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第33話 『夢幻』

「ここは……?」


 僕は、辺りを見回す。

 何もない、暗闇の世界。


「だ、誰かいませんかー!?」


 不安に駆られた声は、情けないけれど震えていた。


「……あっ!!」


 そのとき不意に、闇の中に人の後ろ姿が浮かぶ。

 僕は、思わず走り出した。


 闇の中に現れた者。

 その、程よくうねる癖のある髪と、適度に脱力したあの立ち方。

 あの背中は間違いない!


「レイジ!!」


 僕は、レイジの肩に手をかけた。


「ここってどこ? 何でこんなとこに? みんなは?」


 一気にまくし立てる。

 しかし、レイジは背を向けたまま。


「ね、ねぇ、レイジ……?」


 その様子に不安感を覚えた僕は、もう一度名前を呼んだ。


「ふぅっ……」


 彼は短くため息をつくと、肩に置かれた僕の手を振り払った。


「なぁ、ガク……」


 ゆっくりと振り返るレイジ。


「お前は、こんなとこで何やってんだ?」

「何って……」


 そんなの、こっちが聞きたい!


 そう思った瞬間――


「ガクは臆病なのよ!」


 不意に響く声。

 僕は、慌てて振り返った。


「マキ!?」

「そうやって、いつまで逃げてるつもり?」

「ち、違う、僕は……」


 たじろぎながら後ずさる。

 足が、何かに触れた。


「机の……足?」


 そこには、席に腰掛けたハカセがいた。


「ハカセ……」


 ハカセは僕を一瞥いちべつすると、眼鏡を直しながらフンと鼻を鳴らした。

 更にその後ろには、学級委員長のアサミ、そしてクラスメートの皆がいる。

 誰も言葉を発さないけれど、その代わりとても冷たい目で僕を見てくる。


「なんなんだよ、みんな!?」


 いたたまれなくなった僕は、思わず、そこから走って逃げようとした。

 その瞬間――


 ――ドシン!!


