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第7話 『ガンバレ!!』

 若葉青葉の候。

 長雨と衣替えの季節の6月。


 ミサキが転校してきて1ヶ月が過ぎた。

 その間、ずっと見つめ続けてきた僕には、様々なことがわかってきた。



 まず、勉強。

 うちの高校の転入試験は、かなり難しいという噂だ。

 けど、それをクリアしてきたのだから、かなりの学力だということがわかる。


 実際、授業でもミサキはよく答えていた。


 かなりうらやましい……。



 次に、運動。

 ミサキは体が弱いのか、体育はいつも見学だった。

 隅っこに座り、皆を見つめるその瞳には、寂しさの色が光っている。

 ときどきクラスメートがミサキの側にやって来ると、その顔に微笑みが灯る。


「ミサキ、友達が来ると無邪気に笑うよな」


 レイジは言う。


 でも――

 それは、僕には寂しさを隠した微笑みに見えたんだ……。



 それから、ミサキの性格。

 短期間で皆の中に溶け込んだミサキに、何の問題もあるわけがない。


 もちろん、マキという面倒見のいい友達の存在は大きいと思う。

 それでも、誰とでも分け隔てなく話し、笑い、そして優しくできるミサキは、とても魅力的だった。



 そして……。

 最後は僕の悩みの種。

 ある意味、これが一番の問題なんだけど……。



「やっほー、2人とも!」


 昼休み、お弁当を食べ終わった僕とレイジのところに、飛び込むようにしてマキがやって来た。


「やあ、マキ!」


 レイジが、嬉しそうな声を出す。


「マキが俺たちのとこに来るの、なんだか久しぶりな気がするね」


 僕のその言葉に、マキは苦笑いを浮かべた。


「結構忙しいのよ。ミサキに色々と教えたり、案内してあげたいしね」

「そっか……そうだよね……って、あれ?」


 マキの隣りに、そのミサキの姿が見えない。

 いつもなら、2人で一緒にいるはずなのに……。


「あ、もしかして、ミサキ探してる?」


 辺りを見回していた僕に、マキがたずねる。


「え……ああ、今日は一緒じゃないなんて珍しいな~って……」

「ガク~、本当にそれだけかよ~?」

「う、うるさいなぁ!」


 レイジの冷やかしに、思わず上擦った声が出た。


「あははは! やっぱり、あんた達って面白いわ」

「……別に、面白くしようとしてるんじゃないぞ」


 笑うマキに、僕はため息をついた。


「はいはい、で、ミサキだけど……」


 そんな僕の鼻先に、マキは人差し指を立てて話し出す。


「……呼び出されたみたいよ」

「えっ、呼び出しって……また?」

「うん、また」


 少し慌てた僕に、マキはニヤニヤと笑う。


「やるなぁ、ミサキ!」

「うん、この1ヶ月で3回だもんね」


 そう言って、レイジとマキは深くうなずいた。


「「……で」」


 急にこっちを向く2人。


「ガクはどうするんだ?」


 たずねるレイジの顔は、最高にニヤニヤしている。


「べ、別にどうもしないよ!」

「「ガクッ!」」


 そう答えた僕に、2人は思い切り顔を近付けてきた。


「な、なに……?」

「このままじゃ、誰かに取られちゃうかもしれないぜ?」


 そう、呼び出しというのは、告白なのだ。

 今回を含め、この1ヶ月でミサキは3回も告白されている。

 それが僕の中で、大きな悩みの種となっていたのだった。


「で、でも、前の2人のときだってOKしなかったし、今回だって……」

「ふ……だからあんたは甘いのよ!」


 マキは、腕組みをして立ち上がる。


「今回の相手を知らないから、そんなこと言えるのよ!」

「だ、誰なの……?」


 マキの迫力に、恐る恐るたずねる。


「今回の相手は、サッカー部の名波ななみ先輩なんだから!」

「げっ、マジで!?」


 驚くレイジの声が響く。


「え……? 名波先輩って……?」

「……なんで知らないんだ、お前は」

「そんなこと言われたって……」


 僕は、頭をかいた。

 そんな僕に、マキは話し出す。


「うちの学校、サッカー部が強いことくらいは知ってるわよね?」

「う、うん、それくらいは」


