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第25話 『衝撃リバイバル』

「いただきまーす!!」


 食卓に並べられた夕飯を前に、子供たちの元気な声が響く。


「……いただきます」


 そんな中、僕は眉間にシワを寄せたまま、白いご飯を口に運んだ。


「なぁ……何でコイツまた不機嫌なんだ?」


 たまらず尋ねるコウイチさん。

 僕の隣りに座るミサキは首をすくめる。


「ふふ、それがね……」


 コトノさんはクスリと笑うと、順を追って話し始めた。



「だーっはっはっは、兄ちゃん、そいつは災難だったな!!」


 話を聞いたコウイチさんは、さもおかしくてたまらないという様に、腹を抱えて笑い出した。

 ミサキの小さな体が、ますます小さくなる。


「笑い事じゃないですよ!!」


 笑い続けるコウイチさんに僕は叫んだ。


「見てくださいよ、これっ!」


 そんな僕の左頬には、ミサキの手形がクッキリと付いている。


 前回はコウイチさんに右の頬を殴られて……。

 今回はミサキに左の頬を叩かれて……。

 僕の顔は、そのうち変形してしまうぞ!


「だ……だから、ゴメンって言ってるじゃない」


 うつむくミサキ。


「ゴメンじゃないよ!」


 僕は声を荒げて、彼女に向き直る。


「だいたい『子供まで作ってー!』ってさ……。こんな短期間に出来るワケないだろっ!!」


 そもそも僕には、彼女ができたことだってないんだ!!


「それくらいわかれよっ!!」


 ミサキの肩がピクリと動く。


「何よ……」


 次の瞬間、ミサキは顔を上げると鋭い瞳で僕をにらんできた。


「何よっ、そんなに言うことないじゃない!!」


 その迫力に、思わずたじろぐ。


「だいたい、あなたがいなくなっちゃうのが悪いんじゃない!」

「そ、それはミサキが……」

「私が何よ!」


 瞳に涙を浮かべ、ミサキはにらむ。


 逃げた理由……。


 ミサキに好きな人がいると知って……。

 それが耐えられなかった。

 とてもショックだったんだ!


 だって僕は、ミサキのことが好きだから!


