教習所の合宿初日。
その日の夕食は、大好きなハンバーグ定食だった。
いつもなら大喜びで食べるところだけど……。
ミサキの寂しそうな瞳がチラついて……。
今の僕に、味を楽しむ余裕はなかった。
「あーっ、これ、美味しい~!」
そんな僕の横で、喜びの悲鳴を上げる少女。
僕を、この席に誘ってくれた人だ。
満面の笑みを浮かべながら食べるその姿。
同い年……。
じゃないな、1学年下の高校1年生かな。
恋免は16歳にならないと取れないから、誕生日が来てすぐに取りに来たってとこか。
まだ、あどけなさが残る彼女に、妹のエリカの姿がかぶった。
「ん? 何を見てるのかな?」
僕の視線に気付いた彼女は、いぶかしげな瞳を向けてくる。
「や……ずいぶんと楽しそうに食べるな~と思って」
思わず誤魔化して笑う。
「美味しいものを食べたら、自然と笑顔にならない?」
そんな僕を、彼女は不思議そうに見つめてきた。
アーモンド形の大きな目。
まるで子猫みたいな瞳だな……。
「それにさ~」
彼女は、ジッとハンバーグを見つめる。
「ご飯を美味しいって言うのは、作ってくれた人への感謝でもあるんだよ」
「な、なるほど……」
今までそんなこと考えたこともなかった……。
でも、確かに笑顔で「美味しい、美味しい」って食べてくれたなら、作った人は本当に嬉しいだろう。
僕は感心して、深くうなずいた。
「だからキミも、もう少し美味しそうに食べた方がいいんじゃないかな?」
彼女は笑う。
「難しい顔してたら、せっかくの料理の味もわかんなくなっちゃうぞ」
「うん……確かにそうだね」
僕も、笑顔で応える。
少しだけ、気持ちが軽くなった気がした。
「ありがとう、え~と……」
「あたし、
「僕……いや、俺は梨川 学司。リオちゃんは1年生だよね?」
その言葉に、リオは驚いたようにうなずく。
ふふふ、やっぱりそうか。
僕の観察眼も、なかなかのものだ!
「じゃ、俺の1個下だね」
そう言って笑う僕を、リオは目を丸くして見つめてくる。
「ん? どうしたの?」
「キミ、凄いね!」
「え、何が?」
「あたしの歳、当てたこと」
リオは、嬉しそうに微笑んだ。
「え……だって、そんなの見ればわかるでしょ」
首を捻る。
まぁ、確かに中学生でも通用するかもしれないけど……。
でも、免許を受けに来ている時点で16歳以上ということになるからね。
「でしょ~! なのに、サークルのみんなとか、あたしを子供扱いしてさ~」
「サークル……? ああ、クラブ活動ね」
僕は補足する。
「講義のときだって、わざわざ教授まで中学生って言うんだよ」
「た、楽しそうな先生だね」
「楽しくないよ!」
リオは、激しく頭を振った。
「言われるこっちの身にもなってもらいたい!」
「あはは、人気者なんでしょ」
思わず笑う僕。
「む~…….。でも、キミみたいに、ちゃんとわかってくれる人もいて良かった」
そう言って、リオは無邪気な笑みを見せる。
本当に、子猫みたいな子だな……。
「3年生になったら教育実習もあるし……」
「教育実習?」
「うん……その生徒たちにまで、子供、子供って言われたらイヤだな~って……ちょっと落ち込んだりもしたんだよ」
「や~、それは大丈夫でしょ」
僕は言う。
「制服みたいな、ちゃんとした格好で行くんでしょ? それなら少し大人に見えると思うよ」
「そうかな?」
リオの顔が明るくなった。
「うん……でも、凄い学校だね」
「え? 何がかな?」
リオは首を傾げる。
「進学校なのかな? 教育実習があるなんてさ……。まるで大学みたいじゃん」
僕は笑った。
しかし、リオは首を傾げたまま。
「うん、あたし、大学だよ?」
「あ~、やっぱそうだよね……」
うなずく僕……。
「……って、ええっ!?」
思わず、大きな声が出てしまった。
「も……もしかして、1年生って、大学1年……?」
「そうに決まってるじゃん?」
「えええっ!?」
「なんでそんなに……って、まさか……」
その顔が、みるみる赤くなる。
「も、もしかして、高校1年生だと思ってたのかなーっ!?」
その言葉に、強くうなずいた。
「ちょっとーっ!」
「ご、ごめん……なさい」
慌てて謝る僕に、彼女は唇を尖らせる。
「で、でもさ、若く見えるってことは、リオちゃ……樟葉さんは歳を取っても若いってことだよ……です」
「ん……そうなのかな?」
「う、うん! だ、だから、悪いことじゃないと思います、です」
「ふーむ、そっか~……そういう考えもあるのね」
その顔に笑みが戻る。
どうやら、機嫌も良くなったようだ。
ホッと胸を撫で下ろす。
「あ、ところで……」