 突如、現れた何かにぶつかり、激しく尻餅をつく。


「いてて……」


 痛む腰を腰をさすりながら、ゆっくり顔を上げる。


「なんなんだ……」


 僕の瞳に映るもの、それは……。


「カ、カズマ!?」

「この中途半端ヤロウ!!」


 そのにらみで人が殺せるんじゃないかというような瞳で、カズマは僕を見る。


「ハンパは良くないぜ」

「しっかりしなさいよ!」


 レイジ、マキ、そしてクラスの皆が様々なことを口にしながら僕に近付いてくる。

 そんな中、ハカセだけはずっとフンフン鼻を鳴らしていた。


「中途半端なヤツが、1番ムカつくんだよ!」


 拳を振り上げるカズマ。


「――っ!!」


 僕は、思わず瞳を閉じた。


 だけど……。


「あ、あれ……?」


 拳は、いつまで経っても振り下ろされない。


「いったい、何が……」


 恐る恐る瞳を開く。

 僕の瞳に映るもの、それは――


「ミサキ!?」


 両手を広げ、僕をかばうように立つミサキの後ろ姿だった。


「みんな、違うよ!」


 ミサキは言う。


「ガクは、色々回り道するけど、ちゃんと前を見て歩いているんだからっ!!」

「ミサキ……」


 振り返ったミサキは、僕に微笑みを見せた。

 暗闇の世界に、一陣の風が吹く。


「大丈夫……私は信じてるから」


 僕の中で、何かが弾け砕ける音がした。

 優しい風が吹く。

 輝く風は闇を吹き流し、その下から緑の大地が現れる。

 僕の足元に広がる、果てしない草原。


「ガク……」

「ミサキ……」


 僕たちは光に包まれ手を取り合った。

 瞳を閉じるミサキ。

 僕も閉じる。

 ゆっくりと顔と顔が近付いていく。


 光が広がっていく――




「……んあっ!?」


 気が付くと、僕は枕を抱きしめていた。


「あ、あれ? ミサキは?」


 慌てて体を起こし、辺りを見回す。

 でも、そこにはミサキも、緑の草原もなく――

 そこは、タンスやテーブルが置かれた、6畳ほどの一室だった。


「夢か……」


 僕はつぶやくと、再び横になり布団を鼻まで引っ張り上げる。


「なんて夢みてるんだ……」


 思わずため息が漏れた。


「それにしても……ここ、どこだろ……」


 布団を被ったまま、目だけで辺りを見回す。

 タンス、テーブル、壁掛け時計、額に入った表彰状……。


「あ……ここ、伯父さんの家だ」


 僕はつぶやく。

 教習所のすぐ隣りにある伯父さんの家。

 前に、何度か来たことがあった。

 おそらく、僕を看病するのに自宅の方が都合良かったのだろう。


「そうだ……試験行かなきゃ……」


 壁の時計に目を向ける。

 時計は、午前7時半を指していた。

 追試の受付は8時半から。


「今からなら、まだ間に合う……」


 僕は、そう言って立ち上がる。

 その瞬間――


「うあっ……」


 激しい目眩めまいに襲われ、片膝を付いた。


「うう……本格的に風邪を引いたかな……」


 僕は、頭を振る。

 ふと枕元に目を向けると、そこには体温計があった。


「よし……」


 僕はツバを飲み込むと、それを脇に挟んでみた。



 しばしの後……。


「うわ……39度……」


 口から落胆の息が漏れた。

 体温を知ってしまった今、体は余計ダルさを感じる。


「測らなきゃ良かった……」


 なんだか、寒気までしてきた。


「で……でも……」


 僕は、顔を上げた。


「この追試は……休むわけにいかないんだ……!」


 四肢に力を込める。

 倒れそうになる体を壁に預け、僕はなんとか立ち上がった。


「ミサキと……約束したんだ……」


『私、信じてる!』


 夢の中のミサキの言葉が蘇る。


「行かなくちゃ……」


 僕は、壁にもたれるようにして、ゆっくりと歩き出した。

 扉の向こうから、伯父さんたちの声が聞こえてくる。


「あなた、学司は一度家に帰した方が……」

「ううむ……」

「『ううむ』じゃないでしょ! 夕べ、熱が40度もあったのよ?」

「そうだな……。とてもじゃないが試験は無理か」


 ため息混じりの伯父さん。


「そうよ。無理して、肺炎にでもなったら……」


 心配そうな伯母さんの声。


「仕方ない……。学司のためにも、今回の追試は見送ることに……」

「ちょっと待って!!」


 僕は、

 バンッ!!