 ――なんてこと言えるはずもなく……。


 僕はただ、下唇を強く噛み締めた。


「はーい、そこまで!」


 張り詰めた空気とは場違いの明るい声が響く。


「2人とも喧嘩しないの」


 コトノさんは、そう言って僕たちを見た。


「そうだぞ、兄ちゃん」


 コウイチさんも、それに続く。


「だいたい、兄ちゃんの対処もなってない」


 そして、立ち上がると左腕を顔の前に上げた。


「いいか? 相手の攻撃は、左腕でこうガードしてだな……。それで相手の体勢が崩れたところに、渾身の右ストレートを!」

「反撃してどーすんの!」


 拳を突き出す旦那さんに、コトノさんは大きなため息をついた。


「とにかく……」


 そして、順番に僕とミサキの顔を見た。


「2人とも、久しぶりの再会なんでしょ?」

「まぁ……それは……そうですけど」

「じゃあ、再び出会えたことを素直に喜びなさい」

「で、でも……」

「世の中にはね、会いたくても二度と会えない人だっているんだから……」


 大好きだったお婆ちゃんのことを思い出しているのだろうか。

 静かにそう言ったコトノさんの顔は寂しげで、僕たちはそれ以上何も言えなかった。




 それからしばらくして、僕たちは食事を終えた。


「ごちそうさまでした」

「はい、お粗末様でした」

「いえ、どれも本当に美味しかったです」

「ミサキちゃんに、そう言ってもらえて良かった」


 コトノさんは、嬉しそうに微笑んだ。


「それじゃ私、お皿洗いますね」


 ミサキも微笑みを返し、キッチンへと向かう。


「あ、そんなの、後で私がやるからいいのに」

「いえ、美味しい夕飯をご馳走になっちゃったんだし……。これくらいはやらせて下さい」


 そう言って、テキパキとお皿を洗い出す。

 そんなミサキを尻目に、コトノさんがささやいてきた。


「あの子、なかなかやるわね」

「はぁ……」


 僕は思わず、曖昧な返事を返した。


「……ところで兄ちゃん」


 そのとき、食後のお茶をすすっていたコウイチさんが、不意にこちらを見る。


「兄ちゃんは、この後どうする気だ?」

「え……どうするって?」


 言葉の意味が分からずに聞き返す。

 コウイチさんは短く息を吐くと、ミサキに視線を向けた。


「彼女、兄ちゃんを迎えに来たんだろ?」

「や……迎えに来たというか……」


 公園で偶然の再会を果たした僕たち。

 ミサキは試験に合格して家に帰ったと思っていた僕は、驚きを隠せなかった。


 聞けば、僕がいなくなってからずっと探してくれていたらしい。

 帰宅予定日をずらしてまで……。


 そんな彼女に、さっきはあんな態度を取ってしまった……。


 やっぱり僕は……。

 彼女には相応しくない……。


「……ガッ君」


 不意に僕を呼ぶコトノさん。

 うつむいていた僕は、ゆっくり顔を上げた。


「あなた、帰りなさいよ」

「え……」


 コトノさんと視線が合う。

 僕を見詰めるその顔は、真剣だった。


 言葉が深く突き刺さる。

 見捨てられたような気がして、胸が苦しくなる。


「コトノさん……。僕……やっぱり迷惑でした……?」


 心臓の鼓動が早まっていくのがわかる。

 おびえるような僕の声。

 だけど、コトノさんは微笑みながら首を横に振った。


「ううん……。子供たちも懐いてたし、私も楽しかった。2、3日って話だったけど、夏休みの間、ずっと泊まっててもいいと思ってた」

「そ、それじゃ、なんで……」

「あのねガッ君……」


 コトノさんは言葉を区切ると、僕の瞳を見詰めた。


「帰るところがあるということは、とても幸せなことなの」


 とても真剣な瞳。


「あなたには、まだ帰る場所がある……やらなくちゃいけないこともある」


 その瞳からは、強さと同時に優しさも伝わってくる。


「あなたのために、こうして来てくれた子だっているじゃない」

「あ……」


 僕は、キッチンに視線を向けた。


 流しでは、ミサキが一生懸命洗い物をしている。

 その横顔は、とても輝いて見えた。


「何かに一生懸命になる姿って、眩しく見えるものなの」


 コトノさんは目を細める。


「いまどき、あんないい子いないわよ」

「そう……ですね」

「今度は、あなたが彼女の想いに応えてあげる番じゃない?」

「コトノさん……」

「大丈夫、ガッ君なら出来るはずよ」


 そう言うと、コトノさんはニッコリと笑った。


「俺が見込んだ兄ちゃんなら、何の問題もないさ」


 コウイチさんも、笑いながら僕の背中を叩く。


「ちょっとー、私のセリフ取らないでよねー!」


 唇を尖らせるコトノさんに、コウイチさんはもう一度大きく笑った。


「楽しそうですね」


 そのとき、洗い物を終えたミサキが、僕たちの元に帰ってきた。


「ご苦労様、ミサキちゃーん」


 コトノさんは立ち上がると、ミサキに抱き着く。


「きゃっ!? ちょ……ちょっとコトノさん!?」


 突然の出来事に驚くミサキ。


「ほらっ、ガッ君もおいで!」

「うわっ!?」


 コトノさんは僕の肩に手を回すと、ぐいっと引っ張る。

 その脇に抱えられるような格好の僕、そしてミサキ。


「ちょ……コトノさん!」


 む、胸が当たってます!


 そう言おうとして首を曲げたとき――


「あっ……」


 僕は、ミサキと急接近していたことに気が付いた。


 僕の顔の、ほんの数センチ先にあるミサキの顔。

 息がかかるんじゃないかと思うその距離。

 心拍数が、一気に上昇していく。


 でも――


 ミサキには他に好きな人がいるんだ……。


「くっ……」


 胸の苦しみを悟られないよう、僕は唇を噛んでうつむいた。


「あははー、もう、コトノさんたら」


 そんな僕には気付かず、ミサキは明るく笑うのだった……。




「本当に、ご馳走様でした」


 夜空の下、ミサキの声が響く。


「いいのよ~。またいつでも遊びに来てね」

「遊びきてねー」

「ねー」


 コトノさんの言葉を、2人の子供たちが真似をする。

 ミサキは、ニッコリ微笑んだ。


 穏やかな風に包まれる4人。

 その様子を、僕は少し離れたところから眺めていた。


「ミサキ……」


 目を細め、そっとその名を口にする。


「どうした兄ちゃん、元気ないぞ?」

「うわっ、コウイチさん!」


 いつの間に隣りに!?