と、そのとき、彼女が再び僕を見る。
「ま、まだ何か……!?」
僕は、ゴクリとツバを飲み込んだ。
「や、別に、敬語じゃなくていいよ」
「……え?」
「あたしも恋愛免許1年生だし、それになんか使い辛そうにしてるしさ~」
そう言うと、フフフと笑った。
「そ、それは……」
「それに、もう今更じゃない?」
「う……まぁ……」
思わず口ごもる。
「そんなわけで、これからよろしくね!」
彼女は笑顔で言うと、ハンバーグの最後の一切れを頬張った。
「ごひほうはま~」
と、食事終了の挨拶らしき言葉を言いながら、食器を乗せたトレイを持って立ち上がる。
「ほれじゃね~」
そして、手をヒラヒラと振り、口をモゴモゴしながら歩き出した。
「食べながら喋るなよな~」
去っていく背中に、声を投げる。
もちろん、聞こえないくらいの大きさで。
彼女は食器を返却口に置くと、そのまま食堂から出て行った。
「変な年上……」
リオさんが出て行った扉を見つめながら、僕もハンバーグを口に放り込んだ。
夕食、そして入浴を済ませた僕は、1人部屋に戻った。
「今日は色々あって疲れたな……」
ベッドに、無造作に横になる。
そのとき、ポケットの中のスマホが振動した。
「ん……メール? この揺れ方は、家族だな」
果たして、それはエリカからのメールだった。
『お疲れ様、お兄ちゃん! 頑張ってる~?』
気遣ってくれるその文は、やはり嬉しいものだ。
「うむ、お土産ポイント高いぞ」
僕は微笑んだ。
メールには、まだ続きがある。
『今朝、クッキーと傷薬の袋、間違えて持ってたでしょー。エリカ、クッキー食べちゃうからね』
「ちょ……間違えたの、僕のせいかよ」
心の中で、お土産ポイントが音を立てて下がり出す。
『美味しいクッキーだったから、お兄ちゃんにも一応報告でした!』
「しかも、もう食べてんじゃん……」
『それじゃ、お兄ちゃんも頑張ってね~!』
「ったく……」
思わず、ため息が漏れた。
「エリカといい、樟葉さんといい……。家でも外でも、僕の周りは騒がしいなぁ」
苦笑いが浮かぶ。
僕は仰向けになると、エリカに返信を始めた。
でも、快適に動く親指は、次第に鈍くなり……。
その指が止まったとき、僕は深い眠りの中に落ちていた。
返信途中のスマホは、次の指示を待つかのように、手の中でしばらく光を放っているのだった……。
―――
そして夜が明けた。
今日は、1時限目から技能教習。
朝食を食べた後、全員で教習室に集まることとなっていた。
「おはよ! 朝ご飯も美味しい~♪」
何故か僕の隣に座ったリオさんは、やはり嬉しそうに卵焼きを頬張っている。
そしてミサキは……。
遠目から時々、僕の方を見るだけ。
朝の挨拶を交わした後は、これと言って何もない。
でも……。
時々こっちを見るってことは、気にはかけてくれてるのかな……。
朝食を済ませた僕たちは、予定通り教習室に集まった。
教官は、全員揃ったことを確認すると満足げにうなずく。
「さて、今日から教習人形を使っての指導が始まるわけだが……」
教習人形――
恋愛は頭で分かっているだけでは意味がない。
頭で理解し、そして行動することが大切となる。
そのため、正しい行動が出来るように、教習人形と呼ばれる人形で実技練習をするのだ。
僕は、教習室の後ろに目を向けた。
そこには様々な人形たちが、椅子に腰をかけた形で待機している。
「人形は人工知能で制御され、こちらの呼びかけにも、本当の人間のように応え、行動する」
教官は得意げに言う。
「そして、人形を起動させる鍵はこれだ」
教官は、1枚のカードを高々と掲げた。
「これを、人形の首の後ろに差し込むのだ」
そう言いながら教官は、1体の人形の前に立った。
黒髪が美しいその人形の髪を持ち上げ、首の後ろにカードを差し込む。
ややあって、パソコンを立ち上げたときのような音が、部屋の中に響き渡った。
固唾を飲んで見守る中、人形の瞳がゆっくりと開く。
それと共に、うつむいていた上体が起き上がる。
電源が入り、体内のバランサーが起動したからだろうと思うけど……。
詳しいことは、わからない。
教官は前に回ると、そっと手を差し出した。
「一緒に来て頂けますか?」
人形は教官を見つめる。
そして、その口がゆっくり動いた。
「――ハイ」
教官の差し出した手を掴み、人形は立ち上がる。
その様子に、満足げにうなずく教官。
人形と手を繋いだまま、教官は最初の場所へと戻った。
「――というわけだ」
不意に拍手が巻き起こる。
おおおおお!
教習人形のことはテレビとかで知ってはいたけど……。
やはり、生で見るのとはワケが違う!
