山の南の森は静まり返っていた。きっといつも静かなのだろうが、その静寂は生物がいないことに起因する気味の悪さを伴う静寂であった。
地震により倒れている木も散見された。所々に小さな亀裂が走り地面が隆起しているところもあった。
西京とシャルロットは森の中、エスパー反応があった地点をくまなく探していた。
「この辺りから反応がするわね。どこかしら……」
「ふむ、あそこ辺りから反応がするね。クレアボヤンスで見た景色とも一致する」
西京が指差す方向に地中への洞穴があった。
シャルロットも穴の中からエスパー反応があるのを感じていた。そして二人は穴を覗き込んでみた。
「これは……横穴が奥へ続いているね。明かりが見えるが……」
「…………そう……ね」
「シャルロット君、怖いだろうがついて来てくれるかい?」
「こ!! こ、こ、怖くなんかないわよ!! ばかぁ!!」
西京は両目を閉じもう一度クレアボヤンスを使用した。
「ふむ……こ、これは……とにかく中に入ろう」
「え? 何? 何が見えたの!? ねぇ!!」
「君も使ってみれば分かるさ」
「…………さ、先に行ってちょうだい……」
シャルロットは西京のマフラーの端をぎゅっと掴んだ。その姿に西京はチョンカの幼い頃のことを思い出していた。
「ふふ、任せなさい」
「……うん」
西京とシャルロットはそのまま洞穴の奥へ歩みを進めた。
身を屈めなければ通り抜けられないほどの幅しかないが、奥へ行くほどに穴は広がっている。洞穴は短く、すぐに一番奥へ辿り着いてしまった。
「き、きゃぁぁぁああああぁぁぁぁああっっっ!!」
奥には光球が一つだけ浮かんでおり、その光に照らされていたのは紛れもなく波打ち際マンであった。しかし──
「ミイラ……こ、これは一体……」
波打ち際マンは体中の体毛が全て抜け落ち、骨が浮き出るほどにやせ細り、座禅を組んでそこに鎮座していた。このような姿をこの暗がりで見てしまえば、シャルロットでなくても悲鳴をあげていたであろう。
「…………っ!? 体の表面のミイラ化が目に見える程の速度で進行している! これは……サイコブースト!!」
「い、いやっいやっ! あ、ああああぁ、あ、あたし、か、帰るぅ!!」
「……解除できない!? アニマシールドか!! シャルロット君!! 彼のシールドを破ってくれ!」
「い、いやよっ!! あたし絶対無理っ!!」
「仕方がない……!」
怯えて腰が砕け這いずりながら洞穴から出ようとするシャルロットを、西京は後ろから抱きしめた。そして優しくシャルロットの頭を撫でてやるのだった。
「シャルロット君、落ち着きなさい。私がついているから大丈夫さ。気持ちの悪いところへ連れてきてしまって本当に悪かったね。でももう少しだけ我慢してくれるかい?」
撫でられているうちに外へ逃げようとするシャルロットの力が抜け動きが止まる。
「……パパ……」
「ふむ?」
「パっ! な、何でもないわよ!! い、今聞いたことは忘れなさい!!」
シャルロットは顔を赤くして西京の腕を振りほどき、呼吸を荒くしながら西京を指差した。もう片方の手は動悸を押えるためにか、胸を掴んでいた。
「あ、あなたね! に、西京さんはっ!! 本当にいつもいつも急に……!!」
「ああ、それはすまないと思っているのだが、村のこともあるから早くアニマシールドを破ってくれると助かるのだが」
「~~~~~~~~っっっっ!!」
シャルロットは声にならない悲鳴をあげつつ、わざと大きな足音を立てながら西京の横をすり抜け座禅を組むミイラの前に立った。
「……おえっ。何なのこいつ……もうっ!!」
アニマシールドやアニマガードを破るというのは、それ以上の精神力を持つ負荷をかけてやればよい。それは攻撃でもよいし、例えば今シャルロットがやろうとしているように、アニマシールド同士を接触させてやってもよいのだ。数人掛かりでシールドやガードを展開しようという意思のない場合、反発しあって精神力の弱い方が破れることとなる。
直接攻撃なら破ることも早いのだが、この洞穴の中でそのような派手な攻撃は出来るはずもない。
それ故どうしても初めはアニマシールド同士での破壊ということになる。
「んっ、このシールド……かなり硬い!!」
「無理そうかい?」