 本当に、それくらいしか知らないけど……。

 でも、余計なこと言うとまたレイジに突っ込まれそうだから伏せておこう。


「それで、そのサッカー部のキャプテンが名波先輩なわけ」

「キャプテン……」

「顔もカッコいいし、優しいから、女子の人気の的なのよ~」

「お、おい、ちょっとマキ!」


 うっとりするマキを、レイジが慌てて止めた。


「ま、まさか……お前も、名波先輩のことが好きなのか!?」

「ん~?」


 頬に手を当て、少し考える素振りを見せるマキ。


「う~ん……レイジもいい顔してると思うけど……やっぱり、アホだしなぁ……」

「アホってお前……」


 レイジは、がっくりとうなだれる。


「あはは、うそうそ!」


 そう言ってマキは、レイジの手を取った。


「あたしが好きなのは、レイジだけよ」


 そして、キュッと握る。


「マキ……」


 その手を、レイジは強く握り返した。

 視線が合う。

 少しだけ、はにかんだ表情を見せる2人。

 でも、その目は離さない。


 2人の口が小さく開いた。


「マキ……」

「レイジ……」


 べし、べしっ!


「いてぇ!」

「いった~い!」

「よ・そ・で・や・れ!!」


 クイズの早押しのような勢いで、僕は2人のオデコを叩いてやった。


「あはは、楽しそうだね」


 不意に響く声。

 振り向けば、そこにミサキが立っていた。


「聞いてよ、ミサキー! ガクったらヒドいんだよー」

「そう、俺たちを殴ったんだぜ?」

「そ、それは2人が悪いんだろー!」

「ふふふ、仲がいいんだから」


 僕たちのやり取りに、ミサキはクスクスと笑った。

 その笑顔に、少しだけ癒された気分になる。


 でも、この笑顔が誰かのものに……。


 そう思うと、とても憂鬱ゆううつになってくる。


 告白は、どうなったんだろ……。


「それで、ミサキ! どうだった?」


 そんな僕の気持ちを察してか、マキはミサキにたずねる。


「あ~、うん……」


 ミサキは、少し困ったような笑顔を浮かべた。


 胸の鼓動が速くなる。

 思わず、ツバをゴクリと飲み込んだ。


 僕たちが見つめる中、ミサキの口が静かに開く。


「あれ……断っちゃった」


 え……。

 ホ、ホントに!?


 その言葉に、胸がずうっと軽くなった気がした。


「えっ、何で? もったいないじゃない!」


 だけどマキは、僕にその余韻に浸らせる暇を与えないらしい。


「な、なんでって……ほら、私、免許持ってないし……」


 その勢いに、ミサキも圧倒されているようだ。


「恋免なんて、すぐ取りに行けばいいじゃ~ん!」

「それは、そうなんだけど……」

「まったく……先輩でもダメって……。

 ミサキのハートを射止めるのは、どれだけレベルが高い人なのよ~」


 そう言ってマキは、イタズラな笑みを浮かべてミサキを突っつく。


「ちょ、ちょっとマキちゃん、やめてよ~」


 くすぐったそうに身をかわすミサキ。

 ミサキの長い髪が、ふわりと宙を舞った。


 そのとき――


 キ~ンコ~ンカ~ンコ~ン♪


 昼休みの終わりを告げる鐘の音が、学校内に鳴り響く。


「あ、昼休み終わっちゃった」

「次の授業は体育、かぁ……」


 寂しげに言うミサキ。


「ミサキ、一緒に行こっ」


 そんなミサキを気遣って、マキは一際明るい声をかけた。


「うんっ!」


 その顔に、また笑顔が戻る。


「それじゃ、またね」


 そう言って、2人は手を振り去っていった。


「ガク……」


 その背中を見つめながら、レイジは口を開く。


「告白、断ってくれて良かったな」

「レイジ……」

「まだ、チャンスあるかもしれないぜ?」




 体育の授業は、男子は校庭で100メートル走。

 女子は、体育館でバスケをやっている。


『まだ、チャンスあるかもしれないぜ?』


 レイジにそう言われたとき、僕は何も言えなかった。


『ミサキのハートを射止めるのは、どれだけレベルが高い人なのよ』


 マキの、その言葉が頭をよぎったからだ。


 そんな凄い先輩でもダメなんじゃ、僕なんかとても……。


 自分を磨くしかないだろ!


