チョンカ達はプップラの山小屋を後にし、下山して湖の畔を歩いているところであった。既に辺りは暗く闇に包まれており夜の帳が下りていた。チョンカにサイコスパークを浮かべてもらい周囲を照らしながら報告のため再び老婆の家へ帰っていた。
「チョンカ君、さすがにもう暗いからテレポーテーションを使ってしまおうか。ご老体の就寝時間は早いだろうからね。日が沈んだらいつ夢の中に行ってしまうか分からないからね」
「そうじゃね、先生。じゃあ行こうか」
テレポーテーションを使うため、ラブ公達を側に呼ぼうと振り返ったとき、ラブ公達は随分後ろの離れたところで『うんこ』の明かりを見上げていた。どうやら歩いているうちにラブ公達が立ち止まったことに気付かずに距離が開いてしまったようだった。
「ミーティアちゃん、本当にお山が光ってるでしょー?」
「うん! 書いてある文字は汚いけど、光ってるのは綺麗!!」
「僕もそう思うんだー。もっと素敵な言葉だったら良かったにね」
二人は静かに光る山に浮かび上がった『うんこ』を眺めていた。
お邪魔することを少し躊躇うチョンカであったが、西京の言うようにあまり遅い時間に帰還するのも老婆に悪いだろうと思い二人を呼んだ。
「二人ともー! テレポートするから、はよこっちにおいでー!!」
「あ、チョンカちゃんが呼んでる! ミーティアちゃんじゃあそろそろ行こうか」
「うん! ありがとう、ラブ公ちゃん」
ラブ公が竹馬の踵を返しチョンカ達の方へ向かおうとした、その時であった。
湖の対面にある森から、大勢の鳥が一斉に羽ばたく音がした。どちらが先かは分からないが、それとほぼ同時に揺さぶられるように左右に地面が揺れバランスを崩したラブ公は竹馬から飛び降りた。見れば静かであった湖の水面が少し波立っていた。
「わ、わ、ゆ、揺れ! な、なんだろぅ、ぼ、僕おかしくなっちゃったのかな??」
「ラ、ラブ公ちゃん、大丈夫??」
「う、うん。もう揺れてないみたい……僕は大丈夫だよ」
「ラブ公!! ミーティアちゃん!!」
チョンカと西京がラブ公達の身を案じてか急いで駆け寄ってきた。
「西京、今僕ふらふらして竹馬から飛び降りたんだけど……どっかおかしいのかな?」
「ふむ、今地面が揺れたのは地震と呼ばれる現象だね。ラブ公がおかしくなってしまったわけではないよ。はっきりと原因は分からないようだがたまにある自然現象だそうだよ。私も過去に何度か遭遇したことがあるけれど、今の地震はそれ程大きなものではなかったようだね」
「な、なんで地面が揺れるんじゃろ……誰かがサイコキネシスを使いよったんかな……き、気持ち悪いね」
「自然現象だからね。人為的なものではないと思うよ?」
「あ、あたち、なんだか怖いわぁ……早く帰りまちょ?」
「そうじゃね、うちも気味が悪いわ。それじゃあ行くよー」
小さかったとは言え地震は珍しいものであった。
チョンカもラブ公も初めての経験のことであり、何かとても気味の悪いもののように感じていた。
そう思うと余計に早くその場を去りたい気持ちが強くなり、チョンカは即座にテレポーテーションを使用したのであった。
チョンカ達は再び老婆の家の玄関前にいた。
中々扉を開けない理由はチョンカが渋っていたからだ。
「絶対怒りよるもん」
「まぁまぁ、チョンカ君。こうしていても仕方がないからね、今回も私が説明するよ」
「せ、先生! ありがとう……その言葉を待っとったん……えへへ」
老婆の家の玄関扉がゆっくり開けられる。西京が声をかけようとする前に、中から老婆から声をかけられた。どうやらまだ起きていたようだ。
「お前さんらか……遅かったの」
「ああ、すまないね。プップラ君と話し合っていたものでね」
「……さっき灯火されるのを見たわい。息子はやはり帰ってこなんだか……」
「今の生活を大層気に入っているそうだよ。一応説得はしてみたのだけれどもね。力になれなくて申し訳ないね」
「……構わん。今日くらいは泊めてやるから少し一人にしてくれんか……」
老婆はかなり気落ちし、憔悴しているようにも見えた。長年息子の帰りを一人待っていたのだ。それも当然のことであった。さすがのチョンカも見ていて気の毒になってしまうが、かける言葉も見つからず老婆の横を素通りし階段を上がろうとした。
「そういえば、突然現れた二つのオムレツはお前さんらか……?」
「ああ、そうさ。プップラ君が作ったものでね。プップラ君には内緒だが、食べるかと思って転送させてもらったよ」
「そうか……すまんの……うまかった」
チョンカは西京の流れるような嘘と、自分と同じ先に転送していたということに思わず噴出しそうになってしまうが、不謹慎であると判断したため、自分を諌めつつ階段を上がっていったのであった。
その後ろで哀れむような視線を老婆に向けるラブ公の姿があったが、それが息子が帰ってこないことに対するものなのか、オムレツを食べたことに対するものなのか、はたまたその両方なのかは誰にも分からないことであった。
