暗い夜道を必死に走る。
僕の足音だけが、闇の中に響いていく。
「くそっ、どこに行ったんだ!!」
込み上げる苛立ちに、僕はそう吐き捨てた。
『ありがとう……』
ミサキの瞳から、こぼれ落ちる涙。
その表情が、胸の奥に深々と突き刺さっている。
好きだった先輩には彼女がいて、その愛を目の前で見せ付けられる形になった。
これが、どんなに辛いことか僕にはわかる。
片思いの相手の瞳には、自分の姿は映らない。
皮肉にも、僕とミサキの関係がそうだったから……。
「ミサキ、どこだよ!!」
外灯の下、コンビニ、まさかとは思ったけど、近くの駅にも行ってみた。
だけど、やっぱりミサキの姿はなかった。
「ミサキ――――――――ッッッ!!!!」
僕の叫びは、厚い雲の中に吸い込まれていった。
どれくらい走り続けたろうか。
いつしか僕は、住宅地の外れの道にいた。
ここまでくると家もまばらで、街灯もあまりない。
「ミサキ、どこ行っちゃったんだよ……」
今頃ミサキは、一人さびしく震えているのだろうか……。
そのとき、夜道を走る僕の頭に、ある考えが
失恋したミサキ。
今なら、ポッカリと空いた心の穴に、僕が入り込めるかもしれない。
傷付き、落ち込んだ者に
上手くいけば、僕がミサキと付き合うことだって……。
じゃあ……。
僕にとって、ミサキの失恋はラッキーなこと!?
走る速度は次第に遅くなり、そして――
やがて僕は足を止めた。
「僕は……」
闇の中に声が響く。
「僕は……今、何を考えていた!?」
かすれるように出た声は、震えていた。
「ミサキの幸せを、願ってたんじゃないのか!?」
雲の切れ間から、月が顔を出す。
淡い光が、うつむく僕をそっと包む。
だけど、月の優しさに包まれても、心の中の戸惑いが晴れることはなかった。
そのとき――
「やめて下さいっ!!」
闇を裂いて聞こえた声に、僕は顔を上げた。
「今のは……!?」
刹那、弾けたように走り出す。
――今の声、ミサキだ!!
まるで、何かに導かれるかのように、声の聞こえた方をひたすら目指す。
――くそっ、もっと速く走れよ!!
心の声。
焦りだけが先走り、自分自身を叱咤する。
「はあっ、はあっ!」
熱い息が溢れた。
心臓も、痛いくらいに脈打っている。
だけど、足を止めるワケにはいかない!
ミサキが……。
ミサキが、助けを求めているんだ!!
全力で角を曲がった僕の目に、公園が見えてきた。
「は、離して下さいってば!!」
――また聞こえた!!
声は、目の前の公園の中だ!!
僕は、何の
立ち木に囲まれた、少し広い公園。
あちこちに遊具が見える。
その遊具の間を抜ける道の先。
いくつかの外灯とベンチが並ぶ一角に、3人の影が見えた。
その中の1人。
月明かりと外灯に照らされ、浮かび上がる姿。
それは間違いなく……。
「ミサキ――ッッッ!!!!」
溜め込んでいた想いを爆発させるように、僕は叫んだ。
「ガクーッ!!」
振り返るミサキ。
その瞳には、怯えの色が浮かんでいた。
ミサキの前には、2人の男がいる。
コイツらが、恐怖の元凶か!!
僕は、ミサキと男たちの間に割って入った。
「ガク!!」
ミサキが、嬉しそうな声を出す。
「もう大丈夫だよ!」
僕は、そう言いたかったのだけれど……。
「ぜはー、ぜはー……もう……大……丈夫……だよ」
全力で走ってきたため、息が上がって上手く言えなかった。
「なんだァ、コイツ!?」
男が口を開く。
うぷ……酒臭い!
正月に、親戚のおじさん達が集まってお酒を飲んでいるときの臭いがする。
かなり酔っ払ってるな……。
僕は、男達をにらんだ。
「おうっ、何だテメェ!」
片方の男が、声を荒げる。
見たところ、2人とも20代前半。
声を荒げた男は、胸に『鬼』と入った赤いTシャツを着ている。
もう1人の方は、青いTシャツ。
僕は2人を“赤鬼”と“青鬼”と、勝手に名付けた。
「やんのかテメェ!」
大きな声の赤鬼。
青鬼も、無言で僕をにらむ。
「ガ、ガク……ケンカは……」
ミサキが僕の袖を引く。
「大丈夫……。そんなことしないよ」
僕は、そう言って笑顔を返した。
っていうか、ケンカなんて僕にはできない!
