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第11話 『旅立ちの唄』

「それじゃ、しっかりね」


 母さんが笑顔で手を振る。


「うん、行ってくるよ」


 そう言いながら、僕は車から降りた。

 後ろの扉を開け、後部席に置いていた大きなスポーツバッグを取り出す。

 バッグと並んで座っていたエリカは、膝の上に乗せていた2つの紙袋を空いた座席の上に置いた。

 そして、


「お兄ちゃ~ん」


 瞳をくりくりさせて、僕を見詰めてきた。


「……なに?」

「えへへ、お土産、買って来てね~」

「あ、遊びに行くんじゃないんだぞ!」


 お気楽なエリカに、思わず大きな声が出た。


 僕は今、駅のロータリーにいる。

 これから電車に乗り、伯父さんの経営する恋愛免許教習所に向かうのだ。


「どうしたのお兄ちゃん? 難しい顔して」


 そりゃ、そんな顔にもなるだろう。

 もともと気乗りしなかった上に、最短でも20日間かかる合宿だ。

 そんな長い期間、家に帰らなかった経験はない。


「まったく~、行く前からホームシックになってちゃダメだぞっ!」


 からかってくるエリカに、ゲンコツを振り上げる真似をする。


「きゃー? あはは」


 笑いながら首をすくめるエリカ。


「ったく……」


 僕は、ため息をついた。


「学司、9時30分の電車に乗るんだから、そろそろ行かないと」


 母さんが、僕たちを振り返り言う。


「うん、わかった」


 うなずき、ドアを閉めようとしたとき、


「あ、お兄ちゃん!」


 エリカが、再び僕を呼び止める。


「エリカ、どうした?」

「あのね、お兄ちゃん。これ持ってって」


 そう言ってエリカは、傍らに置いた2つの紙袋のうち、1つを僕に手渡した。


「これは……?」

「長旅でしょ? お腹がすいたら食べてね」

「エリカ……」

「頑張ってね、お兄ちゃん!」


 笑顔の妹。


「お前……実はデキる妹だったんだな~」


 そう言いながら、エリカの頭をなでてあげた。


「もうっ、子供扱いしないでよー!」


 エリカはそう言うが、その顔は嬉しそうだった。


「ありがとう、頑張るよ!」

「うん、だからね……」

「……ん?」

「お土産待ってる」


 エリカの笑みが、いたずらなそれに変わる。


「そう繋がるのか……」


 僕の口から、再び深いため息が漏れた。


「ほら、学司」

「う、うん、行ってきます」


 急かす母さんの言葉を受け、僕は紙袋を無造作にバッグにしまった。


「行ってらっしゃーい!」

「気を付けてね」


 見送る2人に手を振ると、バッグを肩からかけて走り出す。

 駅の階段を駆け上がり、切符売り場で切符を購入。

 改札を抜けプラットホームに辿り着くと、ちょうど電車が構内に入ってくるところだった。

 音を立てて停車する電車。

 その音はプラットホームの屋根で反響し、意外と大きく響き渡る。


「時間ピッタリ」


 一言つぶやき、開いたドアから中に乗り込んだ。

 電車特有のニオイが鼻をくすぐる。

 空いてるボックス席を見つけ、僕はそこに腰掛けた。


「ふぅ……」


 背もたれに寄り掛かると、少しだけ落ち着いた気分になる。


「これからどうなるかな……」


 不安な気持ちが、不意に言葉となって口から漏れた。

 だけど、それに答える者は誰もいない。

 僕は、深く吸い込んだ息を一気に吐き出した。


 それから10分ほどして、ホームに発車のアナウンスが流れる。

 電車は、ゆっくりと動き出した。

 乗客は僕を含めても10人いるかいないか。

 そのためボックスシートを広く使うことができ、それが僕の気持ちを救ってくれる唯一のものだった。


「1人旅っていうのかな……」


 額を窓ガラスに当ててみる。

 ひんやりとした感覚が心地よい。

 眼下に広がる町並みは、電車が加速する度にどんどん後ろに流れていく。


「恋愛免許証か……」


 僕は、そっと瞳を閉じた。

 まぶたの裏に、ミサキの顔が浮かぶ。


 でも……。

 免許を取ったところで、今の僕に告白なんて……。


 そんな気持ちを表すかのように、空はグレーの雲に覆われていた。


「あ――っ、もう!」


 僕は頭を振った。

 こうなってしまったからには、望む望まないに係わらず、もう後戻りは出来ない。


「もう、余計なことを考えるのは止めよう!」


 どうせ考えたって、何も答えは出ないんだから。


 僕は、前を見つめた。

 少しだけ、前向きになれた自分がいる気がする。

 これが旅の効果なのだろうか?


