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第壱話 巡検

 横須賀鎮守府 潜水艦第一桟橋 5月7日 09:33

 赤城中将から 自由にしていい と言われたので、彩華と艦隊を見に来た。

 潜水艦第一桟橋には3隻の潜水艦が停泊していた。

 停泊していたのは伊820、伊821、伊711の3隻。

 この3隻の内、私が乗艦するのが伊820である。


 艦に目を向けてみると、十和田少将が部下の作業の監督をしていた。

 十和田 一征とわだ いっせい少将。第一潜水艦隊の首席参謀を務めている。

 幹部の中では1番の古株だ。

 古株と言っても、39歳なのだが。


「調子はどうか」


「上々です。下士官や兵達の士気も問題ありません」


「それは何よりだ」


「食料の積み込みはどうか」


「順調です。今日中には積み込みが完了します」


 順調で何よりだ。

 この調子であれば、明日の明朝には出港出来そうだ。


「明日の明朝には出港しようと思う」


「はっ」


1030ヒトマルサンマルから会議を行う。1030に伊820の士官室に集合」


「了解しました」


 機関参謀と情報参謀にも伝えないとね。

 彩華に伝えて貰おう。


「彩華、洛人君と疾歌はやかに伝えて」


友部 洛人ともべ らくと機関参謀。

 21歳で少将に上り詰めた、最年少の少将だ。

 洛人君が少将になる前は私と彩華の22歳が最年少であった。


 早岐 疾歌はいき はやか情報参謀。

 海軍大学校の情報将校課程IF課程を初めて卒業した人である。


「うん、伝えてくるよ。十和田さーん!洛人君は何処に居るの?」


「多分、原子炉区画じゃないか?それか機械室だろう」


 この伊820は原子力潜水艦である。

 現在、就役している原潜はこの伊820と伊821の2隻。

 それ以外は全て通常動力型の潜水艦である。


「疾歌ちゃんは何処?」


「情報参謀は分からないな。さっき艦内に入って行ったのは見た」


「OK!ありがと!」


 礼を言って、彩華は走って艦内に入って行った。

 私はゆっくり艦内に入る事にした。



 伊820発令所

 梯子を下り、艦内に入る。

 梯子を下った先は発令所だ。


「さて誰かいるか…」


 誰も居ない。

 停泊中は良くある出来事だ。


「無人か」


 皆、陸に上がっているのだろう。

 もししくは他所の点検か。


「士官室には誰かいるのかな」


 士官室は発令所の隣の区画にある。

 士官、いわゆる幹部は私も含めここで食事を取る。


 発令所と士官室の間に艦長室と司令官室がある。

 これまでの日本海軍の潜水艦は、基本的に司令官が乗艦する事を考えておらず、個室や士官室の専用席は、艦長にのみ許された特権であった。

 しかし、この伊820は司令官が乗艦する事を前提として設計された艦である。

 何故ならば、この伊820の艦種が【司令部潜水艦】であるからだ。

 この潜水艦自体が艦隊の司令部として機能する。

 故に司令官室や司令官専用の椅子が存在するのだ。


「あ、疾歌」


 士官室には疾歌が居た。

 疾歌は卓上に広げられた海図を眺めていた。


「司令!お久しぶりです!」


「久しぶり」


 今回の休暇は久々の長期間の休暇であった。

 皆に会うのは実に1ヶ月ぶりである。


「会議の話、聞いたか?」


「えぇ。彩華ちゃんから聞きましたよ」


「品川先任は何処に居るか分かる?」


「さぁ?陸に上がってるんじゃないでしょうか?」


「OK、分かった」


 品川 直樹しながわ なおき先任士官。

 この艦隊の曹と兵の代表であり、この艦隊で最も長く働いている人である。

 彼はこの艦隊で20年働き続けている。

 彼に対しては、艦隊司令である私も敬語を使う。

 何故なら、彼は私や他の幹部達とは違い、二等兵からの叩き上げである。

 彼から見た私など、ただのひよっこに過ぎないだろう。


「あ、司令」


 噂をすれば何とやら。


 品川先任が入って来た。


「お久しぶりです。品川先任」


「司令、お久しぶりです」


「1030からこの部屋で会議を行いますので、出席願います」


「分かりました。1030ですね?」


「はい。お願いします」


「了解しました」


 そう言って、品川先任は発令所の方へ向かっていった。

 品川先任の放つ独特な風格は我々でさえも圧倒される。


「マイクマイク…」


 艦内放送で残りの幹部に会議がある事を呼びかける。

