ワカメシティは晴れていた。
この十年、一日たりとも晴れることがなかったワカメシティが、雲一つない晴天であった。
纏わりつく湿気は霧散し、気持ちのいい風が吹いていた。
十年ぶりのこの心地よい天候は、もちろんワカメボーイの能力が解かれたからに他ならない。
ワカメボーイ邸前の庭園にあるワカメを貪っていたウニ達の一匹が、突然エスパー反応を示したのだ。
偶然ではあったが、庭園にてウニの殲滅を行っていたワカメボーイの目の前で起きたことであった。
現れた敵がエスパーとあって、部下達は全員この場から離れさせた。
そして眼前の敵と対峙し、ワカメボーイは戦闘をするために、この町に来て初めて能力を解いていた。
「一ヶ月ぶり……だな。おい、ウニ野郎! 名前は、なんつったか」
「フェアリーだ……そこをどけ。その屋敷の地下に古代の遺物があるのは分かっている」
名乗りを上げたエスパーウニ、フェアリーの後ろでは棘を逆立てた無数のウニ達が控えていた。
「西京先生はどうした? まさか……」
「ああ、奴は本当に恐ろしいエスパーだった。俺の能力を以ってしても危うく殺されるところだったがな、今は大人しくしてもらっているさ」
西京は生きてはいるがどうやら敵の手に落ちたらしい。
にわかに信じがたい情報であったが、西京が今この場にいないことを考えるとあながち嘘でもない。ワカメボーイは内心動揺をしていた。あの西京ですら目の前のウニに叶わなかったということになるからだ。
(だからと言ってワカメ達とこの町を諦めるわけにはいかねぇがな……!)
「俺はな、待っていたんだ……」
頼んでもいないのにフェアリーは語りだした。
性格なのか、舐めているのか、戦闘時間の限られているワカメボーイとしては黙って聞いている暇もないのだが、万が一西京が帰ってくることも考えられた為、大人しく聞いておくことにする。
「俺の新しい能力が完成するまで待っていたんだ。俺が見つけたこの町の古代の遺物、それを確実に奪えるまでな! そしてやっと今日を迎えることが出来た。死にたくなければそこをどけっ!」
後ろに控えていたウニ達が一斉に投擲体勢に入った。
「…………なめんなよ、ウニごときが……!」
そして無数の棘は放物線を描くことなく、フェアリーのサイコキネシスが乗せられて一直線にワカメボーイ一人に向けて一斉に射出された。
ワカメボーイのワカメの隙間から、泡のような何かが溢れてきていた。
その泡はワカメから溢れ出て、球状となりワカメボーイを包み込んだ。
次々と泡に突き刺さる棘は、泡のクッションではじかれ金属のような音を立てながら地面に散らばっていった。
「ふん、少しはやるようだな。まぁこの程度防げないようでは話にならんか。…………んっ!? 屋敷内にもう一人エスパーがいるのか?」
「……!? チョンカか!」
テレポーテーションで帰ってきたのであろう、ワカメボーイは屋敷の中にチョンカが現れたのを感じる。
そしてそれはほんの一瞬のことであった。
「おまえが親玉じゃね?」
チョンカは更にテレポーテーションを重ね、フェアリーの背後を取ったのだ。
既にチョンカの右手はサイコルークスの光で輝いていた。
「これでも喰らいぃや! サイコルークス!!」
問答無用の先制攻撃がフェアリーの背後に刺さろうとしていたその直前、チョンカのサイコルークスは障壁によってはじかれる。
「お、お前……西京の弟子か? 師弟揃って不意打ちとは、危ない奴らだな!」
チョンカは衝撃で立ったまま地面を引きずり後方へはじかれてしまう。
「チョ、チョンカちゃん!」
ワカメボーイ邸から出てきたラブ公がチョンカのもとへ駆けつけようとする。
「ラブ公は危ないけぇそこで見とって! 大丈夫じゃけ!」
「西京ほどの異常な速度がなければ対応はできるんだよ! お前達の攻撃は俺には効かん!」
フェアリーの全身を覆う棘が、もぞもぞと動いた後、前方のワカメボーイと後方のチョンカのほうへ向けられる。
爆音と共に放たれた棘はチョンカの目で追うことが出来なかった。
急いで張ったサイコガードはガラスのように砕け散り、チョンカは衝撃により土煙を上げながら更に後方へ横転させられ、数回バウンドしながらワカメボーイ邸の塀に激突した。
「チョンカ! 大丈夫か!?」
ワカメボーイは先程の泡を再び展開し事なきを得ていた。
大声でチョンカの無事を確認するもチョンカの激突した塀からは土煙が上がっており、姿を確認できない状態だった。
『チョンカ! チョンカ!』
『う……ワ、ワカメボーイ……さん……』
ワカメボーイはテレパシーを使用し呼びかけ、チョンカが返事が出来る程度には意識があるのだと少し安堵した。
西京にチョンカのことを頼まれている。何かあっては困るし、ワカメボーイ自身、チョンカを死なせるようなことだけは避けたかった。
