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第参話 航海

 司令官室 5月8日 08:22


「……んーっ…あぁぁっ…んぅ…」


 ココ…何処?

 …今は何日?

 ……何時?

 枕元に置いてある置き時計を探す。


「あったぁ…」


 デジタル式の置き時計を手に取り、日時と時刻を確かめる。

 あぁ、デジタル式の置き時計が置いてあると言う事は、ここは艦の司令官室か。


「…8日…0822……よいしょっ」


「橘花ちゃん!おはよう!」


 彩華曰く、寝起きは時は人格を判別できないらしい。

 彩華が人格を判別できない時は、本名の橘花と呼ぶ。


「んぅ…おはよう」


 彩華は私の正確な起床時刻も当てる事が出来る。

 起き上がると同時に、彩華が部屋に入って来た。


「今日は紫雲ちゃんだね」


「うん」


 人格交代のタイミングは様々。

 1睡眠ごとに変わるのが1番多い。

 私と紫風が毎睡眠ごとに交代で表に出ている。


「あ、メモ…」


 枕元の机には紫風が残したメモが残されていた。

 こうやって、紫風はメモを残して紫風が表に出ていた時の事を伝えてくれる。

 私も同じ事をして、紫風に出来事を伝えている。

 でも、たまに寝落ちしちゃったりで伝えそびれる事もある。

 そういう時は、彩華や参謀、それに部下達が伝えてくれる。

 記憶を共有できたらいいのにな。


「何々…?」


 ・時間通り0330出港

 ・時間に遅れた馬鹿が6人

 ・馬鹿共は置いて行った

 ・馬鹿共の処分を考えろ


「馬鹿共…あ、乗り遅れた人が居たんだ」


「うん、紫風ちゃん呆れてたよ」


「まぁ深夜出港だし…でも遅れるのは頂けないな」


「うん、5分前の精神忘れちゃったのかな?」


 しかし、6人分の食料や水が浮いたのは有難い。

 ベッドも空いたから、その部屋の乗組員は少しゆったり寝れるだろう。


「多分そうじゃないの?」


「はい、上着」


「ありがと」


 彩華が上着を着せてくれる。

 上着を着せると同時に彩華が後ろ抱き着いて来る。


「んで、遅れたのは幹部?」


「ううん。普通の一等兵」


「OK、処分はまた後で考えよう」


 立ち上がり、今度は正面から彩華を抱きしめた。

 彩華は私の胸に顔をうずめている。

 この状態は数分間続いた。


 彩華との抱合を終え、部屋に設置されている鏡を見て髪を整える。

 一通り髪を整え終わると、彩華が帽子を持って立っていた。


「はい、帽子」


「ありがと」


 帽子を被り、部屋を出る。

 取りあえず発令所へ行こう。

 部屋を出てすぐ右手にある扉を開け、発令所に入る。

 彩華は士官室へ向かって行った。


「!司令、おはようございます」


 私が入って来た事に気づいた副長が敬礼してくる。

 副艦長に続けて発令所に居る乗組員が全員立ち上がって敬礼する。

 参謀達は発令所に居なかった。

 きっと士官室に居るのだろう。


「おはよう、諸君」


「「「おはようございます」」」


「艦長、今は何処を進んでいるのかな」


「はっ。現在、本艦は和歌山県串本沖を深度50、速力12knotにて航行中です」


「了解。海南島到着は?」


「明日の昼前、1112ヒトヒトヒトフタに到着します」


「分かった」


 さてと、朝食を食べたい所だが既に終わっているはずだ。

 食事にはありつけないだろう。

 軽食位なら何か食べれないかな…。


「紫雲ちゃん、お腹空いてるでしょ?」


「うん、お腹空いた」


「はい、おにぎり」


「流石。気が利くね」


 流石は彩華だ。

 起床時刻のみならず、空腹具合まで完璧に把握している。

 私は立ったままおにぎり食べる。


「うん、美味しい」


 立って食べるなんていつぶりか。

 いつか、前に行った立ち蕎麦だったかな。


 早くおにぎりを食べて、士官室に行こう。

 参謀達に会いに行こう。


「ごちそうさま」


 空腹からかすぐに食べてしまった。

 いつもなら5分はかかるが、今日は3分足らずで食べてしまった。


「参謀達に会いに行こう、彩華」


「はーい」



 士官室

 士官室では予想通り参謀達が居た。

 参謀達は何やら話し合っている様であった。


「何話してるの?」


「あ、司令。おはようございます」


「おはよう。十和田少将」


「今、新型原潜の性能予測をしていたんですよ」


 洛人君が予想を書いた紙を見せてくれた。

 艦の絵から諸元性能、武装まで詳しく書かれていた。


「やっぱり、もっと情報が欲しいよね」


「ねっ。流石に衛星写真1枚だけは乏しすぎる」


 彩華の言う通りもっと情報が欲しい。

 しかし、その情報収集が任務である。


「ねぇねぇ、疾歌。何か傍受できたとか無い?」


「そう思って、通信士にも確認したんですけど、特にありませんでした」


「コンピューターは?」


「そちらも空振りでした」


「残念」


 この艦の情報設備はかなり整っている。

 艦内にはサーバールームも存在する。

 専用のハッカーも雇った程だ。

 理論上、この艦からサイバー戦を仕掛ける事も可能である。


「ま、海南島に行けば正体は分かる」


「着いてからのお楽しみ…って事ですね」


「そうだよ、洛人君」


 海南島に行けば嫌でも新型原潜に会う事になる。

 到着までゆっくり待とう。

 待つのは潜水艦乗りの本分だ。




