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第17話 『心の花』

 それからの僕たちは、夜は2人で会うということが日課になっていた。


「え~、そうなんだ~?」

「うん、だから今度さ……」


 僕たちの話題。

 それは、お互いのこと、友達のこと、学校のことなど。


 もちろん、この恋愛教習のことも話題になる。


「では、問題でーす」


 ミサキは、人差し指を立てた。


「“だろう恋愛”ではなく、“かもしれない恋愛”をする理由を答えよ」


 僕は、あごに手を当て、少しの時間考える。


「えっと……〇〇してくれるだろうと、相手に任せきりになっちゃダメなんだよね」


 その言葉にうなずくミサキ。


 だろう恋愛ではなく、かもしれない恋愛。


『〇〇してくれるだろう』

 と、こちらが期待していたことに、パートナーが応えてくれなかったとき。

 そのときのショックは非常に大きく、深い溝が出来る原因にも成り得る。


 かといって、パートナーに全く頼らないというのでは、信頼関係を築くことができない。


 そのため、

『〇〇してくれるかもしれない』

 という気持ちでいることで、あらゆる状況に対応する心構えができる。


 自ら行動することも出来るし、パートナーが行動してくれたときは感謝の気持ちを表すこともできるのだ。


「――だよね?」


 一気に言い切り、恐る恐るミサキの顔を見た。

 ミサキは、僕を見詰め返す。


「……正解~!」


 僕の口から、安堵のため息が漏れた。


「ガク、勉強してるねー」

「たまたまだよ」


 感心した様子のミサキに、笑顔を返す。


「それじゃ次の問題行くよ~。恋愛における一方通行違反は……」



 同じ時を過ごす僕たちの話題は尽きない。


 緊張して話せなかった頃が懐かしいな……。


 僕は、そっと目を細めた。




 夜の約束のおかげか、教習は順調に進んだ。

 仮免許の試験もなんなく通過し、実地の場は教習所を出て一般路上へと変わる。

 だけど、そこでも特に問題となるものはなかった。


 これも、毎晩ミサキに問題を出してもらってるおかげかな……。


 僕は、密かに微笑む。

 学科や実地の教習、合宿生活。


 そして……。

 僕とミサキの関係。


 その全てが、順調に進んでいるという手応えを感じていた。




 そして、時は流れ……。


 僕たちの恋愛教習は、最終日を迎えた。

 無事、教習所の終了検定試験に合格した僕たち教習生は、1つの部屋に集められる。


「まずは、卒業おめでとう」


 所長である伯父さんが、皆に祝いの言葉を述べる。


「明日はバスに乗って免許センターに行き、本試験を受けるわけだが……」


 そこで言葉を切ると、伯父さんはぐるっと皆を見回した。


「……うむ、君たちなら大丈夫だ! 明日の本試験を合格して、無事に免許を取得することができるだろう!」


 そう言って満足げにうなずき、人懐っこい笑顔を見せる。

 その顔に、僕たちにも笑みが浮かんだ。


「夕食は卒業記念ということで、バーベキューを予定している。みんなしっかり食べて、明日に備えてくれ」


 その言葉に、割れんばかりの歓声が起こる。

 そんな僕たちを、伯父さん、そして厳しかった教官たちも、優しい笑みを浮かべて見詰めていた。




 午後9時過ぎ。

 盛大に行われたバーベキューも終わり、教習所にいつもの夜の静けさが戻った。


「美味しい肉だったなぁ~」


 つぶやきながら、上機嫌で中庭に向かう。

 もちろん、これからミサキに会うのだ。


「色々あったけど、終わってみるとあっという間だったなぁ……」


 この合宿で様々なことがあった。

 リオさんという友達もできた。


 それらは、僕の胸の中で大切な思い出の1つになるだろう。


 そして――

 ミサキとの関係。


 こんな風に毎晩会って話すなんて、学校じゃ考えられなかった。


「でも……」


 僕は、ふと足を止め、夜空を見上げた。


「こうして会えるのも、今夜が最後なんだ……」


 明日の本試験に合格すれば、家に帰ることになる。


 もし、本試験に落ちた場合は、3日後の再試験に備え、このまま宿舎にいることになるけど……。

 ミサキが落ちるなんて、とても考えられなかった。


 だから……。

 僕も、明日必ず合格する!


