5月17日 20:21 伊豆半島沖 伊820司令官室
「紫雲ちゃーん」
「んー?」
甘えモードでドロドロに溶けた彩華を抱きしめながら、書類を片付ける。
私の副官は、仕事の手伝いより、こうして私の胸の中で溶けている事の方が多い。
「しゅき~」
「私も好きっ」
更に強く抱きしめる。
窒息させる勢いで彩華の顔を胸に押し付ける。
軍服のまま抱き合うと、
しかし、これは将官の宿命だ。
「ハンコ~…あっ」
「はい、朱肉」
「ありがとっ」
そして彩華は察しが良い。
まるで私の心を読んでいるかの様に。
「2030年になってもハンコ…電子化しないかな…」
「ねー、早く電子化しないな」
「よしっ、書類お終い」
書類をファイルに入れて、入港まで保管する。
この書類の1つに、私の出張に関する書類も含まれている。
「帰ったらこの書類をお父様に出さないと」
入港したら霞ヶ関にある海軍省にこの書類を届けなければならない。
潜水艦隊司令部は海軍省の中にある。
「僚艦も異常無し、私達がやる事は暫く無いよ」
「暇だね~」
「ね~」
時刻はそろそろ
丁度良い時間だ。
「お風呂入ろう、彩華」
「入る~」
彩華は私から離れる。
数時間くっついていたせいか、残り香が半端ない。
棚からお風呂セットを取り出して、お風呂に向かう。
「紫雲ちゃんっ」
彩華が私の顔を見つめながら舌を出している。
可愛い…じゃなかった、キス、キスだキス。
「んぁーむっ」
16cmある身長差を背伸びで埋める事は出来ない。
立ちながらキスする時は私が屈んで、彩華を抱きしめながらする。
「「んはっ」」
「えへへ」「んふふ」
「じゃ、行こっか」
「うん!」
司令官室を一歩出ると、彩華は一変して副官の顔になる。
司令官室はこの艦内で唯一彩華が常に私に甘えられる場所だ。
居住区 女性用風呂
伊820はこれまで一緒だった艦内のお風呂を完全に分離した。
シャワーも湯船も真水が供給される。
これも原子力機関の恩恵の1つだ。
「身体洗うよ~」
「うん、お願い」
2人でお風呂に入る時は、こうしてお互いに身体を洗い合う。
最初に頭を洗い、肩、胸、お腹と上から順に洗って行く。
これは私も彩華も変わらない。
「紫雲ちゃん」
「ん?」
「またおっぱい大きくなった?」
「気のせいじゃないの?」
今、このお風呂には私と彩華しか居ない。
だから、彩華も思いっきり私に甘える事が出来る。
お互いの身体を洗い合い、流し終えると湯船に浸かる。
温かいお湯が身体に染みる。
「「あったか~」」
彩華の身体に目をやると、どうしても
この痣や傷は、彩華の両親による虐待の跡である。
彩華はこの傷跡を他人に見せるのを徹底的に嫌う。
露出度の高い服を嫌い、水着も全身が隠れている物を着る。
彩華の両親は2人では無く、数は数十名に及ぶ。
とっかえひっかえ、結婚と離婚を繰り返した。
生みの親はロシア人の母と日本人の父、彩華はハーフであり、この銀髪も母の遺伝である。
彩華と言う名前も、生みの親が付けた。
「彩華」
「ん?」
「大好き」
「私もっ」
彩華の身体を見ると、抱きしめたくなる。
もうこれ以上、身体に傷を付けさせまい。
そう、固く誓ったのは、高校1年生の6月であった。
「ねぇ、彩華」
「なぁに?」
「………」
「ど、どうしたの?」
「いや…その、やっぱり彩華の目は綺麗だなって」
「…うへへ」
彩華の目はピンクだ。
ピンクと言っても赤色に近い。
これも遺伝による物である。
こんなに可愛い彩華に傷を付けた輩は断固として許さない。
仮にこの横鎮に来たならば、警務隊を以ってして海の底へ沈める。
それ程の覚悟だ。
「紫雲ちゃん、抱っこ」
「ん、OK」
彩華の要求に従い、抱きしめた。
肌と肌が直接触れ合うので、体温が服を着た時よりも濃く伝わってくる。
お湯に濡れた彩華の身体は、より一層綺麗に見えた。
彩華を抱きしめ続けて数分、彩華の方から抱っこを止めた。
その代わり、私の手を引いて湯船を出る。
ほのかに香る石鹸と彩華の匂いが興奮を誘う。
このまま後ろから襲ってしまいたい。
しかし、流石に艦内のお風呂でそれは出来ない。
私は襲いたいと言う気持ちをグッと堪えてお風呂を出た。
数分後 司令官室
時刻はもうすぐ2130になろうとしていた。
消灯まで後30分だ。
伊820は南西諸島へ向けて順調に進んでいる。
「明日の夜には着くかな」