「ひゃああぁぁ!! う、後ろから急に話しかけないで!! あ、あたしはエスパーシャルロットよ!! こ、この程度のアニマシールド……ちょっと時間かかるかも……だけどっ! すぐに破ってみせるわ!!」
「よろしく頼むよ」
アニマシールドを展開し波打ち際マンのシールドを破るためにうんうん唸りながら額に汗するシャルロットを、西京は背後から静かに見守っていた。直接攻撃ではなく、シールド同士の接触により破るのは時間がかかってしまうのだ。
そして、乾いた音が洞穴に響いた。
波打ち際マンのアニマシールドにひびが入ったのだ。
その機を逃さず、シャルロットがサイコキネシスでアニマシールドの亀裂部分をこじ開けた。
割れたガラスのように、アニマシールドが粉々に砕け散り緑色の輝きと共に大気に溶けていった。
「西京さん!!」
「サイコリバース!!」
波打ち際マンのミイラ化が止まり、見る見るうちに皮膚に張りが戻っていく。
『サイコリバース』とは西京が独自で得た能力で対象の時間経過を逆転させることが出来る。西京はサイコヒールにもこのサイコリバースを盛り込んでおり、そのおかげでチョンカのサイコヒールとは違い異常な速度を見せている。倒壊した建物を修復したのもこの能力である。
西京のサイコリバースは波打ち際マンのサイコブーストを上書きし、その時間経過を高速で逆回転させていった。
そして、失われた体毛は元に戻ってはいないものの、波打ち際マンの体型が元に戻った辺りでサイコリバースを解除した。
「す……すごい……西京さん、あなた本当に……な、何者なの!?」
「それよりもほら、見てご覧。彼が目を覚ましたようだよ」
座禅を組んだまま、波打ち際マンの両目がゆっくりと開いていく。
そして焦点の合わぬまま、口走る。
「き、気持ち……いい……」
「こ、こいつ……なんなの!?」
予想外の言葉にたじろぎ、後ずさりするシャルロットを無視し、西京は問いかけた。
「おはよう波打ち際マン君、早速で悪いがいくつか質問があるのだよ。君は昔プリンプリンマンボと名乗っていたのではないのかい?」
「君は……覚えているよ……久しぶりだね……Mr.西京……」
もちろん久しぶりと言うほどに日は経っていない。波打ち際マンが自身にサイコブーストを使用していた弊害であった。
「波打ち際マン君、答えてくれるかな? 時間があまりないのだよ。君が山に爆薬を仕掛けて噴火を誘発させているのだね?」
「波打ち際マン……懐かしい名だ……プリンプリンマンボも……大昔にそう名乗っていたことも……あったね……しかしそのどちらも……今の僕には似合わない……今はそう、即身仏太郎と呼んでくれるかな?」
「そ、即身仏? 即身仏って自ら望んでミイラになるっていう?」
「ふふ……そこの少女……詳しいじゃないか……私はね、おおよそこの世の快楽を……知り尽くしてしまってね……そこで更なる快楽を……見つけることが出来たのさ……それこそが死の快楽……脂肪を落としきり……ぎりぎりのところで生命活動を維持し……そして仏となる……ああ、神との融合を果たすそのギリギリの瞬間……私は……ああ……」
「ふむ、君の快楽の話はまた後で聞いてあげるから、火山の中の爆薬にかかっているアニマシールドを解いてくれないかい?」
「Mr.西京、君には……感謝している……サイコリバース……素晴らしい能力だ……私に死をもう一度くれるのだから……しかしだからと言って……アニマシールドを解くことはできない……私は即身仏になった後……溶岩に飲まれ完成する……それになにより……もう美しくないこの山は……吹き飛んでしまったほうがいい……」
そう言うと即身仏太郎は再び瞑想を始めてしまう。お経のようなものを口ずさんでいるが、二人にはそれが何なのかは理解が出来なかった。何が気持ちいいのか、時折あえぎ声をあげ身動ぎしている即身仏太郎の様子は、シャルロットには見るに耐えないものであった。
「そういうわけにもいかないのさ」
西京の左手が光で覆われる。解除してくれない以上、即身仏太郎が死ねば勝手にアニマシールドは解除される。即身仏太郎の死を確認した後、爆薬を回収すれば被害は最小で済むかもしれないのだ。
しかし西京が仕掛けようとした瞬間であった。三度目の地震が轟音と共にやってきた。
二度目の地震とは違い縦揺れこそこなかったものの、立っていられないほどの横揺れが西京達を襲う。
