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白い部屋で

 地下へ続く階段は、先に進むにつれ暗く、空気が冷たくなっていくようだった。

 次第に壁が狭くなり、岩がむき出しになってきた。



「ワカメボーイさん、ここにはワカメはないんじゃね」


「この階段は俺が作ったもんじゃねえ。地下にあった古代の遺物を発見したときに作られたもんなんだ。さすがの俺も古代のもんをワカメで彩ったりしねえよ」



 長い階段が終わり、直進の通路を更に奥へ進むと、やがて少し大きめの部屋にたどり着いた。

 ワカメボーイが立ち止まり、振り向いた。

 どうやらここが目的地のようだ。



「さぁ、この部屋が古代の設備だ」



 そう言われチョンカ達は部屋を見渡してみたが、いったい何の設備なのか全く見当がつかなかった。

 ワカメボーイの部下達が持つ蝋の明かりで薄暗く分かりにくいが、まず目を引くのが部屋の中心部に設置してある杖のようなオブジェだった。先端には卵形の水晶が取り付けられている、なんとも不思議なものだった。

 部屋は床も壁も真っ白だったが、天井には分厚いガラスが埋め込まれている。

 床の四隅と天井の四隅にそれぞれ小さな箱のようなものが設置してあるのだが……それだけだ。

 部屋にはそれだけしかなく、他のものは何もないのだ。

 ただ中心部に杖があるだだっ広い白い部屋。



「ふむ……確かにこれは何かの設備なのだろうけど……本当に何か分からないね」


「だろ? まぁ当たり前だが昔は何かに使ってたんだろうな。教団の奴らは使い方が分かってるのかねぇ」


「……ん、チョンカ君?」



 ふらっとチョンカが部屋の中心にある杖のほうへ歩き出した。



「チョンカちゃん、どうしたの?」


「え、うん、……なんじゃろ? なんか聞こえん?」



 チョンカの言葉に、その場にいた全員が顔を見合わせる。



「ううん、チョンカちゃん、僕には何も聞こえないよ?」


「私も特に何も聞こえないね」


「変じゃね……ほらっ! 確かに……この水晶からじゃろうか?」



 そう言うとチョンカは杖の水晶に手をかざした。

 透明で、不純物など何もない綺麗な水晶は、チョンカが触れようとした途端に淡い光を発しだした。



「……えっ」


「チョ、チョンカちゃん!」


「いけない! チョンカ君!」



 何の目的で設置されたのか分からない古代の遺物が突然起動し始めたのだ、西京は慌ててチョンカを遺物から引き離した。

 しかしチョンカは呼びかけても返事はなく、虚ろな視線を空中に漂わせているばかりだった────








 チョンカは白い部屋にいた。


 いや、元々白い部屋だったのだが、何かが違う。薄暗さもなくなっていた。

 そもそも今いる場所が部屋かどうかも疑わしい。

 何しろそこには壁も天井もなかったのだ。


 何もない真っ白な空間。無限に続くようにも見える『向こう側』

 今しがた、西京もラブ公も、ワカメボーイもその部下も、みんないたのに今は一人きりだった。

 明らかにさっきの場所ではない。



「え……西京先生? ラブ公?」



 振り返っても誰もいない。

 目の前にあった水晶もどこかへいってしまった。



「ここ……どこなんじゃろう……寂しい場所……」



 真っ白で何もない空間はチョンカの心を波立たせた。

 全てから切り離されたような、しかし全てと繋がったような、不思議な感覚を覚える。

 この何もない誰もいない空間で、もしかして自分さえもいないのではと少し哲学的な思いに至って両腕を擦ってみる。

 どうやら自分の体はあるようだ。



「寂しいけど……なんか暖かい……なんじゃろう……」



 誰もいないがみんながいる。声はしないけど声はする。遠いけれど近い。



 感覚が曖昧になる。

 自分も白くなりそうな気がした。

 全てと混ざり合って、自分がいなくなりそうだった。

 でもいなくなった中に自分がいる。

 初めに感じた不安がなくなっていく代わりに自分が白に溶けていく。


 気がつくとチョンカは納得していた。

 何に納得したのかは分からないが分かったのだ。


 分かった途端、自分の中に曖昧でないちゃんとした声を見つけた。



 こちらを心配する女性の声。

 誰かは分からないし どうして心配しているのかも分からない。

 とても不安そうな気持ちが声と共に伝わってきた。



 ごめんなさい、とその声は言った。そして──



「──が最後───になる────……アニマを昇華させなさい。種の更なる進化を目指しなさい。生と死の連鎖でしかアニムスの加護はありません……」



「アニ……マ……?」



 チョンカは声の主が泣いていると思った。

 とても寂しそうで、悲しそうで、まるで引き裂かれるような気持ちで喋っていると感じた。

 声を見つけたときからずっと、チョンカ自身も同じ気持ちになっていた。



「────で良かった……アンドロメダの監視は続いています。どうか今後もお気を付けて……」



 チョンカは泣いていた。

 最初に確認したはずの体はとっくに溶けてなくなっていると思っていたが、気が付くとまだそこにあった。

 大粒の涙が零れていた。


