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第20話 『信じる道ならば』

 それから10分ほど走り、車は1軒のアパートの駐車場に停車した。


「はーい、到着ー!」


 コトノさんはチャイルドシートのベルトを外し、ユリちゃんを車から降ろす。

 助手席の僕も、それに習って外に出た。


「ここが……」

「そう、ここがウチ」


 煉瓦れんがを張り合わせたような外壁の、2階建てアパート。

 少し小さくも感じるそのアパートは、建てられてからまだ数年しか経過していないように思えた。


 外壁にこのアパート名を示すプレートがある。

エバーボイス絶えない声』か……。

 賑やかなコトノさんにピッタリの名前だと思う。


「この2階の角部屋なのよ」


 そう言って、コトノさんは歩きだす。

 その後を追ってユリちゃん、そして僕が続いた。


 部屋の前に立ったコトノさんは、鍵を開けて扉を開く。


「さぁ、どうぞ。あまり綺麗じゃないけどね」

「お邪魔します……」


 促され、おずおずと玄関の中に入る。


「わぁ……」


 僕の口から、思わず感嘆のため息が漏れた。


 目に飛び込んできた木目調の壁紙。

 それは、壁だけではなく天井にも貼られていた。


 壁と天井とを繋ぐ木目。

 それはまるで、1本の樹をくり抜いて、部屋を作り上げたかのようだった。


「最近、都市開発とかで木が少なくなってきてるでしょ?」


 コトノさんは言う。


「だから大家さんは、木の温かさを感じられるような部屋にしたかったんだって」

「そうなんですか……」

「まぁ、この辺はまだまだ自然が多いから、関係ないっちゃないんだけどね」


 そう言って笑うコトノさんに、思わず僕もつられて笑ってしまった。


 靴と汚れた靴下を脱ぎ、中に上がる。

 部屋の間取りは1DKと、少し狭い。


 でも、壁のハシゴを上れば広いロフトがあって、空間はしっかり確保されている。


「じゃあ、シャワー浴びてきちゃって」


 コトノさんは、キッチンの奥を指差す。


「私は、その間にご飯の準備をしとくから」

「何から何まで……すみません」

「いいの、いいの。困ったときはお互い様」


 そう言いながら、コトノさんは何気なくテレビを付けた。


「『次のニュースです。本日未明、強盗がスーパーに押し入り……』」


「ったく……最近、物騒で嫌ねぇ」


 ニュースを見て、コトノさんがつぶやく。


「『犯人は40代くらいの痩せ型の男性で、帽子から靴まで全て黒という格好をしています』」


 テレビは、防犯カメラに映った映像を流す。

 口元を隠す白いマスク以外は、確かに全身黒づくめだった。


「ママ~、チャンネル変えていい?」

「あ、うん、いいわよ」

「わ~い」


 ユリちゃんは歓喜の声を上げ、リモコンのボタンを叩く。

 次々と変わる画面の中、動物の生態を紹介する番組に決めたようだ。


 犬や猫、イルカなど生き物に目を奪われているユリちゃん。

 我が子のその様子に、コトノさんは優しく微笑んだ。


「……あの」


 そんな彼女に、恐る恐る声をかける。


「ん? まだ入ってなかったの?」

「はい……」

「なに? どうしたのよ?」


 目を伏せる僕に、コトノさんは首を傾げた。


「……何で、見知らずの僕にここまでしてくれるんですか?」

「ん~? ユリのお礼って言わなかったっけ?」

「で、でも!」


 僕は、ちらりとテレビに目を向けた。


「もし……僕が強盗だったら……」

「ん? 君は強盗なの?」

「い、いや、違いますけど!」

「じゃあ、いいじゃない」


 明るく笑うコトノさん。


「で、でも……」

「亡くなったお婆ちゃんがさ~、困ってる人がいたら助けなさい、恩を受けたら必ず返しなさい……って、何度も何度も言ってたのよ」

「お婆ちゃんが……?」

「うん。それこそ、亡くなる直前までね」


 彼女は目を細めた。


「そんな性格だったからか、お婆ちゃんのお葬式には、沢山の人が来てくれたの」


 それは、今は亡き祖母との思い出を、そっと懐かしんでいるかのように見える。