幼い頃、初めてロボットアニメを見たときのような感動が、そこにはあった。
「うむ――それじゃ、各自人形を起動させ、教習室の外に出てもらう」
僕たちに、起動させるためのカードが配られた。
「カードに記載された番号と同じ番号の人形を選び、起動させててくれ」
カードに目を落とす。
そこには01番と書いてあった。
「え~と……」
視線を巡らせる。
「あ、あれか!」
そして、左肩に01と番号が入った人形を発見した。
人形は、教習室の隅で静かに瞳を閉じている。
「これか……」
僕は、その前に立った。
長い髪を縛っている、女性型教習人形。
少しうつむいて瞳を閉じるその姿は、まるで居眠りをしている少女のようだ。
「あ、この子、どことなくミサキに似てるな……」
優しいその顔に、少し嬉しくなった。
「……って、見とれてる場合じゃないや」
周りはもう、人形たちを起動させている。
手を取り、教習室から出ていく者もいた。
僕は、慌てて人形の背後に回る。
「えっと……これだな」
首の裏にあるカードの差し込み口。
そこに、ゆっくりとカードを差し込む。
起動音が響き渡る。
「これで……いいのかな?」
僕は、人形の前に回り込んだ。
人形の瞳が静かに開いていく。
「おおおっ!!」
心の中を、先程の感動が走り抜けた。
人形は、ゆっくり上半身を起こし、そして僕を見つめてきた。
「や……やあ」
咄嗟に手を上げ、挨拶をする。
そんな僕に、人形は小首を傾げる。
「ほら、まだ廊下に出てない者は早くしろー!」
廊下で教官が叫んだ。
ミサキやリオさんをはじめ、他の皆も、廊下で僕たちを待っている。
まだ教習室に残っている者は、ほんの数名だった。
「急がなきゃ!」
僕は、慌てて人形の前に手を突き出した。
「ほらっ、行こう!」
人形は、大きな瞳でその手を見つめる。
そして、再び僕の顔を見た。
人形の口が、ゆっくりと開く。
「――イヤ」
「なっ……!?」
その予想外の言葉に、思わず言葉を失った。
い、今、“イヤ”って言ったよな……。
聞き間違いじゃないよな!?
そうこうしているうちに、教習室から1人、また1人といなくなる。
今のはいきなり過ぎたのかな……?
よ、よし、今度はもう少し丁寧に……。
僕は、深呼吸をした。
「ほら、今日はいい天気だよ。青空の下を、僕と散歩してみない?」
その言葉に、人形は首を巡らせ窓から空を見た。
そして、再び僕に向き直る。
小さく可愛らしい口が、ゆっくりと開いた。
「――イヤ!」
「んがー!?」
二度も続けてフラれた!
人形と言えど、気分は良くないぞ!
「き、君は、外に出たくないの!?」
「――イヤ?」
僕の問いに、人形は首を横に振る。
「じゃ、じゃあ、僕と一緒に外に行こうよ!」
「イヤ!」
むっき――――!!
教官が、教習室をのぞき込む。
「おーい、残ってるのは、お前だけだぞ~」
「きょ、教官~~!」
僕は、泣きそうになりながら叫んだ。
「俺の人形、嫌がってばっかです!」
「イヤイヤイヤ――」
そんな僕を嘲笑うかのように、人形は手を左右に振る。
「梨川……お前、機械音痴か?」
「いや、そんなことは……」
「イヤァ~」
「なんでお前は照れてるんだよ!」
頭をかく人形に、思わずツッコミを入れる。
「ふぅむ、困ったな……。コイツが使えないと、今、他に余ってる人形はないぞ」
教官は、腕組みをした。
そのとき――
「あ、あの……」
不意に響く声。
ミサキが、人形を伴って教習室の中に入ってきた。
「どうした、後藤?」
「あの……良かったら、私が梨川くんとペアになりましょうか?」
「えっ……!?」
おずおずと言うミサキ。
「私の人形も……ちょっと調子悪いみたいですし……」
「調子悪い……?」
僕たちは、ミサキの人形に目を向けた。
「ヘイヘイヘイ~♪」
何も命令していないはずの男性型教習人形は、何故か1人で踊り続けている。
「……これは、2機ともメンテナンスが必要だな」
教官は、ため息をつく。
「仕方ない、今回は2人でペアになってもらおうか」
えっ? えっ? えっ?
その言葉の意味を理解出来ないうちに、僕の手を柔らかで温かな感触が包む。
「ご……後藤さん……」
「よろしくね」
微笑むミサキ。
「よ、よろしく!」
僕の胸は、激しく鼓動し続けた。
「それじゃ、行こう」
そう言って、ミサキは廊下に向かって歩き出す。
握られた手に引っ張られるように、その後をついて行く。
喜びと驚きと緊張で、頭の中は真っ白だった。
その時間の教習は、手を繋ぎ教習コース内を歩くというものだ。
教官が、信号や交差点など、各場所で様々な注意点を説明していたけれど……。
頭には、全然入って来なかった。
ミサキの柔らかな温もりだけが……。
僕の心の中いっぱいに広がっていた。
―――
人がいなくなり、不意に静けさが訪れた教習室。
窓から入り込む太陽が、室内を照らす。
その陽の光を浴びて、浮かび上がる2つの影。
そこには、先程の教習人形が並んで座らされていた。
そっとたたずむ、2体の人形。
それはまるで、静かに寄り添う恋人同士のようだった……。