「別れが寂しくなったか?」


 そう言って笑うコウイチさんに、僕は向き直った。


「コウイチさん……。何で、想いってすれ違っちゃうんですかね」

「うーん……。人は生きる限り1人だって言う人もいるからなぁ……」

「1人……ですか……」

「――だから」


 コウイチさんは、前に手を伸ばす。


「人は、繋がりってのを求めるのかもしれないな」


 そう言って、コウイチさんは笑顔を見せる。


「繋がり?」

「ああ。1人で生きるには、この世界はちょっと広すぎるからな」


 伸ばした手の先。

 そこには、奥さんと2人の子供たちの姿がある。


「だから俺は、あいつらを大切に思っている。かけがえのない、な」


 そして、コウイチさんは笑顔のまま、僕の頭に手を置いた。


「もちろん、兄ちゃんとの繋がりもだぞ」

「ぼ、僕も!?」


 僕は驚き、コウイチさんを見る。


「当たり前だろ。短い期間とはいえ、一緒に暮らしたんだ」

「コウイチさん……」

「だから、ガッ君も繋がりを大切にしてね」

「え……」


 その声に振り返ると、そこにはコトノさんが立っていた。


「すれ違っちゃうなら、相手を振り向かせればいい」

「で、でも……振り向いてくれなかったら……?」

「そのときはね……」


 コトノさんは僕に近付くと、ふわりと僕の両頬に手を当てた。


「こうするの」


 そして、僕の顔を横に向ける。

 瞳に、ミサキの姿が映った。


「そのときは、ガッ君が同じ方向を向けばいいの」


 子供たちと無邪気にじゃれあうミサキ。

 その姿は、とても眩しく見えた。


「コトノさん……」

「もっと自分を信じて」


 コトノさんは、僕をそっと抱きしめる。


「ガッ君のいいところ、大好きなミサキちゃんに、もっと教えてあげなさい」

「えっ!?」


 慌ててコトノさんを見る。


「な、な、何でそれを……」

「気付いてないと思った?」


 彼女は、いたずらな笑みを浮かべた。


「ガッ君がミサキちゃんを見つめる目、全然違うんだもん」

「えっ……ホ、ホ、ホントですか!?」

「うん、すぐ気付いたわよ」

「うわぁ……」


 恥ずかしさのあまり、思わずうつむく。

 顔が熱い。


「ん? なんの目が違うんだって?」


 状況を理解出来ないコウイチさんが尋ねてくる。


「な、な、何でもないですっ!」


 慌てる僕。

 首を傾げるコウイチさん。

 そんな2人を、コトノさんはずっと笑っていた。




「それじゃ、またな」

「2人とも、元気でね」


 そう言って、僕たちを見送るコウイチさんとコトノさん。


「色々とお世話になりました」

「本当にありがとうございました」


 僕とミサキは、深々と頭を下げた。


「また遊んでねー!」

「ねー!」


 飛び跳ねるように手を振るユリちゃんとメグル君に手を振って、僕たちは夜道を歩き出した。


「いい人たちだったねー」


 前を歩くミサキ。


「うん、そうだね……」


 僕は、その背中を眺めながら歩いた。

 空は雲に覆われ、何一つ明かりはなかったけど、点々と続く街灯のおかげで、歩くことに不自由はしない。


「これで、明日の追試は受けられそうね」

「うん……」


 この前の試験で恋免を取得出来なかった者は、明日、再び試験を受けることになる。


 実質、合宿期間中の試験は、これが最後だ。

 これで合格出来なかった場合は、家に帰ってから最寄りの免許センターで試験を受けることになるのだけれど……。

 面倒な手続きもあるし、高い受験料も払わなくちゃいけない。


 教習所に通っていれば、そういうものは全て教習所がやってくれるワケで……。


 つまり、明日の試験は、何が何でも落とすことが出来ないのであった。


「大丈夫、試験は意外と簡単だったよ」