『チョンカ、テレポーテーションを使えるか? 俺の後ろに飛べ! そこじゃあ守れねぇ! いけるか?』
チョンカからの返事はなかった。
しかし、直後横たわったままのチョンカが自分の背後、ラブ公の前にテレポートしてきた。
「チョ、チョンカちゃん!!」
「ラブ公! すまんがチョンカを見ててやってくれ! 俺が二人とも守る!」
チョンカは横たわったまま自身の腹を押さえ咳き込み吐血をした。力を振り絞りチョンカは自身にサイコヒールをかけていたのだ。
しかし先ほどの衝撃で内蔵までやられているのであろう、満足に喋ることができないほどにダメージを受けていた。
ランプのせいではない。そんなことはチョンカも考えていない。
しかし、チョンカは全力でランプにサイコヒールを使用したため、疲弊しきっていたのだ。
チョンカは腹部へ施しているサイコヒールのおかげで徐々に楽にはなってきているが完治は難しいと感じていた。
「チョ、チョンカちゃん! う、うわぁぁあぁん!」
「ラ……ブ公……泣かん、で……大丈夫、じゃけ」
「……なんとか命は大丈夫そうだな! ラブ公、頼んだぜ!」
ワカメボーイはフェアリーに向き直った。
町のワカメを食われ、チョンカを傷つけられ、煮え返りそうな怒りの感情を視線に乗せてフェアリーを睨んだ。
「俺のワカメちゃんも心配だ。時間がねぇ、本気を出す」
「はん、何をやっても俺には効かないぜ? 試してみろよ」
「ラブ公! 預かっておいてくれ」
ワカメボーイは纏っていたワカメを脱ぎ、チョンカ達のほうへ投げた。
水分を多分に含んだワカメはドチャという音を立てラブ公に覆い被さった。そのワカメは町のどんなワカメよりも濃密な海の香りがした。
ラブ公はあまりの水分に呼吸がつまり、重いワカメを必死に掻き分けワカメの隙間から顔を出した。
顔を出したラブ公の視界に飛び込んできたのは両腕に鎌を持つ緑色の肌をした大きな昆虫の後姿だった。
「う、うわぁ……か、か、かっこいい……!!」
常にワカメを被っているため、誰にも知られていなかったがワカメボーイの正体はカマキリであった。
ワカメボーイは両の鎌を自身の前で交差させ、研ぐように擦り合わせ姿勢を低くする。
「ほう、珍しいな……カマキリか」
「まぁ、昆虫は俺も家族以外では見たことがねぇな」
「俺も一人だけしか知らんな。……その鎌の威力、見てやるからかかってこい」
「俺が本気を出すとワカメ達を傷つけるかもしれねぇから、あんまやりたくねぇんだが……いくぜ!」
ワカメボーイの両鎌を鋭い光が覆う。
そして腕を交差させつつ振り上げ、自身の前で十字を切って高速で振り下ろした。
「飛べ! サイコブレード!!」
十字の剣閃が風を斬り、地面を斬りつつ、キキキという聞いたことのないような甲高い音を発していた。
ワカメボーイの放った『かまいたち』とも言えるそれは、触れるもの全てを切り裂きながらフェアリーへ襲い掛かった。
フェアリーの展開するサイコガードとサイコブレードの衝突は、全力で斬り結び、鍔迫り合いをするかのごとく斬撃音を響かせ火花を散らしフェアリーを僅かに後方へ押し退けた。
フェアリーが凌いだと見るや、ワカメボーイは更に両鎌を振るい、幾重にも剣閃を重ねる。
次々とフェアリーに襲い掛かるサイコブレードの数発はフェアリーを取り巻くウニ達を巻き込み、そのまま後方のウニをも両断しながら塀に斬りかかり、大きな太刀傷を残していた。
ワカメボーイがチョンカをテレポートさせたのはサイコブレードに巻き込まないためでもあった。
「す……すごい、ワカメボーイ……さん」
後ろで見ていたチョンカは呆気に取られていた。
ワカメボーイも多分すごい力を持ったエスパーなんだろうな、と思ってはいた。
そう思っていたが実際にその実力を見せられると、こんなところで横になっている自分が少し情けなくなった。
しかしそれよりも西京以外のエスパーで、戦闘技術だけの話ではなく人として尊敬できるエスパーだと確信を持てたことを嬉しく思う気持ちでいっぱいだった。
「これでもまだ抜けねぇか!? 仕方がねぇ!」
ワカメボーイは鎌の光を一旦解いて上半身を低く屈め、カマキリの長い腹の先端を空へ向かって突き上げた。
「はあぁぁぁ……うっ! げ、元気!」
「……ワ、ワカメボーイ……さん?」
ワカメボーイは鎌を擦り合わせ、大きく左右に体を揺らし、羽をばたつかせながら、腹の先はリズミカルに八の字を描いていた。
「まさか、この技を使うことに……なるとはな……はっ! はっ! 元気! 元気!」
ブジュゥ……という何にも例えようのない、気味の悪い音と共にワカメボーイの腹の下部から泡が吹き出していた。