自慢じゃないけど、物心付いてから人を殴った記憶なんてないのだ。
「ミサキ、行こう」
僕は平静を装い、ミサキの手を取って歩き出した。
「待てよゥ!」
だけど、青鬼に道を塞がれる。
「彼女は、俺たちと遊ぶんだァ」
鼻につく青鬼の声。
「だ、だって……ミサキは嫌がってるじゃないですか!」
悲鳴のように叫ぶ僕を、赤鬼はジロリと見た。
「テメェ、その子の彼氏か何かか? アァン?」
「ぐっ……! ち、違いますけど」
僕の答えに、2人は『やっぱりな』というようにうなずく。
「それじゃ、俺達の邪魔をする権利はないワケだァ」
青鬼は笑う。
「そ、そんな屁理屈を! だいたい、2人は恋免を持ってるんですか!?」
僕の言葉に、2人はポケットの中から恋免を取り出した。
「そういうテメェは、持ってんのかよ!」
「うぐっ……」
思わず口ごもった僕を、赤鬼が鼻で笑う。
「で、でも……だったら、迷惑恋愛の禁止って決まりくらいは……」
「別に迷惑じゃないよねェ?」
ヘラヘラとミサキに笑いかける青鬼。
ミサキは、怯えた素振りを見せて僕の背中に隠れた。
「嫌がってるじゃないですか……」
つぶやく僕を、赤鬼がにらんだ。
「テメェ、さっきからウルセーんだよ!!」
次の瞬間、響き渡る鈍い音。
そして、左頬を襲う熱い痛み。
僕は殴られ、派手に地面を転がった。
「いやーっ、ガクーッ!!」
ミサキが悲鳴を上げる。
「うっ……くっ……」
鉄の味が広がる。
何とか体を起こした僕は、口の中の違和感にツバを吐いた。
口の中を切ったのだろう。
吐き出したツバは、流れ出た血と混じって真っ赤だった。
「オラァッ!!」
赤鬼は、気合いの声と共に、今度は僕の腹を蹴り上げる。
激しい痛みと、胃の中身が逆流しそうな苦しみに、思わず涙が溢れた。
「ガクーッ!!!」
「おっと」
駆け寄ろうとしたミサキの腕を、青鬼がつかむ。
「危ないから、ここにいような」
その間にも、赤鬼の猛攻は続く。
僕は、なすすべなく地面を転がり続けた。
「もう、やめてーっ!!」
力を込めて、青鬼の手を振り払うミサキ。
手にしていたバッグから、ノートが落ちる。
だけど、そんなことも気にせずに、彼女は僕に駆け寄ってきた。
「ガク、ガク、大丈夫!?」
「ミ……サキ……」
僕を助け起こすミサキ。
その顔は、今にも泣き出しそうだった。
「大丈夫……だよ」
だから、僕は笑った。
ミサキに心配かけないように。
僕は笑顔を見せたんだ。
「ガクぅ……」
ミサキが何かを言いかけた、そのとき――
「『キミといつも 過ごしてきた日々』」
鼻につく青鬼の声が響いた。
「『瞳をとじて そっと思い出す』」
その言葉に、ミサキはハッとする。
「『手が触れたとき 胸の高鳴り
この
これは……。
この詩は……!!
慌てて顔を上げた。
「『キミに近づきたくて 少し背伸びもした
そんな私のこと 優しく見つめる 瞳が好き』」
僕の目に、ミサキの歌詞ノートを得意げに読み上げる青鬼の姿が映った。
「なんだソレ?」
赤鬼が首をひねる。
「その子の鞄から落ちたんだ。詩……みたいだねェ」
笑う青鬼。
「やめて、返して!!」
ミサキは、歌詞ノートを取り返そうと、青鬼を追い掛け手を伸ばす。
青鬼は、その手を上手く
そして、ミサキから逃げながら、また言葉を続ける。
「『心の中に芽吹く想い』」
「やめてってばー!!」
青鬼を追いかけるミサキ。
けれど、その足は次第に遅くなり、2人の間に大きな差が開く。
「『それはいつしか 大きなつぼみをつけて 恋の花を咲かせる』」
「お願い、やめて……」
荒い息を吐くミサキ。
その表情は、とても苦しそうだ。
だけど青鬼は、そんなことを気にした素振りもない。
「『いつまでも寄り添って そっと咲いていたい』」
「お願い……だから……」
追いかけることを諦めたミサキは、胸を押さえて、力無くその場に座り込んだ。
「『二人だけの心の花』」
全て読み切った青鬼。
もう、ミサキに言葉はなかった。
うつむく彼女は、ただただ荒い息を吐くだけだった。
「ふ~ん……」
赤鬼が、そんなミサキの周りをグルグルと回る。
「お前さ~……」
そして、顔をのぞき込む。
「もしかして……痛い子?」
「ははっ、夢見る少女ってヤツなんじゃないの?」
笑いながら言う青鬼に、赤鬼も声を上げて笑った。
「はっはっはーっ!! 大丈夫、俺、不思議ちゃんも大好きだぜ?」
2人から浴びせられる心ない言葉。
ミサキは、聞きたくないというように、両手で耳を強く押さえている。
その状況に、僕の中で何かが切れる音が響いた。
「おい……」
僕は、ゆっくりと立ち上がった。
そして、2人の方へ歩き出す。
視界に、うずくまるミサキの姿が入る。
その小さな体は、小刻みに震えていた。
ミサキ……!!
胸に熱いものが込み上げて、僕は2人をにらんだ。
次の瞬間、2人を目掛けて走り出す。
「ミサキの……!」
僕の異変に気付いた2人が、ゆっくりとこちらを振り返った。
「ミサキの心を笑うな――――――――っっっっ!!!!!!」
叫びと共に繰り出した、渾身の右ストレート。
それは、見事に赤鬼の左頬を捕らえた。
「ぐはあっ!?」
吹き飛ぶ赤鬼。
勢い余った僕も、地面の上に転がる。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ!!」
息の塊みたいなものが、口から出ていく。
僕は……。
初めて自分の意思で人を殴った!!
握り締めたままの拳は、痛いくらいに熱を帯びていた。