 明るく笑うミサキ。

 その顔を見ながら、僕はコトノさんの言葉を思い出していた。


 ミサキと同じ方向を向く……。


 だけどそれは、ミサキの好きな人のことも一緒に見詰めなくちゃいけないわけで……。

 その苦しみに、僕は耐えられるのだろうか……。


 夜風が、僕たちの頬をなでていく。


「あ~、いい風だねー」


 その風を受け止めるかのように、ミサキは両手を広げて立ち止まった。

 彼女に合わせて僕も立ち止まる。


 コトノさん……自分を信じてって言ってたけど……。

 こんな弱い僕の何を信じればいいんだろう……。


「あ、そういえばガク」


 風をまとうようにして、振り返るミサキ。

 僕の弱気を見透かされたのかと思い、胸が大きく脈打った。


 彼女は言葉を続ける。


「学級委員長の飯塚いいづか 麻美あさみちゃんっているでしょ」

「う、うん」


 委員長はミサキが転校してきたばかりの頃、ミサキのことを考えていた僕を、

「授業中なのにボーッとしてる!」

 と怒ってきた人だ。

 それが何か……?


「アサミちゃんね、ガクのことが好きって噂だよ」

「……えっ!?」

「だから、合格したら告白してみたら?」


 予想外のその言葉。

 普段の僕なら、それは嬉しいことだろうけど……。


 今は、

 こんな僕の、どこがいいんだろう……。

 ということと……。


 何より、好きな人からそれを聞かされることが、とても辛かった……。


「だから、明日の試験は頑張ってね」


 僕の想いを知らないミサキは、無邪気に笑う。

 その残酷な笑顔は、この胸を引き裂いていた。


「僕は……、僕は……」


 何も言えなくなり、思わずうつむく。

 僕のことは眼中にないと言われてるようなものだ。


 胸が痛い……。


「ちょ、ちょっと、何で暗くなっちゃうのー?」


 慌てた様子のミサキ。


「綺麗系は好みじゃなかった?」


 好みとか、好みじゃないとかの問題じゃない――

 ただ純粋に、ミサキの口から聞かされるのが辛いんだ!


 でも、当然ながら、そんなことを言えるはずもなく――


 僕たちは沈黙に包まれた。


 虫の声だけが響いてくる……。

 ぐにゃぐにゃに溶けそうな感覚。

 その中に突き刺さるようなミサキの視線と、響き渡る虫の声。


 いっそまた、逃げ出しちゃおうかな……。


 僕が、そう思った瞬間――


 ガシッ!


「えっ!?」


 ミサキは、僕の手をつかんだ。


「また、あのときみたいな顔してる……」


 あのときとは、逃げた試験の前日のことを言っているのだろう。


「だ、だって……」

「だってじゃないよー! 一緒に合格する約束だってしたでしょー」

「だけど、それは……」

「あーっ、もうっ!」


 煮え切らない様子の僕に、ミサキは苛立ちの声を上げた。

 こんなミサキの姿、初めて見る。


「ごめん……」


 そんな僕を、ミサキは真っ正面から見詰めた。


「……いいわ」


 ミサキの手に力が入った。


「ガクも来て」


 そう言うと、ミサキは再び前を向く。

 そして、僕を引っ張るようにして、早足で歩き出した。


「ちょ……ちょっとミサキ!?」


 とっさのことにバランスを崩しそうになる。


「ミ、ミサキ、どこに行くの!?」

「……私の覚悟、見せてあげるからっ!」


 ミサキは、振り向かずに言う。


「覚悟って!?」


 大きく息を吸い込むミサキ。

 そして、空を見上げた。


 僕は、思わず息を飲む。

 ミサキの小さな口が開いた。


「私……今から先輩に告白する!!」


 その瞬間、落雷のような衝撃が、僕を心を貫ぬくのだった……。

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