「おー、リスがとんでもねえエスパーだとは分かっていたが……まさか一日で元通りにするとはな……ワカメまで元通りじゃねぇか」
昨日の瓦礫の山が嘘のように、ワカメボーイの前にはチョンカたちによって修復がなされた治安維持管理局が以前と変わらぬ姿でそこにあった。
「あ、ワカメボーイさん! おはようございます! 見て見て、西京先生がちゃんと直してくれたんよ!」
「ああ、チョンカか。お前の先生は本当にすげえんだなぁ。昨日戦闘になってたら町を滅ぼされてたかも知れねえな」
「先生はそんなことせんよ!」
「ふーむ、そうか。すまんすまん。まぁなんだ、これでお互い水に流そうや。お前らにワカメに対する不敬はなかったし、こっちも強引だったとはいえ治安を守るのが仕事だからな」
「……うちもカッとなってやりすぎました……ものすごぉく反省してます……」
「おう、いいってことよ! ラブ公もすまなかったな!」
「うん! 僕、ワカメもだけど、この町のことも大好きだよ!」
「へっへ、そうかい。ありがとうよ」
チョンカは今回の一件でワカメボーイが町の住民達に受け入れられている理由が分かった。
出会うまではワカメ至上主義の変態だと思っていたのだが、こっそりとワカメボーイへの印象をかなり上方修正しておいた。
そして、しばらくワカメボーイと談笑していた二人のもとに、管理局から最後の仕事を終えた西京がやってきた。
「チョンカ君、終わったよ。おや、ワカメボーイ君かい。建物は元通りになったよ。これでよかったかな?」
「ああ、西京さん。十分だぜ、ありがとうよ」
「先生、手伝ってくれてほんまにありがとう」
「いや、チョンカ君は私の弟子だからね。チョンカ君のしたことは私のしたことだし、チョンカ君が望むのなら力を貸すのは当然さ」
「西京さん……実はあんたに……」
ワカメボーイが西京に何かを言おうとしたとき、一人のワカメが小走りでワカメボーイのそばへ駆け寄り、耳打ちをしだした。
何らかの報告を受けたであろうワカメボーイの顔が険しくなる。
「すまねぇ、俺はちょっと戻らなきゃいけねえ用事が出来た。三人は明日ここを出るんだったか? それまでゆっくりしていってくれや」
返事も聞かずに足早にその場を後にしたワカメボーイ達を見れば、何か早急に対処しなければいけない案件が発生したことはすぐに分かった。やはり町を一つ取り仕切るということは、自分には分からない大変さが沢山あるのだろうとチョンカは思う。
ワカメボーイの性格や人柄があってこそのことだろうが、昨日のような住民の誰もが納得するような采配を取れたりと、ワカメボーイに対し素直に尊敬の念を抱いていた。
人として勉強不足な自分は、いつか先生やワカメボーイに追いつけるだろうか。
弱くて考えなしの自分が、他人に正しさを説いて回って、みんなが笑顔で暮らせる世の中に出来るだろうか。
そんな風に考えたら、チョンカはどうしても伏し目がちになってしまっていた。
「……先生、うちらもランプさんのところに帰ろうか!」
「チョンカ君」
「はい、先生?」
西京の左手が、チョンカの頭を優しく撫でた。
「あるべき姿なんてないのだよ。人は皆自由でいいのさ。チョンカ君、ゆっくりでいい。若い君は、君の思う君になればいい」
チョンカは赤くなった。恥ずかしかったわけではない。
いや、少し恥ずかしかったかもしれない。
何だか言葉にするのが難しい。
ただ、言えるのは……
「……はい! 先生!」
とても嬉しかったのだ。
ラブ公と手を繋ぎ二人で歌を歌いながらチョンカはランプの家へ戻ろうとしていた。
かわいいラブ公を取り戻し、後ろでは尊敬する大好きな先生が見守ってくれている。
この町はワカメ臭いが本当にいい町だ。
住みたいと全くもって思わないことがこの町の唯一の欠点かもしれないなと、幸せを噛みしめながら歩いていた。
しかしその幸せは、ランプの家に入ろうとドアノブを握ろうとした時、突然終わりを告げた。