「そうだ、エリカに何かもらったんだよな」


 気分転換にとバッグの中身を探る。


「電車の中で食べてって言ってたけど……」


 程なくして、その紙袋を取り出した。


「なんだろ? 僕の好きなクッキーかな?」


 紙袋の中に手を入れる。

 手に、何かが触れた。


「こ、これは……」


 恐る恐る中身を取り出す。


 僕の瞳に映るもの――

 それは……。


「絆創膏と消毒液……」


 そう、それは絆創膏と消毒液以外のなにものでもなかった……。


「どうやって食べろって言うんだよ!」



「――ねぇ、エリカ。お母さんが買っておいた傷薬、知らない?」

「えー? エリカ、知らないよー?」

「変ねぇ……紙袋に入れてたんだけど……」

「え、紙袋……?」

「なぜか、中身がお菓子に変わってるのよねぇ」

「あ……あは……あははは……」



 きっと、今頃こんな会話が為されているに違いない。


「エリカめ……これはお土産は考えものだな」


 僕は苦笑し、それらをまたバッグの中にしまった。




 それから約2時間が過ぎ、電車はようやく目的地の駅に到着した。


「う~っ、長かったな~」


 凝り固まった筋肉をほぐすため、大きく背伸びをする。

 関節が、ポキポキと音を立てた。


 駅から出た僕を待っていたのは、輝く緑の山々と、降り注ぐ眩しい太陽だった。


「うちの方は雲ってたのに、こっちは晴れてるんだな~」


 でも、その日差しに、うだるような夏の暑さはない。

 連山から吹きおろす風が、涼しく爽やかな空気を作り出しているようだった。

 天気や景色、そして空気まで違う。


「遠くに来たんだな」


 つくづくそう思った。


「さてと次は……。あ、あったあった」


 辺りを見回し、バス停へと走る。


「え~と、次のバスは……」


 携帯で時刻を確認して、時刻表に目を向けた。


「今が11時30分だから……あと10分くらいで来るかな」


 1人旅の寂しさからか、いつもより独り言も多くなる。

 僕は駅の売店でパンを買い、停留所のベンチに腰掛けてバスを待つことにした。

 田舎駅だけど、意外と交通量も多いようだ。

 様々な車が通過していくのを、パンをくわえながら眺めた。


 ここからバスで1時間ほど行ったところに、伯父さんの教習所はある。

 僕は、パンフレットと同封されてきた入校案内書を取り出した。


「教習所到着が12時40分くらい……。

 1時から入校手続きと案内で、その後に適性試験かぁ……」


 手にしたパンをかじりながら、モゴモゴ言う。


「そして、学科と実技教習……初日はギッチリだなぁ」


 軽く息を吐く。

 2日目からは教習と教習の間に長い休みもあり、それが救いだった。


 そうしているうちに10分が過ぎ、目の前に1台のバスがやって来た。

 空気を吹き出すような音がして、バスの扉が開く。

 僕は立ち上がると、バッグを肩からかけた。


 バスから20代半ばくらいの女の人と、幼い女の子と男の子が降りてきた。

 おそらく親子なのだろう。

 3人で手を繋いで歩いていく後ろ姿は、微笑ましいものがあった。


 僕にもいつか、あんな家族が出来るのかな……。


 しばしの間、その光景に見とれていた僕は、小さく微笑むと入口の手すりに手をかけた。


 そのとき――


「いたーい!」


 不意に響く幼い声。

 慌てて振り返ると、先程の女の子が転んでいる姿が目に入った。


「いたいよーぅ」