 そして、告白を……。


「明日が勝負だ!」


 僕は、夜空で瞬く星々をにらんだ。


 そのとき――


「……うん……だよ」


 ふと、風に乗って聞こえてくる声。


「ミサキ、もう来てるんだ……」


 決して、僕の来るのが遅かったわけじゃない。

 逆に、約束の時間より少し早いくらいだ。


「うん……うん、わかってる……」


 ミサキは、電話をしているらしい。


「よく、お母さんと話してるって言ってたからな~」


 ミサキから少し離れたところに立ち、そっとつぶやく。


「うん……夏休み中に手術ね……」

「えっ、手術!?」


 思わず、僕の口から大きな声が漏れた。


「えっ、ガク!? あ……ううん、なんでもない! けど、ごめんねお母さん、また後でかけるね!」


 僕に気付いたミサキは、慌てて電話を切る。


「ご、ごめん……立ち聞きするつもりはなかったんだけど……」

「う、ううん……大丈夫」


 謝る僕に、ミサキは取りつくろったように微笑む。


「ミサキ……今の手術って……?」

「あ……あはは、なんでもないよー!」


 明るく笑うミサキ。


「でも……」

「あ、そ、それよりさ、これ見て」


 ミサキは誤魔化すように視線を下ろすと、ベンチに置いておいたノートを拾い上げた。


「だって……」

「いいから! はいっ!」


 半ば強引にノートを渡された僕。


「う、うん……」


 不本意ながらうなずくと、ページをめくる。

 僕の目に飛び込んでくる文字の羅列。


「……これは?」

「私ね……詩を書くのが好きなんだ」

「詩?」

「うん……色々なことを感じたとき、想ったときに、ノートに書き込むの」

「そうなんだ……」


 僕は、ノートに目を落とす。


「……すごいね、こんなに書いてるんだ!」


 各ページに1つずつ、詩は書かれている。


 楽しかったこと。

 嬉しかったこと。

 悲しかったこと。

 夢や憧れ、そして大切な想い……。


 数十にも及ぶその詩は、ミサキの心のメッセージのようで、僕は強い感動を覚えた。


「マキちゃんには見せたんだけど……ガクには、まだだったから」


 ミサキは、照れたように言う。


「あ、これは……」


 ノートをめくっていた僕の指は、一番最後のページで止まった。


「『心の花』……」


 僕は、詩のタイトルを口にする。


「あ、それ……昨日書いたばかりのやつ」

「そうなんだ……」


 僕はその詩を、そっと読み上げた。




『心の花』


 キミといつも 過ごしてきた日々

 瞳をとじて そっと思い出す


 手が触れたとき 胸の高鳴り

 この瞬間ときがずっと 続けと願ったの


 キミに近づきたくて 少し背伸びもした

 そんな私のこと 優しく見つめる瞳が好き


 心の中に芽吹く想い それはいつしか

 大きなつぼみをつけて 恋の花を咲かせる


 いつまでも寄り添って そっと咲いていたい

 二人だけの心の花




 こ、こ、こ、これって……!


 僕は、勢い良くミサキを見た。


「は、恥ずかしいから、声に出さないでよー!」


 顔を赤らめるミサキ。


 こ、これは間違いない……!


 ミサキは……。

 僕のことが……。


 好きだ!!


 本当は、免許を取るまで告白は出来ないけど……。


 でも、これはもう行くしか――!?


「ねぇ、ガク……」


 そのとき、ミサキは不意に僕を見詰めてきた。


「な、なに……?」


 これから起こり得るだろうシチュエーションに、僕の胸は激しく高鳴る。


「ガクは……好きな人いるの……?」


 キタ――――――!!!

 そして、向こうからという展開ですか――!?


 思わず顔がニヤケそうになるのを、必死に抑える。


「私ね……好きな人がいるんだ……」


 そんな僕に気付いてか、気付かないでか、ミサキは頬を染めて言葉を続ける。


「そ、そうなんだ?」


 だけど、思わずそれに気付かないふりをしてしまった。

 こんな場面、ドラマや漫画でしか見たことがない。

 鈍感系主人公ってやつだ。


 僕の心臓は、壊れるんじゃないかというくらい強く鼓動していた。


「うん……その人は、いつも私のそばにいて……」

「う、うん!」

「気が付いたら、その人のこと、好きになってた……」

「うんうん!!」


 ヤバい、もうダメだ!