 頭の中で、もう1人の僕が叫ぶ。

 でもそれは、あまりに漠然としていて、何をしていいのかわからなかった。


「くっそー、負けた!」

「はっはっはー」


 周りではクラスメートたちが、自分のタイムに一喜一憂している。


「まったく、多少速く走れたからといって、僕の人生に何の得があるというんだ……!」


 僕の隣りでつぶやくハカセ。


「なぁ、君はそう思わんか?」


 僕の顔を見ると、眼鏡を上げながら同意を求めてきた。

 そんなハカセに苦笑いを返して、ふと体育館に目を向けた。


 開け放たれた扉から、コートを左右に行き来するボールと女子。


 そして――


「……あ!」


 ストップウォッチを手にした、ミサキの姿が見えた。


 運動の出来ないミサキは、こういう形で体育に参加しているのだろう。

 真剣な顔で、ゲームの行方を追っている。

 その顔に胸が熱くなるのを、僕は感じていた。


 僕は、やっぱり君のことを……。


 その瞬間、突風が校庭を吹き抜ける。


「うわっ」


 巻き上がる砂埃に、僕は目を覆った。


「くうっ」


 突然の風のイタズラ。


 しばしの後――

 巻い上がった砂は、また校庭へと帰っていった。


「ふう……」


 ため息をつき、ゆっくりと目を開ける。

 風は体育館の中にまで乱入したらしい。

 僕の目に、体を屈め髪を押さえているミサキの姿が映った。


「扉が開いてたからか~」


 その姿が可愛くて、思わず僕は笑った。


 しばしの間そうしていたミサキは、やがてゆっくりと顔を上げた。

 少しだけ唇を尖らせて、体についた砂埃を払う。


 そして――


「あ……」


 振り返ったミサキは、僕と目が合ったんだ……。


 高鳴る胸。

 熱くなる顔。


 ミサキは少し驚いた顔をしたけれど、それはすぐに笑顔へと変わった。

 そして、みんなに気付かれないよう、小さく手を振る。

 僕も慌てて振り返す。

 笑顔でうなずくミサキ。


「ん?」


 僕が見つめる中、ミサキの両手がスッと動いた。

 その手は、それぞれ口の左と右に当てられて、大きな声を出すときのポーズとなる。


「んん?」


 頭に疑問符が浮かぶ中、ミサキの口が大きく動いた。

 僕の口が、それをなぞる。


「が・ん・ばっ・て……!?」


 ミサキに声はない。

 でも、あの口の動きは、そう言ってるとしか思えない!



「ミサキ~、なにやってるの?」


 そのとき、ミサキの元にクラスメートがやってきた。


「わっ、何でもない、何でもないよ!」


 ミサキは慌てた様子でその子の肩をつかむと、くるりと体を反転させる。


「だって今、外に向かって何か……」

「な、何でもないってばー!」


 そして、その背中を押しながら歩き出した。


 僕の視界から消える直前――

 ミサキは、こちらに顔を向けた。


 え……。


 そして、優しく微笑んだんだ。


「ミサキ?」


 不思議がる友達。


「何でもないよ~」


 また、その背中を押し、今度は完全に僕の視界から消えていくのだった。



「い……今のは……僕に向けてだよな……?」


 信じられない気持ちでいっぱいの僕は、思わず周りを見回した。

 でも、該当するような人は見つからない。


「ミサキが僕に……」


 それは、単なる気まぐれかもしれない。

 目が合ったから、社交辞令でしたのかもしれない。

 でも、僕にはそんなことは関係なかった。


 ミサキが、僕に向けてメッセージをくれたこと。

 それが純粋に嬉しかったんだ!


「よし……頑張るぞ!」


 俄然、やる気が湧いてきた!


「梨川ーっ! 何をやっているーっ!」


 遠くで先生が僕を呼ぶ。

 どうやら、100メートル走の順番が回ってきたらしい。


「よし……!」


 小さく拳を握る。


「梨川ーっ、聞こえんのかー!」


 その背中に、再び先生の怒気が飛んだ。


「今、行きまーす!」


 僕は、手を上げて振り返った。


「ガク、あとはお前たちだけだぜ?」


 レイジが、僕の元にやって来る。


「大丈夫、任せておけって」


 そんなレイジに、親指を立てて笑顔を見せた。


「お、おう……?」


 意味がわからないという表情のレイジをよそに、スタートラインへと歩き出す。


 今の僕は、何だって出来そうな気がする……!


 吹き抜ける風。

 それは上空の梅雨の雲を吹き流し、そこには青空が見えていた。


 まるで、今の僕の心を表しているかのようだ。


 単純だけど揺るぎない想い。

 それが、僕を突き動かす力になっていた。

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