 泣きながらも起き上がる女の子。


「ほら、泣かないの」


 お母さんは優しく頭をなでながら、服に付いた砂利を払い落とす。

 しかし、女の子は泣き止まない。


「だってだって……血が出ちゃったもーん!」


 見れば、スカートの下からのぞく膝頭に、うっすら血がにじんでいた。


「ちょっと、お客さん! 乗らないの?」


 思わずその光景に見入っていた僕に、バスの運転手が声をかけてくる。


「あああ、すみません、乗ります!」

「いたいよ~ぅ、いたいよ~ぅ」


 後ろでは泣きじゃくる女の子。


「お客さん?」


 再び動きが止まった僕に、運転手がまた声をかける。

 僕は、手すりを握る手に力を込めた。



 ブロロロロロ……。

 バスが、アクセルを吹かして走り出す。


「ほら、もう大丈夫でしょ」


 笑いかける僕。


「うん、ありがとー! お兄ちゃん」


 女の子の顔にも笑みが浮かぶ。

 僕は、出した絆創膏と消毒液を、またバッグの中にしまった。


 エリカの間違いが、意外なとこで役に立ったな……。


 心の中で苦笑する。


「ありがとう、お兄さん。あなた、小さい子の扱い上手いのねぇ」


 母親が感心したように言う。


「うちに似たような妹いますから」


 そう言って、僕は笑った。



「ありがとー! またねー!」


 大きく手を振る親子に、少しだけ大きく振り返す。

 去って行く親子の後ろ姿を見送って、バスの時刻表に目を向けた。


「さっきのは乗れなかったから、次のバスは……」


 ――12時40分発。


「ええっ!? 1時間に1本しかないの!?」


 愕然がくぜんとする。


「これは完全に遅刻だぁ……」


 思わず天を仰いだ。


 でも、後悔の気持ちはなかった。

 あのまま少女を見捨てていた方が、よっぽど後悔していたと思うから……。




「遅いよ、学司」

「ごめんなさい、伯父さん」


 それから1時間が過ぎ、僕はようやく伯父さんの教習所に到着した。


「もう、入校案内は終わって、今から適性試験だ」

「う、うん」


 教習室へと案内してくれる伯父さん。

 僕は、少し太ったその体の後について行った。


 教習室の前に来ると、伯父さんはこちらを振り返った。


「もう試験始まってるから、空いてる席に座って」

「うん、ごめんなさい」

「頑張ってな」


 そう言うと、伯父さんは体を揺らして去って行った。


 僕は、そっと教習室の後ろの扉を開けた。

 小さな部屋の中で、10数名の人たちが筆記試験を受けている。


「え~と、どうすればいいんだろ……」


 まごまごと戸惑っていると、教官が近付いてきた。


「話は聞いてるから、早く席に着きなさい」

「は、はい!」


 慌てて空いている席を探す。

 でも、狭い室内は、どこもいっぱいの様に見えた。


「空いてるとこ、空いてるとこ……」


 そのとき、1人の女性の手が上がった。


「私の隣り、空いてますよ」


 そう言って振り向いたとき――


「「あっ!?」」


 僕たちは、2人同時に驚きの声をあげた。


「梨川くん?」

「後藤さん……なんで!?」


 そこにいたのは後藤 美咲。

 そう、あのミサキだったのだ……。


 僕の胸は、これから始まる期待と不安に、一際大きく鼓動するのだった……。

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