 と扉を開け、2人の間に割って入った。


「が、学司、まだ寝てなきゃ……」


 僕を心配する伯母さん。


「ありがとう伯母さん、もう大丈夫」


 そんな伯母さんに、努めて笑顔を返す。

 そして、伯父さんを見た。


「心配かけちゃったけど……もう大丈夫!」

「本当に大丈夫なのか?」

「うん」


 僕は、うなずく。


「熱も、さっき測ったら37度まで下がってたし」


 もちろん、嘘だ。

 だけど僕は、真っ直ぐ伯父さんを見詰めた。


「学司……。免許は、また来年でもいいんだぞ?」

「うん、ありがとう……。でも、この夏は今しかないから」


 伯父さんは、僕を見詰め返す。


「本当に……大丈夫なんだな?」

「あなた!」


 驚く伯母さんの声が、キーンと頭に響く。


「大丈夫だよ、伯母さん」


 でも、僕は微笑みを作った。


「僕は本当に大丈夫。……それに約束したんだ」

「約束?」

「うん……。僕はもう、みんなの期待を裏切りたくない」

「学司……」

「だから……僕を試験に行かせて下さい!」


 それまで寄り掛かっていた壁から手を離し、勢い良く頭を下げる。


 沈黙――


 静けさが辺りを包み込む。


「学司――」


 ややあって、伯父さんの声が響いた。


「……すぐに出発するぞ」

「伯父さん!」

「車の準備をしてくる」


 そう言って立ち上がる伯父さん。


「仕方ないわね……」


 伯母さんも、困ったような笑顔で立ち上がった。


「今、おにぎりを握ってあげるから車の中で食べなさい」

「伯母さんも……ありがとう……」

「でも、くれぐれも無理しちゃダメよ?」

「うん!」


 僕の返事に、伯母さんは本当に嬉しそうな顔を見せてくれた。




 一度自室に戻り、受験票と筆記用具、参考書を鞄に詰める。

 表に出ると、伯父さんが宿舎のすぐ近くに車を回してくれていた。


「行ってきます」


 見送りの伯母さんからおにぎりを受け取った僕は、伯父さんの車へと歩く。


 正直、歩くのも辛い。

 今、ここで倒れてしまえばどんなに楽だろう。

 だけど、そんなことをしたら確実に試験は受けられない。


 背中に嫌な汗が伝うのを感じながら、僕は平静を装って後部席を目指した。


 そのとき――


「あっ、ナッシー!」


 背後から聞こえる声。


「この呼び方は……」


 振り返る、僕の瞳に映る人。

 それは……。


「リオさん!?」


 それは、頭も体も中学生のような大学生、樟葉くずは 莉緒りおだった。

 なかなかのスピードで走るリオさんは、すぐに僕の元に到着した。


「はぁ、はぁ……あはは、間に合った」


 息を整えながら笑うリオさん。


「リオさん……」


 そんな彼女に、僕の口が動いた。


「何でいるの?」

「ちょ……!?」


 僕の言葉に、リオさんの顔色が変わる。


「ちょっとー! それってあんまりなんじゃないかなー!」

「や……だ、だって、もう免許取ったんじゃないの? 何でココに?」

「わざわざ見送りに来てあげたのに、そういうこと言っちゃうのかな、キミは!」


 唇を尖らすリオさん。


「えっ、見送り!? 僕のために来てくれたの?」

「ふふっ、惚れんなよ」

「惚れないよ!」


 そんな僕たちのやり取りに、伯父さんたちから笑いが起こる。


「う……で、でも、わざわざありがとう」


 少し恥ずかしくなった僕は、頬をかきながらお礼を言った。


「大丈夫。気にしないでいいよ」


 リオさんは笑う。


「私のアパート、ここから近いからさ」

「えっ、そうなの?」

「うん。だから免許も合宿じゃなくて良かったんだけど……。こっちの方が楽しそうかなーって。それに、ね……」


 そこまで言うと、リオさんは僕をジッと見詰めてきた。


「合宿に参加したから、こうしてナッシーにも出会えたんだしね」

「えっ!?」


 不意なるその言葉に、思わず胸が脈打った。


「ナッシー、だから惚れんなって」

「そ、それは僕のセリフだろーっ!」


 いたずらな笑みを浮かべるリオさんに、僕は必死に抗議する。


「ふふふ、ナッシーが惚れる相手は、あっちじゃないかな」


 リオさんは、背後を指差した。


「だから、惚れるとかって……」


 だけど、彼女が指し示す先を見た僕には、それ以上言葉が出せなかった。

 そこには、ミサキがいたのだ。

 白いワンピースに身を包んだその姿は、彼女が好きなヤマボウシの花のよう。 

 朝の風をまとい、長い髪が揺れ動く。


「ミサキ……」


 そこだけ世界が変わったかのような幻想的な光景に、僕は思わず息を呑んだ。

 ゆっくりと、こちらに歩いてくるミサキ。


「彼女のこと、好きなんでしょ?」


 リオさんが耳元でささやく。


「な、なんでそれを……」

「ふふふ。ナッシーは、わかりやすいからかなー」


 そう言って、リオさんはいたずらな笑みを浮かべた。


「ほら、行ってきなよ」

「うわっ!?」


 背中を押された僕は、よろけるようにしてミサキの前に立った。


「お、おはよ……」

「おはよ……ガク」


 伏し目がちのミサキ。

 いつもと様子が違う気がする。


「ど……どうしたの?」

「ううん……」


 心なしか、白い頬が紅く染まっているようだ。

 夕べは色々あったからな……。


「ガク、ケガは大丈夫?」

「うん……案外打たれ強いみたい」


 そう言って僕は笑う。


「ほんと、ゴメンね……」


 ミサキが、潤んだ瞳で見詰めてくる。


 や、やばいって!!

 そんな瞳で見詰められたら、ますます熱が上がっちゃうから!!


 鼻の奥がツンと熱い。

 鼻血でも出るんじゃないか……!?


「学司、そろそろ出発するぞー」


 運転席の伯父さんが言う。


 ふぅ……助かった……。

 本当はもっと話していたいけど、今の体調でこれ以上興奮するのは良くない。


「ゴメン……もう行かなくちゃ」

「ガク、あのね……」


 ミサキは胸に手を当て、その手をキュッと握り締めた。


「あのね、私……」


 思い詰めるような表情。

 それは、出会った頃のミサキと同じように見えた。

 どこかうれいを持った、あの瞳に……。


「ミサキ……?」


 だけど、次の瞬間、彼女の顔には笑みが浮かんだ。


「ううん……試験頑張ってね」

「う……うん、ありがとう」

「ほら、早く行かないと遅れちゃうよっ」


 そう言って笑う彼女は、いつものミサキに戻っていた。


 気のせいだったのかな……。


「ガク、どうかした?」

「う、ううん! それじゃ、行ってくるね!」

「うん……行ってらっしゃい」


 ミサキたちに見送られ、僕は免許センターへと向かった。


「学司は、なかなかモテるんだな」


 運転をしながら伯父さんは笑う。


「そんなんじゃ……ないよ」


 つぶやくようにそう答えると、僕は窓に頭を付けた。

 ひんやりとした感覚が、とても心地好い。


「恋愛免許証……。ミサキのためにも必ず取ってみせる!」


 窓から見える空は、夕べの雨が嘘のように澄み渡っていた。




 免許センターに到着した僕は、伯父さんにお礼を言って試験会場に向かった。

 手続きを済ませ、自分の席に座る。

 周りでは、受験生が参考書に目を落とし、必死に追い込みをしている。


「よし、僕も復習しておこう」


 そう呟き、鞄から参考書を引っ張り出した。


 うん。

 やる気はある。

 やる気はあるんだ。


 だけど……。


「あれ? 文字が二重に見える……」


 僕の気持ちとは裏腹に、病魔は体をむしばんでいくらしい。

 激しい目眩が、再び襲ってきた。

 体は寒いのに、汗がにじみ出てくる。

 こういうの、脂汗っていうんだっけ……。


「れ……れも……負けないんだじょー……」


 呂律ろれつの回らなくなった言葉が、辺りに空しく響き渡った……。

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