さん? ……誰?」

「女の人。お見舞いだって」

「えっ!?」


 思わず、胸が強く脈打った。


「その人、玄関で待ってもらってるけど……」

「すぐ行く!」


 言うが早いか、僕はエリカの横を走り抜け廊下に出る。


 が――


「……あっ、ダ、ダメだ!」


 すぐに部屋に引き返した。

 そして、クローゼットを開き、中の物を探り出す。


「これじゃない、あれも違う!」

「……何してんの?」


 エリカが、後ろからのぞき込む。


「服を選んでるんだよ! お見舞いに来てくれたのに、パジャマじゃ失礼だろっ!」

「お見舞いに来たんだから、パジャマでいいと思うけど……」


 短く息を吐くエリカをよそに、僕は服を引っ張り出す。


「早くね~」


 付き合いきれないといった様子で、エリカは部屋から出て行った。


「よし、これで!」


 あれこれ探した割に、結局はジーンズとTシャツというラフな格好。


「でもTシャツは、あのメーカーのだから」


 合宿所で僕とミサキが着ていたジャージ。

 彼女も、このメーカーの服が好きと言っていた。

 これなら間違いないだろう!


「よしっ!」


 部屋を飛び出した僕は、一気に階段を駆け降りた。


「う……」


 だけどそのとき、不意に目眩めまいが襲い来る。

 完治していない体には、まだちょっと厳しかったかも……。


 で、でも、負けるもんか!

 病は気から!

 愛は力だ!


「お待たせーっ!」


 すべるように到着した僕は、できる限りの爽やかな笑顔を玄関で待つ彼女に見せた。


「な、梨川くん……」

「あ、あれ?」


 驚きの表情で僕を見る彼女。

 そこにいたのは、ミサキではなく――


「委員長!?」


 それは、学級委員長の飯塚いいづか 麻美あさみだった。

 爽やかなボーダーのTシャツと、裾が朝顔の花ようにふわりと広がっているスカート姿。

 確か、フレアスカートって言うんだっけ。

 手にした手提げ籠バスケットと、ミディアムボブの髪型が、その服装に良く栄える。

 清潔感あるその姿は、全身から知的な美しさをかもし出していた。


「い、意外と元気そうね」


 アサミは、引きつった笑顔を見せる。


「な、なんで委員長が……!?」

「私じゃ残念?」


 口をパクパクと動かす僕を、鋭い瞳でにらむアサミ。


「偶然、家の前を通ったら、妹さんに会って……」

「えっ、エリカに?」

「そ、そう! それで、梨川くんが寝込んでるって聞いて、可哀相だから来てあげたのに!」

「ゴ、ゴメン、そうだったんだ」


 顔を赤くして抗議するアサミに、僕はとっさに謝った。


「……でも、あれ?」

「なによ?」

「委員長の家ってこっちじゃないよね? なのに偶然って……?」

「う、うるさい! 私がどこを通ろうと、私の勝手でしょ!」


 ますます顔が赤くなる。

 もしかして僕、かなり怒らせてる!?


「梨川くん!」

「は、はいっ!」


 思わず姿勢を正す。

 そんな僕を値踏みするように見ると、アサミは口を開いた。


「せっかく来たんだから……中に入れてよ」

「えっ!?」

「ど、どうせまだ……な、夏休みの課題は終わってないんでしょ?」


 そう言うアサミは、今までで1番赤い顔をしていた……。




「ここが梨川くんの部屋なのね」


 アサミが部屋の中を見回す。

 心なしか、コルクボードの写真をよく見ている気がする。


「あまり綺麗じゃないけど」


 苦笑いを浮かべる僕に、アサミは首を横に振った。


「そんなことないわ、ちゃんと整頓されてるじゃない」

「あ、ありがとう……」


 予想外の褒め言葉に、僕は少し照れながらお礼を言った。


「じゃあ、その辺に座ってて。今、お茶を持ってくるから」

「あ……だ、大丈夫!」


 そう言うとアサミは、後ろ手に持っていたバスケットを、ぐいっと突き出す。


「わ、私……。ぐ、偶然ケーキ焼いてきたから!」


 そこには大きめの水筒と、皿とフォーク、そして箱に入ったケーキがあった。


「ケーキを焼いてきたって、どんな偶然だよ……」

「う、うるさいわね!」

「うわっ!?」


 つぶやいた僕の胸を、アサミは両手で突く。


「病人は、ちゃんと寝てなさいよ!」

「わっ、ちょっと、やめ……うわっ!」


 なおも連続して突くアサミの前に、僕はベッドの上に転がった。

 すかさず、アサミがタオルケットをかける。


「な、なんだよ! 僕はケーキを食べられないの!?」


 抗議の声を上げる僕を、アサミはジロリと見た。


「……梨川くん、そんなに食べたいの?」

「え? そりゃあまぁ……せっかくだし」

「じゃあ……」


 続くアサミの言葉に、僕は耳を疑った。


「わ、私が食べさせてあげるわよ!」


 顔を赤らめ、伏し目がちに言うアサミ。


「な、な、な、なんで!?」


 驚く僕の脳裏に、不意にミサキの言葉が蘇る。


『アサミちゃん、ガクのこと好きって噂だよ』


 藤堂家を出て、2人で夜道を歩いているときの言葉だ。


 まさかとは思うけど……。

 でも、まさか!?


「ねぇ、梨川くん……」

「は、はいっ!?」


 僕を呼ぶ言葉に、思わず声が裏返りそうになる。

 心臓が、雷みたいに激しく鳴り出した。

 そんな僕を、アサミはジッと見詰めている。


 やがて、その口がゆっくりと開いた。


「梨川くんって……彼女……いないよね?」

「う、うん……それは……まぁ……」

「じゃ……じゃあ……」


 その後に続いた言葉は、僕に更なる衝撃を与えた。


「わ……私が、彼女になってあげてもいいわよ……」


 えええええええええええ――――っっっ!?!?!?


 潤んだ瞳で僕を見つめるアサミ。

 その言葉は、まるで山彦のように、頭の中で幾重にも響き渡っていた。

コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?