 興奮し過ぎて鼻血が出そうだ!


 でも、最後の最後まで気は抜かない!

 こんなところで失敗して、せっかくの告白を台なしにしたくはない!


 せっかくの……。

 ミサキからの告白なんだから……。


 でへ~と、思わず顔が緩みそうになる。


「い、いい恋愛だね」


 でも、緩む顔をなんとか残った理性で抑え込む。

 そして、今の僕が出来る、最高に凛々しい顔をミサキに向けた。


「それは……どんな人なのかな?」


 ミサキは、僕を見詰める。

 心なしか、その瞳が潤んでいる気がした。


 大丈夫……。

 君を抱きしめる準備は出来ているよ……。


 僕は、そっと両手を広げた。

 ミサキは、少し恥ずかしそうに言葉を続ける。


「その人はね……」

「う、うん!」

「私のね……」

「うん!!」

「2個上の先輩でね……」

「うん……うん!?」


 僕の聞き間違いだろうか……。

 なんか予定と違う言葉が出て来た気がするけど……。


 戸惑う僕をよそに、ミサキは言葉を続ける。


「先輩ね、ギターやってるんだ」

「へ、へぇ~……」


 き、聞き間違いじゃなかった!


 あまりのショックに、周りの景色がグルグルと回り出した。


「私が書いた詩ね、先輩も気に入ってくれて、試験に合格したら曲を付けてくれるって言ってくれて」

「そ、そうなんだ~、ははは……」


 思わず、乾いた笑い声が出た。


「うん。だから、明日の試験は絶対に合格したいの」

「ははは……」

「ガクも一緒に頑張ろうねって、ちょっと聞いてる?」


 唇を尖らせるミサキ。


「ははは……。効いてる効いてる……」


 僕は笑う。


「いいパンチもらっちゃったくらいに……効いてるよ……」

「え?」


 そんな僕に、ミサキは首を傾げた。


「ははは……ははははは……」




 僕に、その後の記憶はない。

 気が付いたら、自室で大の字に転がっていた。


「う……」


 朝日がまぶしい。

 外からは、小鳥たちの歌声が聞こえてくる。


「あれは夢……」


 じゃないことは、自分が一番良く知っている。

 嬉しそうに笑っていたミサキの顔が印象的だった。


「あああ……」


 試験前夜で、まさかの展開!

 僕のコンディションは、これ以上ないくらいに最悪だ。


「うう……」


 うめきながら、体を起こす。

 窓の下に、1台のバスが停車しているのが見えた。

 これに乗って免許センターまで行くのだろう。


「ああ……着替えなきゃ……」


 僕は、ノロノロと体を動かす。


 朝食は、いらない。

 食べたくない。


 ああ、憂鬱ゆううつ……。

 重力がいつもの倍以上に感じる。


 こんな最悪の状態で、僕は……。


 僕は……。




―――




 朝日を浴びてキラリと輝く大型バス。

 その中には、本日、恋愛免許の本試験を受ける者たちの姿があった。


「ガク……朝ご飯に来なかったな~」


 1番前の席で、つぶやくミサキ。


「きっと、最後の追い込みをしてたのね」


 ウンウンとうなずく。


「私も、負けてられない!」


 そう言って、ミサキは鞄から参考書を取り出し、目を落とした。



 次々と受験者が乗り込んで来る。

 1番最後に、本日引率する教官が乗り込んできた。


「みんな、揃ってるなー?」


 教官は、ぐるりとバス内を見回すと、満足げにうなずく。


「よし、それじゃ出発す……」

「きょ、教官ー!!」


 その言葉を遮って、バス内に女性の声が響いた。


「……どうした、樟葉?」

「梨川くんが……梨川くんが……」


 リオは立ち上がると、悲鳴のような声で叫んだ。


「梨川くんが、いませんーっ!!」




―――




 ――最悪の精神状態。


 いても立ってもいられなくなった僕は……。


 僕は……。



 ――逃げた。




―――




「えええっ!?」


 バスの中に、ミサキの驚く声が響き渡った。

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