「元気! こっちこい! 元気! こっちこい! 元気! はっ! はっ!」
更に激しくなっていく八の字に伴い、ワカメボーイの腹から次々と粘着質の泡が放出されていく。
「え、え、え! ぶ、ぶちキモイんじゃけどーーーー!!」
チョンカはこっそりとワカメボーイの印象をかなり、大幅に、劇的に下方修正することにした。
「エ、エスパーってやっぱ全員変態なん!?」
「何をするかは知らんがそこまでだ!」
黙って見ているはずもないフェアリーと、取り巻きのウニ達から再び高速の棘がワカメボーイへ向け放たれた。
「これが俺のオリジナル技、ミルキーウェイだ! 喰らえ!」
ワカメボーイは空に向けていた腹を下ろし、腹部をフェアリーに向け、大量の泡を放出した。
腹部から途切れることなく出続け、フェアリーに伸びていく様は、その名の通りミルク色の泡の道だった。
「うわ、うわ、うわぁぁぁ……キモ……ぞぞぞっ」
一瞬チョンカのサイコヒールの手が止まってしまうほどのその光景は、初めて見る者にとっては刺激が強い光景だった。
そして放たれたウニの棘を次々飲み込みながら更に伸びていくミルキーウェイはついにフェアリーを捕らえ包み込んだ。
「ぐっ! こ、これは! ……っ動けん!」
「サイコガードをしても動けねぇぜ? 俺の元気なミルキーウェイは、その内お前のサイコガードを破り窒息させるまで密度を高める!」
「げ、元気ってなんなん……意味分からんのじゃけど……」
「は、ははは……そうか、それは恐ろしい技だな」
サイコガードを張っているとはいえ、ミルキーウェイに掴まれ空中で身動きが取れない状態であるのにもかかわらず、意外にも余裕そうなフェアリーを見て、ワカメボーイは眉をひそめた。
「……ふん、笑ってられるのも今のうちだ。いけ! 俺のハリガネちゃん達!」
ワカメボーイの声を聞き、ミルキーウェイから次々と何かが顔を出した。
ハリガネちゃんと呼ばれた黒いミミズのような細長い生命体達はうねりながらフェアリーのサイコガードに巻き付いていった。
「ぞわぞわぞわーーーー!! き、き、き、キモイ!! キモ過ぎ!! う、うちもう、ワカメボーイさんの方を見れん!!」
「チョ、チョンカちゃん、落ち着いて! 興奮するならもう見ちゃだめだよぅ!」
「俺のハリガネちゃん達はお前のサイコガードの薄いところを感知して侵入し、お前に寄生した上で脳を操る! そのままハリガネちゃん達に殺されるのを待ってろ!」
「なるほどな……本当に恐ろしい技だ。おそろ……しい……が……」
そしてフェアリーのサイコガードが音を立てて砕け散った。
餌に群がるように次々とウニの殻の内部に侵入していくハリガネちゃん達を見て、ワカメボーイはミルキーウェイを解除した。
「はん、余裕だった割にはあっけねぇじゃねぇか。……なんとかなったな。チョンカ、大丈夫か?」
ワカメボーイがチョンカのほうを振り向くと、チョンカは急いで目を逸らした。
その様子を見て、ワカメボーイは少し肩を落とした。
「女子には刺激が強すぎたな。あんまり人には見られたくなかったんだがな。そのまま傷が癒えるまでそこにいるといいぜ」
「ご、ごめんなさい……」
「謝ることはねぇよ。普通はそうなるだろ。これでも自覚はあるんだぜ」
「ワカメボーイさん! 僕はかっこいいと思ったよ! やっぱりワカメボーイさんもものすごく強いんだね!」
「おぉ! ラブ公はやっぱ男だな! 分かるか! はは!」
戦闘が終わって少し気が緩んでいたのかもしれない。
町を守れたと、チョンカ達を守れたと、そう思い込んでいたのだろう。
突風でも吹いたかのように、見えない何かに横から不意に衝突されたように、ラブ公には見えた。
「あ…………?」
突然姿を消したワカメボーイをラブ公は必死に探した。
今まで目の前で笑っていたのに……ラブ公は自分の目を疑うように目を擦りながら辺りを見渡した。
「ラブ……公……」
チョンカが震える手で指差すほうにワカメボーイはいた。
かなり遠くまで飛ばされていたワカメボーイは息はしていたものの全身が血だらけで蹲っており、最早戦闘は不可能な状態に見えた。
「ワ、ワカメボーイさん!」
「……っ! ラブ公! うちの後ろに下がって!」
ふらつきながらも立ち上がったチョンカは、ワカメボーイとは逆の方向を向いていた。
「……第二ラウンド開始と同時にノックアウトだな……ふん、殻から出てくる必要もなかったか……」
そこにはウニの中身が立っていた。
全身が金色に輝き鋼のような筋肉を持った人間型のウニの中身が──
「俺はフェアリー……筋肉の妖精、フェアリーだ。折角殻から出てきたんだ……西京の弟子、楽しませてくれよ?」
そう言うとフェアリーは口角を上げ薄く笑ってチョンカを見下ろしていた。