即身仏太郎が即身仏となるために掘ったこの簡易的な洞穴は、いとも容易く天井が崩れだす。
「シャルロット君!!」
相変わらず何を考えているのか分からないリスだけど、シャルロットは言葉を交わさずとも少しは西京の言いたいことが分かった気がしてきていた。それも喜ぶべきことなのか保留としたいところではあるが、とにかくテレポーテーションで地上へと脱出した。
揺れが収まったのを確認して、シャルロットは地上へと降りた。
そこには既に西京と即身仏太郎がいた。どうやら即身仏太郎の方は西京が強制的にテレポートさせたようであった。
「……君はプリンプリンマンボと名乗っていた頃、ヴィーク村の女性を連れ去ったと聞いたが……何をしたのだい?」
「これはまた……懐かしい話だ……アニマの研究のために教団へ差し出したのさ……」
「……やはりか……」
シャルロットにはなぜ西京がそのような質問をしたのかは分からなかった。
当然西京が何に納得がいっているのかも分からない。
「さぁ、もういいだろう……僕の即身仏になるための……快楽の道を……邪魔しないでくれるかな……」
「いや、そうはいかないな。即身仏太郎君、君は即身仏になったとしてもアニマシールドは残るのではないのかい?」
「……えっ!? そんな、まさか!?」
「ふふ……ふふふ……Mr.西京……あなたは本当に賢い……その通りだよ……即身仏になるとは神との融合……本当の意味での死ではない……私のアニマは快楽と共に……今以上の昇華を果たし……血液たる溶岩に飲まれ……ラピスティとの融合を果たす……」
「ラピスティ……? 教団と融合……? こいつ何言ってるの?」
「……私にも分からないね。とにかく即身仏太郎、君には即身仏ではない本当の死をプレゼントすることにしよう。闇の中で輝く生命は闇に還るのが道理と言うものだよ。サイコシャドウ!!」
西京から高速で伸びた何本もの影が即身仏太郎に取り付き、その姿を隠してしまった。
(ラピスティ……教団名にもある単語……神? 融合? ……一体何のことなのだ?)
西京の放ったサイコシャドウは即身仏太郎の周りで、球状になって停滞してしまう。
「アニマシールドか!! シャルロット君!」
西京はシールドに阻害されていると見るや即座にサイコシャドウを解除し、シャルロットにシールドの解除を要請する。そしてシャルロットも名を呼ばれただけで西京の意図を理解し攻撃に移る。
しかしサイコシャドウの解除を受けて、即身仏太郎は再び瞑想を始め座禅を組んだままの姿勢で空中へ浮かび上がる。
「させないわ!! パイロキネシス!!」
ほう、と西京から思わず声が漏れた。まさかシャルロットから自分の一番得意とする能力名が出るとは思っていなかったのだ。
空中にいる即身仏太郎のアニマシールドに炎の渦が巻きついていた。
(シャルロット君もかなり才能があるね。パイロキネシスはチョンカ君と同じくらい優秀だね)
そして再び、即身仏太郎の展開するアニマシールドにひびが入った。
「西京さん!!」
「やるね……仕方がない……殺されるわけにはいかないからね……僕の授かった能力を見せよう……アニマイリュージョン……」
西京も、シャルロットも、目を疑った────
空中に、地上に、いたるところに座禅を組む即身仏太郎の姿が現れたのだ。しかもそのどれもがエスパーの反応を示し、アニマシールドを張っていた。どこからともなく、即身仏太郎の声が響く。
「僕は僕……一人だけが僕……しかし僕は色んな顔を持つ……全てがどれも僕……快楽の旅へ出ます……探さないでください……」
「こ、これは……やっかいだね」
「周囲500Mの至るところから反応があるわ……に、西京さん、どうすればいい!?」
「…………うっ!! ……あぁっ!」
全ての即身仏太郎のミイラ化が嬌声と共に始まっていた。
西京はアニマの昇華が出来ていないことを悔やんだ。悔やんでも始まらないのだが、もしも即身仏太郎のアニマシールドを自分で破ることが出来たなら、いくらでも殺しようがあったからだ。一つのシールドを破ることで精一杯のシャルロットにはこの数は荷が重かった。せめてチョンカとラブ公がいたならば────
地震で山が崩れ、木々がなぎ倒されている静かな森の中で、即身仏太郎の喘ぎ声だけがこだましていた。