彩華は自室に戻り、既に眠っている。
私もそろそろ、寝ようかな。
電気を消して、ベッドに入る。
ドアの隙間から通路の赤色灯が漏れている。
「…潜水艦だなぁ」
この漏れている赤色灯を見ると、伊820に乗っているのだと実感する。
さて、次に私が出た時は艦内火災演習でもしようかな。
~~~~~~~~~~~~~~~~
5月18日 06:00 宮崎沖 伊820司令官室
「んーはぁ…」
「おはよー!橘花ちゃん!」
「んぅ…おはよう」
ここは…伊820か。
彩華は相変わらず元気で可愛い。
「なぁ、今何処進んでんだ」
「宮崎沖、明日には着くと思うよ」
「おう、そうか」
「紫風ちゃ~ん!」
「うおっ」
彩華が勢いよく抱き着いて来た。
彩華はいつも通り身体に顔を擦り付けてくる。
「んふふ~」
彩華が着けている銀色の飾緒がジャラジャラと音を立てている。
副官は銀色の飾緒を付けるのが規則だ。
「なぁ、発令所はどうなってる?」
「別に普通だよ、電探も異常無し」
「そりゃぁ良かった」
俺がちょっと顔出すだけで良いか。
任務地まで後1日あるんだ。
「今日はここで食うわ、持って来てくれ」
「うん、後で持ってくね」
「おう、じゃぁ、俺は一通り見てくる」
「はーい」
発令所
「おはよう」
「敬礼!」
「敬礼は良い、それよりどうだ艦長、異常は無いか」
「はい、全て異常ありません。予定通り、明日の2012は到着できるかと」
「そりゃ良い、俺は他の所見てくるからその調子でな」
「はっ」
機械室、居住区、科員食堂、士官室、ミサイル室、原子炉区と回って行く。
これは俺のモーニングルーティーンの1つだ。
最終的には俺の部屋に戻って来る。
「ただいま」
戻ったら彩華と一緒に朝飯がある。
これが俺の日常だ。
「おかえり~」
「んじゃ食うか」
「「いただきます」」
朝飯は彩華と一緒に司令官室で食べる。
机は壁に沿って横に設置されているから、2人で使っても狭くない。
「今日も飯が美味い!」
「潜水艦じゃご飯だけが楽しみだもんね」
「あぁ。水上艦だったら、F作業が出来たんだがな」
F作業、Fishing作業の略。
まぁ、つまり釣りの事だ。
水上艦だったら、釣りが出来たんだがなぁ。
「浮上すれば出来るけどね~」
「そんな長時間浮上出来るのは停泊中くらいだぜ?」
「それは…そうだけどね」
「コイツは潜水艦なんだから、潜ってないと意味がない」
「うんうん、潜水艦だもんね」
朝飯を食い終わったら、科員食堂まで戻しに行く。
持って来るのは彩華に任せるが、戻すのは自分でやる。
数分後 発令所
今日は訓練をしよう。
そうだな、何の訓練をするか。
「ん~…」
「魚雷っ、魚雷っ」
彩華が耳打ちしてくる。
成程、魚雷発射訓練か。
「ん?魚雷か…よし、そうしよう」
少し息を整えて…。
「教練、魚雷戦用意!」
「!!きょ、教練、魚雷戦用意!」
艦長が急いで復唱する。
アラームが鳴り、乗組員が走って発令所に戻って来る。
そう言えば朝飯中だったか?
まぁ良いか、そんな事。
「1番、4番、発射用意!」
「1番、4番、注水開始」
俺の命令通り発射準備が進められる。
まずは発射管に注水。
「し、司令」
「何だ」
「い、今やらなくても良かったんじゃ…?朝食中ですし…」
「あぁ、俺も思った。でも言っちまったもんは仕方ねぇだろ?」
「は、はぁ…」
正直朝飯の後でも良かった。
そして、それを思ったのが号令を出した後だった、ただそれだけだ。
「1番4番、発射管注水完了。発射準備完了」
「発射!」
「発射」
これは訓練だから実際に魚雷は発射されない。
だが、発射管扉は開いている。
「…魚雷正常に航走中」
モニターには発射されたとされる魚雷が写っている。
そうや、目標言って無かったな。
ま、良いか。
「自爆させますか?」
「おう、自爆させろ」
「魚雷、自爆」
モニターから魚雷が消える。
無事に自爆した証だ。
「よーし、状況終了」
乗組員達の力が一気に抜ける。
朝飯中で油断してたもんな。
「紫風ちゃん」
「ん?」
「相変わらず適当だね」
「こんなモンで良いだろ」
「そ、そうかな…」
俺が訓練を発する度に彩華はこう言う。
そんな適当か?
「そう言うなら、昼にでもまたやるか?」
「うん…今度はしっかり目標も決めてね…」
「おう、分かった」
仕方無ぇなぁ。
彩華が言うなら、また昼にでもやるかぁ。