「それこそ、全く縁もなさそうな人までね」


 そう言って、嬉しそうに小さく笑った。


「素敵なお婆ちゃんだったんですね……」

「うん、大好きだった……」


 目を閉じるコトノさん。

 そのまぶたの後ろには、大好きなお婆ちゃんの笑顔が映っているのだろうか……


「そして、ね……。お婆ちゃん、こうも言ってた」


 ゆっくりと目を開き、コトノさんは僕を見詰める。


「自分の信じる道を進みなさい、って」

「信じる……道……?」

「そう、私は君を助けたいと思った。だから助けた」

「で、でも、世の中、そんな簡単には……」

「……ったく~!」


 食い下がる僕に、ため息をつく。


「何かしたいって思うことは、理屈じゃないのよ。自分が正しいと思うことなら、それを貫けばいいの」

「で、でも、それで失敗したら……」

「そのときは、その失敗を取り返せばいいわ」


 そう言って、彼女は笑う。


「人生、手遅れなんてこと、そうそうあるもんじゃないし」

「そ、そうかもしれませんけど……」

「あ~、もう! さっきから何よ!?」


 不意に鋭い目つきになるコトノさんは、キッと僕をにらんできた。


「そんなに私の生き方に、ケチを付けたいワケ?」

「い、いえ、そういうワケじゃ……」


 その視線に気圧され、思わず焦る僕。


「ったく……君は、もっと自信を持たないとね」

「……はい」


 僕に足りないもの、自信。

 もっと自信を持てれば、世界は変わってくるのだろうか……。


「よ~し、それじゃシャワー浴びてきちゃいなさーい!」


 うつむく僕の背中を、コトノさんは強く叩く。

 よろけるようにして、僕は一歩踏み出した。


 僕も、この人くらい前向きにいられたら……。


 そっと振り返る。

 瞳に映るコトノさんは、先程までの笑顔に戻っていた。


「ん? まだ何かある?」

「い、いえ……」


 慌てて目を逸らす。


「はは~ん、さては……」


 そんな僕の姿に、コトノさんはポンと手を叩いた。


「さては、お姉さんに体を洗ってもらいたいのね?」

「……なっ!?」


 予想外のその言葉。

 僕は驚き、コトノさんを見た。


「仕方ないなぁ……じゃあ、今回は特別に……」


 な、な、な、なにを――!?


 僕の体を隅々まで洗ってくれるコトノさん。

 思わず、危険な妄想が脳裏に浮かぶ。


 うあっ!

 か、顔が熱い!


 まるで顔が――

 い、いや、頭の中が沸騰してるみたいだー!!


「け、け、け、結構ですー!!」


 僕は叫ぶと、逃げるように脱衣所に飛び込み扉を閉めた。

 扉の向こうでは、彼女の笑い声が響いていた。


「まったく……変な人だよ……」


 短く息を吐く。

 少し深呼吸をして心を落ち着けた後、服を脱いで浴室に入る。

 蛇口に手を伸ばし、それを捻った。


「うわっ、冷たっ!」


 シャワーの口から降り注ぐ冷水に、僕は思わず叫んだ。


「う~……!」


 でも、この冷水は、火照った頭に心地好くもあった。


 シャー……。


 しばらく流していると、冷水は次第にお湯へと変わっていく。


「ふぅ……」


 僕は、ようやく一息をついた。

 体に当たったお湯が、黒く色を変えて流れていく。

 それと共に、体中の疲れも流れていくようだった。


「バスタオル、置いておくわよ」


 外から、コトノさんの声が聞こえた。


「あ、ありがとうございます」

「はーい」


 明るい声と共に、脱衣所を出ていくコトノさん。

 そして、しばしの後……。


「そういえば、ガッ君ー!」


 再び脱衣所に帰ってきた。


「“ガッ君”って……」


 最近、変な呼ばれ方することが多いな……。


 僕の脳裏に、リオさんの顔が浮かんだ。


「……で、どうかしました?」

「うん、ガッ君ってさ~」

「はい?」

「着替え、持ってきてる?」

「あ……」


 途切れる僕の声。

 シャワーの流れる音だけが、空しく浴室内に響き渡っていた。

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