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第弐話 出港

 横須賀鎮守府 潜水艦第一桟橋 5月8日 02:50

 まだ朝日が見えぬ中、俺達は横須賀を発つ準備をしていた。


「今日は紫風ちゃんだね」


「おう」


 食料・水・弾薬の積み込みは昨日の内に完了した。

 後は各部点検を済ませるだけだ。


「乗るか」


「うん」


 私物は昨日のうちに運び込んでおいた。

 暇つぶし用の本やMP3プレーヤーに、着替えの下着やパンツ、ブラ等。

 この伊820には従来搭載されなかった洗濯機が搭載されている。

 お陰で着回ししなくて良くなった。


 タラップを上がり、甲板こうはんへ上がる。

 艦橋外側の梯子を登り、右側側面のハッチから艦内へ。

 艦橋内部の梯子を下り、発令所に入る。

 発令所に入ると、俺達に気づいた奴から敬礼して来た。


「おはようございます。司令、少将」


「おう、おはよう」「おはよう、航海長」


「どうだ?点検終わったか?」


「はい。点検終了、異常ありませんでした」


「おう、分かった。艦長は来たか?」


「はい。今はミサイル室におられるかと」


「そうか」


 艦の点検は艦長と長の仕事だ。

 俺達の仕事じゃない。

 俺達の仕事はあくまで指揮、艦を動かす事じゃない。


「時間通り出港できそうだね」


「あぁ」


 むしろ時間より早く出れそうだ。

 予定より早く新型原潜の待ち伏せが出来るかもしれない。


「!司令、少将、おはようございます」


「おはよう」「おはよう、艦長」


「報告します。全区画、異常ありませんでした」


「おう、そりゃ良かった」


 機器類の点検は終わったらしいから、後は乗組員の点呼だけか。

 "点呼は済ませたのか?" そう艦長に問いかけると、艦長は言葉を濁した。


「何だよ、言いたい事あるなら言えよ。俺が濁されるのが大嫌いなのは知ってるだろ?」


 そう問い詰めると、艦長はおもむろに口を開く。


「……6名、おかより未着です」


「まだ時間はあるし、ゆっくり待とう」


「彩華の言う通りだな。別に出港まで時間はあるしな」


「いえ…それが…その…」


 艦長の表情がどんどん曇って行く。

 何だ?不味い事でもあるのか?


「…出港時間には間に合わないかと…」

「…は?」「…え?」


 俺は艦長の言葉に耳を疑った。

 出港時間に間に合わない?ふざけてるのか。

 5分前の精神はどうした!5分前の精神は!


「ねぇ、艦長。何で間に合わないの?」


「その6名…遠方に住んでるんですよ…ここまで来るまで1時間以上の…」


「それがどうしたんだ、流石に今向かってるんだろ?」


「いえ…全員、電話したんですよ」


 まさか、電話の着信音で気づいたとか?

 いやいや、流石に起きてるだろ…ってか艦で寝ろよ。

 狭いけどツインルームあるんだから。


「電話の着信音で起きたみたいなんですよ…全員」


「…チッ。馬鹿共が…」「え、えぇ…」


 俺は馬鹿共の処分をどうするか考えた。

 取りあえず置いてく事は確定、あんな馬鹿共の為に出港を遅らせる訳には行かない。

 …減給…いや、減給と停職だな。何か月にしてやろうか。


「オイ、艦長」


「は、はい!」


「馬鹿共に連絡しろ、もう帰っていいってな」


「わ、分かりました!」


 そう言うと、艦長はそそくさと発令所を出て行った。

 スマホか固定電話かは知らんが、電話しに行ったのだろう。


「ったく…ま、6人分食料と水と空気が浮いたんだ、良かった」


「よ、良かったの…かな」


「大丈夫だろ。人員の空きは俺と彩華で埋めればいいだろ?」


「…うん、それもそうだね」


 海軍室蘭学校の最終卒業試験よりも23倍の人手があるんだ。

 この艦1隻動かす位余裕だ。


「よーし、艦長が帰ってきたら出港準備させるか。彩華、今何分だ?」


「21分」


「りょーかい。だいぶ早いな」


 21分か。

 前日にある程度準備していたのが効いたな。


「司令、伝えて来ました」


「おう。お疲れさん。あ、出港するから」


「分かりました」


 そう言うと艦長はマイクを手に取り出港準備の号令を掛ける。

 艦内は一気に慌ただしくなる。

 艦長は号令を発した後、梯子を登り艦橋に登る。

 時刻は0328、時間通りだ。


「よーし、順調だな」


[出港用意]