 士官室 11:55

 昼食の時間だ。

 航海中の唯一の楽しみである。


「お、良い匂い」


 幹部達は艦長を含め、私が席に座るまで食べ始めない。

 海軍全体の伝統の一つである。

 正直、先に食べ始めてても良いのだけれど、皆がそれを遵守する。


「今日は何かな」


「はっ、カレイの煮つけと切り干し大根、アラ汁です」


 食事番の二等兵曹が即座に答える。

 今日はカレイか。


「美味しそうだね」


 私が席に座ると、皆が食べ始めた。

 私もそれに続いて食べ始める。


「いただきます」


 出港直後は生鮮食品から使い始める。

 無駄にして腐るのを防ぐ為だ。

 生鮮食品が尽きたら缶詰生活だ。


「うん、今日も美味しい」


 伊820のシェフ達の腕は最高だ。

 今日も美味しい食事が食べられる事は幸せだ。


「司令、缶詰まで後何日でしょうね」


 航海長が問うてきた。

 確かに、それは私も気になる。

 この食事が何日続けられるか。


「そうね…2週間位じゃないの?」


 生鮮食品の積み込み具合からすれば、2週間くらいで尽きるだろう。

 そしたらまた、缶詰だ。

 最近の缶詰は進化していると言えど、流石に毎日食べていたら飽きる。


「紫雲ちゃん、缶詰のバリエーションが増えたらしいよ」


「そうなの?」


「うん。5種類くらい増えたんだって」


「へぇ~。それで、私達に先行配布?」


「うん」


 どうせ飽きる。

 最初の内はまだ良い、だが最後の方になれば飽きる。

 間違いなく飽きる。


「メニューは?」

「忘れた」


「そっか」


「確か、新しい魚の缶詰があったと思いますよ」


「そうなのか?機関長」


「はい。確か鯨の大和煮だったと思います」


「へぇ、鯨か…」


 鯨は数回食べた事ある程度。

 味はあまり覚えていない。


「楽しみにしておこう」




 司令官室 21:22

 夜の自由時間。

 艦内をうろつくのも良し、部屋に籠るのも良し、トレーニングルームで鍛えるも良し、同僚と談笑するも良し。

 今日は部屋に籠って読書をする。


「今日は…何にしようかな」


 本棚にある本の中から一冊を選ぶ。

 並んでいる本はどれも軍関連の物ばかりである。


「日本空母史…今日はこれにしよう」


 日本の空母の歴史を綴った日本空母史。

 今日はこれを読もう。

 本棚にある本に手を取った瞬間、部屋の扉が開いた。

 ノック無しで入って来るのはこの艦でただ一人。

 彩華だけだ。


「紫雲ちゃーん!」


「どうしたの、彩華」


「処分どうするの?」


「あ」


 考えて無かった。

 乗り遅れた乗組員への処分、考えて無かった。


「どうしよっか」


「紫雲ちゃんの好きにすれば?」


 そう言いながら、後ろから抱き着いて来る彩華。

 そしてさりげなく胸を揉んで来る。

 これも日常である。


「どうしようか」


「前例通りでいいんじゃない?」


 前例通りであれば1か月の減給だ。

 しかし、その前例は19時間の遅刻だ。

 今回のとは訳が違う。


「…1か月の減給か」


「そう。それで良いんじゃないの?」


「そうね、そうしようか」


 後は海軍軍務規定の対応する項目を探して、通知文書を作るだけ。

 簡単な仕事だ。


「…彩華、全部やってくんない?」


「良いよ~」


 顔を私の背中に擦り付けながら答える。

 艦内で作ってもどうせ渡すのは帰投後だから、今急いで作る必要は無い。


「よし、処分確定」


「幹部達に伝えないとね~」


「そうね」


 彩華は私の背中で落ち着いてる。

 流石にこのベッドで2人寝る事は出来ない。


「……紫雲ちゃん、洗剤変えた?」


「あ?分かる?変えたの、ってか変えざるを得なかった」


「どゆこと?」


「いつも使ってたの、販売終了しちゃった」


「ありゃりゃ」


 流石彩華、私が使っている洗剤まで把握している。

 販売終了した洗剤、結構良かったんだけどな。


「洗剤変えても紫雲ちゃんは良い匂い~」


 また背中に顔を擦り付けてくる彩華。

 猫のマーキングと似たものを感じる。

 彩華を背中に載せながら本を読む。

 彩華の体温が背中を通して伝わって来る。



 数分後

 数分間読むのに熱中していた。

 背中に抱き着いている彩華を見てみると、彩華は寝ていた。


「おっと」


「すぅ…すぅ…んぅ…ぬぅ…」


 これは彩華を部屋まで運ばないといけない様だ。

 この部屋のベッドが2人で寝れるなら良かったのだけれど。


「よいしょっと」


 彩華をお姫様抱っこして、部屋まで持って行く。

 彩華の部屋は302号室。

 居住区入ってすぐ右側の部屋。

 部屋の相手は疾歌だ。


 艦内を歩いていると、すれ違う乗組員の注目を否が応でも受けた。

 流石に、司令が副官をお姫様抱っこして部屋に運ぶ光景はこの伊820でしか見れないだろう。



 居住区 302号室


「よいしょっと」


 幸い、疾歌は居なかった。

 彩華をベッドに寝かせて、布団を掛ける。

 そして、頭を撫でる。


「うへへ…」


 嬉しそうだ。

 そして可愛い。


「おやすみ」


 さぁ、彩華を無事に送り届けた事だし、戻って本の続きを読むか。

 私はもう一度彩華の頭を撫でた後、302号室を後にした。

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