翌日、チョンカはいつもの通り、西京の声で起こされた。チョンカの一日はいつも西京の声で始まるのだ。父に甘える娘のように、チョンカは基本的に西京に起こされるまで布団からは出ない。起きていたとしても声がかかるまで布団でゴロゴロとしていることがチョンカの癖であった。
しかし、今日の西京の呼び声はいつもの朝とは違い、緊迫感を孕んだものであった。
「チョンカ君、起きなさい。どうやらエスパーが村の中にいるようだよ」
エスパーと聞かされて、ぱっちりと目が開いたチョンカが勢いよく飛び起きた。
「え!! エスパー!? せ、先生、プリンプリンマンボかな?」
「いや、人間の娘とメガネをかけたうさぎの二人組みだね。どうやら村の中心で騒いでいるようで村人たちが集められていて彼らに何か言われている様子だね。ご老体が代表して聞いているようだが」
真剣なやり取りにチョンカと同じ布団で寝ていたラブ公とミーティアも、のそのそと起きだした。
「ふにゃ……え? エスパーがでたのぉ?」
「に、人間の……エチュパー……」
「ラブ公とミーティアちゃんは危ないことがあったらいけんから、ここにおって」
「あ……あたち……行く!!」
ラブ公が答えようとするよりも先に、ミーティアが前に出た。決意と悲壮感が漂うその姿に西京が問いかけた。
「ミーティア君、分かっていて言っているのだね? 恐らく二人組みのエスパーはラピスティ教団の者で、君を追いかけてきている可能性が高いのだが? 大方ご老体達に君の事を聞いているのだと思うよ? そこに君は出て行くと言うのだね?」
その可能性など全く頭になかったチョンカとラブ公はハッとしてミーティアのほうへ視線をやった。
出会って一日しか経っていなかったが、今までずっと一緒にいたような気になっていた。二人とも、ミーティアがラピスティ教団から逃げてこの地へたどり着いたことを忘れていたのだ。
「に、人間の女の子のエチュパーは多分チャルロットちゃん……うさぎは……ごめんなちゃい、ちらないわ」
「ふむ、その人間がチャルロットとやらに決まったわけではないのだが、もしそうならば彼らは無理矢理君を連れ戻そうとしているわけだね?」
西京の問いかけにミーティアは俯いてしまう。チョンカもラブ公も、二人のやり取りを静観し、口を挟まずにいた。
「た、多分……でもチャルロットちゃんはとっても、優ちい子なの! いつもあたちに優ちくしてくれたの! あたちが可哀想だからって……」
「ふむ、ミーティア君が可哀想?」
「あ……」
何か言ってはいけないことを言ってしまったと、ミーティアの表情が何よりも雄弁に物語っていた。
誰もそれに触れてはいけないのだと分かっている。ミーティアが意図的に隠そうとしているのだ。何かがあるのだろうが、三人ともそれを聞けずにいた。チョンカが聞かないのだ、西京もそれ以上追求することはなかった。
そして訪れた重い沈黙を笑顔で破った者がいた。
「ミーティアちゃん、行こう。ミーティアちゃんが行くなら僕だって行くよ? ミーティアちゃん、さっきから震えてる。きっと怖いんだね? でも大丈夫。僕が守ってあげるって約束したもん! さぁ、僕の頭に乗って!」
ミーティアはラブ公たちに言わなければいけないことが沢山あった。
自分のこと、なぜ追われているか、そして自分といると危険な目に合うかもしれないこと。
言わなければ、言わなければ! 目をきつく閉じ、そう強く思えば思うほど言葉が出なかった。
ミーティアが本当に怖かったのは、それがラブ公たちにばれること、ばれてみんなとの関係が壊れることであったからだ。
ふいに優しくて暖かい手のひらに包み込まれ体を抱き上げられた。
そしてふわりとミーティアの定位置へ招かれた。
「言わなくていい」
「ラ、ラブ公ちゃん……?」
「言っても言わなくても僕はミーティアちゃんと一緒にいるよ! だからミーティアちゃんは色んなこと、怖がらなくていい!!」
ラブ公は今まで、そんな風に力強く言い切るような言い方をしたことはなかった。
ラブ公の頭上にいるミーティアからそんなラブ公の表情は分からない。しかし、ラブ公をとても優しく誇らしい表情で見つめるチョンカを見ていてなんとなく分かった。きっと自分を本気で守ろうと決意を堅くしたのだ。先程まで自分も怖くて震えていたが、今ラブ公も少し震えている。きっと少し無理をしているのかもしれない。それでもその優しさをミーティアは体で感じていた。
いつの間にかミーティアの震えは止まっていた。
「行こう、チョンカちゃん、西京!」
「ふふ、ラブ公! 男の子じゃね!! でも、うちの後ろから出てきたらいけんよ?」
「仕方がないね。ミーティア君、何かあっても我々に任せるのだよ?」
「は、はい!!」
出会って一日しか経っていないのにずっと前から一緒にいたような気がしている。
そう思っていたのはラブ公とチョンカだけではなかった。
ミーティアもまた、そう思っていたし、これからもそうありたいと誰よりも願っていた。