「出港用意」


 艦長から出港用意の号令が発せられる。

 号令の後、発令所では号令を副長が復唱する。

 きっと甲板ではタラップと舫い索が外されているだろう。

 錨も上げられているはずだ。


[両舷前進微速]


「両舷前進微速」


「両舷微速前進」


 艦がゆっくり動いてるのが分かる。

 これが水上艦であれば常に景色の移り変わりで動いてるか判断できるが、これは潜水艦だ。

 計器と身体の感覚で速度を感じるしかない。


[面舵5度]


「おもーかーじ、5度」


 艦は順調に進んでいる。

 出来るだけ早く東京湾を抜けて潜航しよう。


[東京湾に出る]


「東京湾に出る」


「東京湾に出る」


 艦長、副長、操舵手の順に復唱される。

 同じ号令を3度聞く。


[面舵、方位166]


「面舵、方位166」


「おもーかーじ、方位166」


 艦が曲がるのも良く感じる。

 学生の頃はこんな事無かったんだが、伊820コイツに乗る様になってから身体が色々敏感になった。

 匂いにも、光にも、そして重力にも。


「順調だな…俺は司令官室に戻る。操舵手、無事に東京湾出てくれよ?」


「はっ!お任せください!」


「よーし良い返事だ。じゃ」


 俺は東京湾に入った所で司令官室に行く。

 そろそろ睡魔が襲って来る。

 それに、紫雲アイツ宛にメモを残しとかないと。

 彩華が全部教えてくれるだろうが、彩華にあまり負担を掛けさせたくない。

 "自分"の事は"自分"で何とかしないとな。


 発令所を出てすぐ左手に司令官がある。

 木製の扉が高級感を醸し出している。

 反対側は艦長室。

 この艦で個室が認められているのは俺と艦長だけだ。


「さーてー…」


 司令官室に入り、机の上に置いてあるメモとボールペンを手に取る。

 まず何を書くか……。


「時間通り…0330…出港…未着の馬鹿共…6人っと」


 さて、他に何か書くことはあったか。

 機関も異常無し、食料も水も異常無し、少し何なら浮いた。


「あっ、そうだそうだ」

 馬鹿共の処分を紫雲アイツに考えさせよう。

 俺が考えるより、よっぽど理性的な処分が下せる。


「よし…こんなモンか」


 ・時間通り0330出港

 ・時間に遅れた馬鹿が6人

 ・馬鹿共は置いて行った

 ・馬鹿共の処分を考えろ


「よし、寝るか」


 ボールペンをペン立てに戻して、メモを枕元に置く。

 軍服の上着を脱いで壁に掛け、靴を脱ぎベッドに入る。

 ベッドに入り、電気を消す。


「…赤色灯が漏れてるな…まぁいつも通りか」


 いつも通り、通路の赤色灯がドアの隙間から漏れている。

 最近はこれが無いと安心して眠れなくなって来た。


「ふわぁ…あーっ、深夜出港は寝るタイミングがおかしくなるからあんまやりたくねぇんだよな…」


 しかし、深夜の出港はあまり目立たない。

 潜水艦の出港は極力目立たない様にした方が良い。

 ならば深夜出港が最も良い選択だ、人も少ない。


「…海南島…か」


 海南島は中国海軍の潜水艦部隊の本拠地の1つ。

 日本にとって重大な脅威の1つである。

 海南島へは定期的に通常動力型潜水艦を送って偵察をしているが、原潜による偵察はこれが初めてだ。


「…もしかしたら魚雷を撃つことになるかもしれねぇな…」


 戦後80年、日本海軍は海戦を起こしていない。

 警告射撃は何度も行っているが、船体には当てていない。

 船体に当てたのは海上保安庁の巡視船だ。


「撃てるなら撃ちてぇな…」


 撃てるなら撃ちたいし、当てれるなら当てたいし、沈められるなら沈めたい。

 バレたら国際問題になる事は確定だろうな。

 ったく、演習じゃアクティブソナーを当てるだけだ、しょーもない。

 標的艦は動かないし、訓練魚雷は威力低いし。


「っぱ実戦だよな…」


 そんな事を考えていると、気づかないうちに俺は寝てしまっていた。

 朝起きる時は、きっと紫雲アイツが表に出てるんだろう。

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