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第3話 『微笑みは光る風の中』

 犯罪が増加する近代日本。

 特にストーカー問題やDV等、恋愛がらみの犯罪は、軒並み増加の一途をたどっていた。

 また、離婚の増加や少子化等、夫婦間の問題も浮き彫りになっていた。


 急増する恋愛絡みの犯罪に終止符を打つべく、時の政府は新たな法律『恋愛法』を制定する。



【恋愛法】

 第4条 恋愛をし告白しようとする者は、公安委員会の恋愛免許証を取得しなければならない。



 この制度により、無免許での恋愛は重大な法律違反となった。


 そして、制定から15年経った今。

 各地に、免許取得のための恋愛教習所も増えた。


 今や恋愛法は、人々の暮らしと密接な関係にあると言っても過言ではない。




「――法律を守ることは私たちの義務であり、私たちを守るための大切な使命なのです」

「はい、ありがとう」


 先生の言葉に、転校生は教科書から目を離すと、笑顔を返して腰を下ろした。

 担任の睦美むつみ 日奈子ひなこ先生は、ゆっくりと生徒たちを見回す。


「では、この恋愛法では、どういったことが法律違反になるかしら? ……それじゃ、光石くん」

「はい」

「いっぱいあるけど、3つくらい挙げてみて」

「わかりました」


 ハカセは立ち上がると、直立不動で口を開いた。


「近年、重要視されているのは、スピード違反と一方通行違反と飲酒告白です」

「はい、ありが……」


 お礼を言おうとした先生を手で遮り、再び口を開く。


「スピード違反は、まだ出会って間もないのに告白をすること。スピード婚などもこれに該当します。

 一方通行違反は、相手にその気がないのに一方的に好意を押し付ける。いわばストーカー的行為の禁止です。

 飲酒告白は、アルコールの力を借り、酔った勢いで告白をしてしまうという非常に無責任な行動です。

 飲酒告白の場合、5年以下の懲役又は100万円以下の罰金が課せられます」


 一息で言い切り、ハカセはクイッと眼鏡を押し上げた。

 窓から入り込む陽射しを浴びて、レンズがキラリと輝く。


「さ、さすが光石くんね」


 驚きを隠せない先生を前に、ハカセは、したり顔で腰を下ろした。


「ハカセは知識はあるけど、実践する場がないからなぁ」


 レイジのその言葉に、教室内に笑いが起こる。

 鼻を折られたハカセは、真っ赤な顔でレイジをにらんだ。


「はいはい、そこまで。みんな、ここはテストに出るから、ちゃんと覚えておくようにね」


 その言葉を受け、教室内はざわめきだつ。


「ヒナコ先生、簡単な問題にしてね~!」


 誰かの悲鳴のような声。

 先生は「ふふふ」と、小さく笑った。


 ざわめく教室をよそに、僕は少し離れた席に座る転校生の横顔を眺めていた。


『恋愛法は、私たちが正しく恋愛するための――』


 教科書を読み上げる彼女の声が、頭の中によみがえる。


 透き通るような可愛い声……。

 ああいうのを、小鳥がさえずるような声っていうのかな……。




後藤ごとう 美咲みさきです。ミサキって呼んで下さい」


 そう言って、頭を下げる転校生。

 朝のホームルームの出来事だ。

 頭を上げた彼女は、はにかんだ笑顔を少しだけ見せた。


 か、可愛い……。

 胸が高鳴る。


 そして、それはクラスの皆も感じていたようで、教室内はにわかに歓声に包まれた。

 その声に、彼女は更に頬を赤らめる。


「後藤さんは隣の1組に入る予定だったんだけど、今朝、担任の先生が入院してしまって……。 急遽、私たちの2組に入ることになりました。 みんな、仲良くしてあげてね」


 先生の言葉に、再び歓声が上がる。


 これは思わぬハプニング!

 入院してしまった先生には悪いけど、嬉しすぎる出来事だよ!


 僕も歓声を上げ、拳を高々と天に突き上げた。

 もちろん、恥ずかしいので心の中でだけど。


 僕の胸は、ホームルームが終わるまでずっと騒ぎっぱなしだったんだ……。




 キ~ンコ~ンカ~ンコ~ン♪


 物思いにふけっていた僕を、チャイムの音が現実世界へと引き戻す。


「それじゃ、ちゃんとテストに向けて勉強しておくようにね」


 授業終了の挨拶の後、先生はそう言い残して去っていった。


「ふぅ……」

「梨川くん、ちょっといい?」


 腰を下ろした僕に、不意にかけられる女子の声。

 振り向くと、そこには学級委員長が立っていた。


「あ、委員長。どうしたの?」

「ど……どうしたのじゃないわよ! ずっとあなたのこと見てたけど、なんなの? 授業中なのにボーッとしちゃって! 心ここにあらずって感じだったじゃない!」

「う……それは……」


 ミディアムボブの髪を揺らして問い詰めてくる委員長。


 ミサキのことを考えてたなんて言えるわけがない……。

 っていうか、なんでずっとこっちを見てたわけ?