 艦長と副長が艦内に居たら良いのだけど。


「達する。司令官の七条である。艦内に居る幹部に伝達する。本日、1030より今後の作戦に関する説明を行う。少佐以上は全員、士官室へ集合せよ」


 これで何人に伝わったのだろうか。

 全員に伝わってくれたら有難いのだが…そんな事は無いだろう。

 何人かは必ず陸に上がっているはずだ。


「陸の方に行ってみるか」

 第一潜水艦隊の司令部は2つあり、1つがこの伊820。

 もう1つは横須賀鎮守府の敷地内に設置されている司令部である。

 私が潜水艦勤務を外れている時や停泊中はこの陸上司令部で指揮を行う。


 原子炉区画の方から走って来る音がする。

 きっと彩華だ。

 洛人君に伝えて帰って来たのだろう。


「伝えて来たよ」


「司令、お久しぶりです!」


 洛人君が彩華の後ろに付いて来た。

 洛人君の顔も見るのも久しぶりだ。


「洛人君久しぶり」


「今度は海南島ですよね?」


「そうだ。予定通り海南島へ向かう」


「しかし、何故この艦なのでしょうか?本来の運用方法とは大幅にかけ離れているかと…」


 洛人君の言う通りである。

 この艦の運用は、司令部としての役割とSLBMとしての2つの役割がある。

 仮に戦争になった場合、後方から弾道ミサイルを敵地に叩き込む。

 これがこの艦の基本的な運用方法であり、前線で追尾や攻撃を行うのはこの艦の本来の目的ではない。

 しかし、今回の任務は原潜でなければ不可能な任務である。

 故にこの艦が選ばれたのだ。


「何、それも含めて会議で説明する」


「はっ」


「私は陸の司令部に行ってくる。この会議の事を知らない幹部がまだ居るだろうからな」


「司令、自分が伝えて来ましょうか?」


「良いのか?」


「はい」


「では、頼んだよ」


「はっ!」


 洛人君は急いで陸の方へ上がって行った。

 陸軍みたいに専用の伝令が居たらどんなに便利だった事か。

 私は海図を眺めながら会議の開始時刻を待つ事にした。



 伊820士官室 10:25


「皆、集まったか」


「はい。伊820の少佐以上の乗組員、全員集まりました」


 この様な場では、彩華も私に対して敬語を使う。

 普段は対等な関係であるが、会議や式典では司令官と副官の関係になる。


「では、5分早いが会議を始める。彩華、海図を」


「はい」


 彩華が机の上に海図を広げる。

 海図には予定航路が赤線で引かれていて、海南島には印が付けられてた。


「伊820は予定されていた通り、海南島へ向かう。目標は人民解放軍海軍が開発した新型原潜の追尾・音紋採取だ」


 彩華が米軍が記録した資料を机の上に並べる。

 資料と言っても、衛星写真だけなのだが。


「この写真は米軍の偵察衛星が撮影した物である。この写真から分かる事はただ1つ、この艦もSLBMである事だ」


「他の情報は?」


「原潜である。以上」


「それだけですか?」


「この2つだけだ。首席参謀」


「2つだけ…?」「米軍はこれしか集められてないのか…」

「あまりにも情報が…」「もっと集めてからでも良いのでは?」


 ざわつく幹部達。

 幹部達の言う事はもっともである。


「諸君らの言う事は尤もである。私もそう思う。しかし、我々の任務がそのである」


「米軍からの依頼ですか?」


「どうだろうな、艦長。その可能性も十分ある。しかし、米軍からの依頼だろうが独自の任務だろうが関係無い。命令されたのなら、それに従うだけだ」


「はっ」


「航路に付いてだが、この赤線の通りだ」


 幹部達が立ち上がって海図を見る。

 指でなぞる者も居れば、ただ眺めている者も居る。


「東京湾を出て、大島の北を抜けて、そのまま沿岸沿いを航行。南西諸島の南側を抜けて南シナ海に入って、海南島に至る。海南島周辺で目標が出てくるか、2か月経過するまで待機だ」


 出来れば2か月潜航し続けるのは避けたい。

 しかし、目標の音紋を採取するまで我々は撤退出来ない。


「出港は明朝0350、夜明け前に出る。それまでに積み込み、点検を終わらせておくように」


「「「はっ」」」


「以上だ、解散」


 解散の号令を掛けると同時に、幹部らが一斉に席を立つ。

 そうだ、家から私物を持って来よう。

 もう今日からこの艦で寝る事としよう。


「彩華、物を取りに行こう」


「うん」

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