 零れた涙も白くなっていく。


 自分もそこに帰ろう。


 上も下も何も分からない空間で、空を見上げたチョンカはもう一つの声に気が付いた。

 自分を呼ぶ声が次第に大きくなっていった──







「──カちゃん! チョンカちゃん! 目を覚ましてぇぇぇ! うわぁあああん!」


「ラブ……公……」



 急に視界が暗転したと思ったら、うっすらぼやけた光が見えてきた。

 目の周りが湿っている。きっと泣いたからだ。

 でもそれがなぜかは分からなかった。

 どうしてラブ公が泣いているのかも分からなかった。



「チョンカ君! 目が覚めたね? 大丈夫かい?」



 西京に抱きかかえられたまま横になっていた。

 ラブ公が胸に飛び込んできて大泣きしている。

 チョンカはやはり、何がなんだか分からないまま、その状況を不思議そうに眺めていた。



「ふ、二人ともどうしたん? 何かあったん?」



 まるで状況が飲み込めていない風なチョンカに西京は少し息を呑んだ。



「チョンカ君、あの水晶に触れようとしたことは覚えているかい?」


「え……あ、うん、そうじゃったね……そうじゃわ、そう!」



 チョンカは意識がはっきりしてきた。

 それを見た西京の肩の力が少し抜けたのを感じた。



「その後水晶が光ってね。君は急にその場に倒れてしまったのだよ」


「チョンカちゃぁん……ううぅ」


「そ、そうじゃったんじゃ……うち……」



 ワカメボーイが心配そうに歩み寄りチョンカの前で目線を合わせるように跪く。



「チョンカ、大丈夫か? 西京さん、すまない。こんなことになるとは思っていなかったんだ」


「ふむ。確かに予想外だっただろうね。ここが何の施設か分からないどころか、ろくに起動もできなかったのだろう?」


「ああ、水晶の部屋って勝手に呼んではいたが、最初にも言ったようにここが何のための設備なのかは未だに分からねえ」


「まぁ、私も見たいと思っていたのだし、それはいいさ。それよりもチョンカ君、立てそうかい?」


「う、うん」



 チョンカは西京の手を離れ、未だに泣き止まないラブ公を抱きかかえながら立ち上がった。



「それで、何があったか聞かせてくれるかい? ただ気絶していただけではないのだろう?」


「うん……そう……そうなんじゃけど……上手く言えんのん」



 チョンカの言葉を聴いて西京は目を細めた。



「なんか白いところにいて、声が聞こえてきたん。でもなんて言ってたかどうしても思い出せんの……」


「……そうか。白いところ……ね。それだけではやはりこの設備が何かまでは分からないね。体調はどうかな?」


「うん! 体調は平気じゃよ! ……そうじゃ、先生。アニマって何か分かる?」


「アニマ……」



 ワカメボーイ達はその言葉に心当たりがない様子だったが西京は違ったようだった。

 目を見開いて考え込んでいた。



「ほとんど覚えとらんのじゃけど、なんか女の人がアニマがどうとかって言ってた気がするん」


「アニマとは、ラピスティ教団が使っていた言葉だったと思うよ……それがどういう意味かまでは分からないけれどね」



 教団の名前を聞いてワカメボーイ達がざわめき出した。



「やっぱこの設備とラピスティ教団は何か関係があるってことか」


「いや、関係があるというよりはやはり教団が純粋にこの設備を欲しているんだろうね。それこそ目的も何も分からないけれどね。チョンカ君、体調は本当に大丈夫なんだね? 精神的に何か空虚な感覚を覚えてはいないかい?」


「くーきょ? ううん、そういうのは全然ないよ! 先生、うちはほんまに元気じゃよ?」



 チョンカは試しに使ってみたサイコルークスで薄暗い部屋を照らしてみせる。

 それを見たラブ公もやっと泣き止んでチョンカに甘えるように改めてしがみ付いた。



「ふむ、それならいいんだよ。……ワカメボーイ君」


「おう、西京さん」


「私はそろそろ出ようと思う。嫌な予感がするのだよ。根拠はないのだが私はチョンカ君のためにも教団は早めに根絶やしにしておいたほうがいいと思うのだよ」


「俺はワカメが守れればそれでいい……と言いたいところだが、やっぱこの設備には何かあんだな。チョンカのことは任せてくれ。西京さんには西京さんの理由があるってのは分かってるが俺も街を守るために頼むしかねぇんだ。すまねえな『西京先生』」



 おどけてそう言ったわけではない。チョンカほどではないがワカメボーイの『先生』にも少しばかり敬意がこもっていた。

 気が付けばワカメボーイの部下からの視線にもそういった感情が乗せられている。


 西京はそんなに敬意を持ってもらうほどの何かをしただろうかと少し疑問に感じていた。

 西京の行動はあくまでもチョンカを守るため、育てるための行動であるし、それは今も変わらない。西京の中ではあくまでも利害が一致しているだけの話であった。



「ふむ。任せておきなさい。それでは急いで屋敷を出ようか」



 それでも、敬意を持ってくれた人間達に、チョンカのついでに少し力を貸すくらいはいいかと、自分を納得させていたのだった。

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