 なんか、今もにらまれてるし……。


「梨川くんはいつもそう! そんなことじゃこれからやっていけ……」

「よぅ、ガク~!」


 レイジ! 助かった~!


 お説教に割って入ってきたレイジに、僕は内心でホッと胸をなでおろす。


「あれ? お取込み中だったか?」

「……もう、いいわよ!」


 委員長は、レイジをにらむと足早に教室から出て行った。


「あいつ、怒ってたな……俺、タイミング悪かったか?」

「いや……最高に良かったよ」


 困ったように頬をかくレイジに、僕は笑顔でそう答えた。


「うーん? まぁ、いいや。それはそうと……だ! ふっふっふ」

「うわ……なに、その怪しい笑顔」


 怪しい笑顔。

 まさに、ニヤニヤというのが相応しい。

 ベスト・オブ・ニヤニヤだ。


「またミサキに会えたな」

「うん、そうだね……って、レイジはもう名前を呼び捨てで呼んでるの?」

「ん?」


 僕の問いに、それは不思議そうな表情に変わる。


「だって、『ミサキって呼んで下さい』って言ってたじゃん?」

「それはそうだけど……」


 だからといって、それをいきなり実行する勇気は、僕にはない。

 心の中で呼ぶのが関の山だ。


「まぁ、それよりもだ! ガクはミサキのとこに行かないのか?」

「な、なんで?」

「なんでって、お前……」


 レイジは、宙に視線を向けた。


「そりゃあ、朝も会って、クラスまで同じになってさ……」

「……運命とか、神様のお導きってこと?」

「そうそう!」


 僕の言葉に嬉しそうにうなずくレイジ。

 そんなレイジに、僕は深い溜め息をついた。


「……絶対、俺で楽しんでるだけだよね?」

「そ、そんなことねーって!」


 慌てたように否定するレイジに、今できる最高の疑いの目を向けてやった。


「でもな、ガク!」


 その視線から逃れるように、レイジは声のトーンを落とす。


「やっぱり、これはチャンスだと思うぜ!」

「チャンス……?」

「仲良くなるチャンスだよ! 『朝、廊下で会ったね~』とか言って、自然に話しかけられるだろ」

「そうかもしれないけど……」


 僕は、ミサキの方に視線を向けた。


「……あの中に飛び込んで行けって?」

「あの中……?」


 振り返るレイジ。


「のわっ!?」


 その口から、驚きの声が漏れた。


 僕たちの視線の先。

 そこには、かなりの人だかりができていた。

 その中心にいるのは、もちろん転校生のミサキ。


「ねぇねぇ、ミサキちゃんってどこから来たの?」

「前は、どんな学校?」

「わからないことあったら何でも聞いて!」


 嵐のような質問や話。

 彼女は、それらに1つ1つ丁寧に受け答えをしていた。


「いつの間にこんなに人が……」

「でしょ? あの中に飛び込む勇気なんてないよ」


 まぁ……。

 仮に人だかりがなかったとしても、僕が飛び込んで行けるかは疑問なんだけどね。


 でも……。

 もし、勇気を出して話しかけたなら……。



 ――僕は、スッと立ち上がる。


「ガ、ガク?」


 驚くレイジを後目に、僕は真っ直ぐ歩き出す。


「ちょっと、ごめん」


 人と人の間を上手くすり抜け――

 そして、ミサキの元に辿り着く。


「やあ、また会ったね」

「あ、あなたは……」


 声を掛けた僕に、驚いた様子の彼女。


「僕の名はガク」

「私はミサキ……」


 しばし2人は見つめ合う。

 教室内のざわめきは、もう僕たちの耳には届かない。

 僕の瞳にはミサキ。

 ミサキの瞳には僕だけが映っている。

 誰も踏み入れられない空間。

 輝く風が2人を包んでいく。


「凄いね……」


 その風をまとい、ミサキが不意に口を開く。


「これだけの人の中から、またあなたに出逢えるなんて……」

「そうだね」


 僕は微笑む。


「僕たちの出逢いは、運命なのかも知れない」

「運命……」

「2人ならきっと、時代さえ飛び越えられる」

「ああ、ガク……」

「ミサキ……」



「――あーっ、ダメダメ!」


 そのとき、マキの元気な声が、幸せな僕の妄想を吹き飛ばす。


「質問は1人1回! 手短にね!」


 僕は、ため息をついた。


「マキ……何で仕切ってんの?」

「さぁ……?」


 不機嫌な僕の質問に、レイジは苦笑しながら“わからない”というジェスチャーを見せる。


「……まぁいいや、トイレ行ってくる」


 そう言って、僕は立ち上がった。


「行ってらっしゃーい」


 レイジは、軽く手を振る。

 歩き出した僕は、さり気なくミサキの方に視線を向けた。


 男女入り混じった人だかり。

 その中で笑う、ミサキの姿が見えた。


 人々の輪に包まれたミサキ。

 嬉しそうなその姿。


「……え?」


 でも――

 その瞳に時折、悲しみの色が光る気がして――


 それは、僕の心に深く深く焼き付いていった。


 透明感と儚さを感じさせるその笑顔は――

 僕の心を捉えて、いつまでも離さなかったんだ……。

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