「出て行け! お前のような変態など、私の息子ではない!」
「あなた! 落ち着いて!」
ランプの怒声と、それを宥めるヒレ美の声が家の中から漏れていた。
ランプには優しいお父さんというイメージしかなかったチョンカとラブ公は二人して顔を見合わせる。
「……今、ランプ君の声が息子と言ったね。まさかとは思うが……」
「え! 先生……もしかして……あの乳搾りのお兄ちゃん!?」
「ふむ、私のサイコディレイが解けたのか、或いは別に兄弟がいたのか。チョンカ君、私が先に中に入ろう」
チョンカとラブ公は西京に先を譲る。
怒声が響いている、おそらく中ではとんでもなく激しい喧嘩をしているに違いない。
そんな中に入っていくことは勇気の要ることだ。
ここは是非ともいついかなるどんな場面でも表情を全く変えることのない先生にお願いしたいのだ。
「失礼するよ」
「……西京さん!」
肩で息をしてとても興奮した様子のランプと、四つんばいになっている牛、その牛を守るように間に割り込むように立っているヒレ美、後方で泣きじゃくっているスジ子。どう見ても家族同士の喧嘩の現場である。
西京はため息を一つ吐いた。
「……君は、スジ太郎君かい?」
スジ太郎と呼ばれた四つんばいになった牛は、殴られたのであろう頬が赤くはれ上がった顔を西京に向けた。
「西京さん! やっと出会えた! 覚えていてくれたんですね!」
突如、ビシィィ! と床に穴を開けるかのごとく勢いでスジ太郎の乳が噴出する。
「はぇっ! やっべ! 嬉しくても出るのかよ! ああんっ! せ、制御が! うおぉぉ! 静まれ、静まれぇ! 俺の、あひぃ!」
「え、え、え、ぶちキモイんじゃけど……」
「チョンカちゃん、あの人どうして殴られて嬉しそうなの?」
チョンカの目が汚物を見る目に変わる。
ラブ公は好奇心がくすぐられ、少しワクワクしてチョンカのマフラーを引っ張る。
殴ったランプも、スジ太郎を守っていたヒレ美も、ドン引きして顔が青ざめる。
スジ子が一層大声で泣き出した。
今、ランプ一家は死んだはずの長男スジ太郎の突然の帰還に、更なる祝福ムード……とはいかず、怒りと懺悔と侮蔑の感情に支配されていたのだった。
「スジ子君、これはもうお父さんとお母さんにお話したほうがいいんじゃないかな?」
西京は泣きじゃくるスジ子にとって少し酷かもしれないとは思ったがこうなってしまった以上はスジ子がしっかりと説明をしないと話が進まないと思ったのだ。どう見てもまだ説明はしていないのだろう。
「スジ子、死んだスジ太郎の名を騙るこの変態を知っているのか?」
「ひっく……父ちゃん、その変態は……兄ちゃんなの……ひっく」
しゃくり上げながらゆっくりと話し出したスジ子の言葉を聴いてもランプは納得が出来なかった。
「確かに子供の頃のスジ太郎とよく似てはいるが、死んだのだろう? それにこんな変態ではなかった!」
「あなた! そこまで言わなくても……スジ子、何か事情を知っているなら正直に話してちょうだい?」
ヒレ美に遮られたとはいえ、普段は穏やかなランプに詰め寄られたスジ子は、すっかり萎縮してしまっていた。
そんなやり取りをスジ太郎は自身の乳を摩りながら見ていた。
「俺、スジ太郎だよ」
「あー、君は黙りなさい。仕方がないね、スジ子君、私のほうから話してしまうがそれでいいかい?」
「……はい……」
ため息を一つ、西京はランプとヒレ美にいきさつを話し始めた。
自分の家があった山の森で出会ったこと、スジ太郎の本当の目的、ドグマ草を口にしてしまったこと。
そしてスジ子の願いで自分がスジ太郎の時間を止めたこと。
「サイコディレイと言ってね。対象の時間経過速度を遅らせる能力なのだよ。人体に害はないよ。ただ私のサイコディレイは特別だから、限りなく停止に近い無限の遅延なのだよ。スジ太郎君が失踪直後から成長していないのはそのせいさ」
「なんと……いうことだ……ではこの変態は本当に……」
「ああ、スジ太郎君さ。あまりの変態ぶりに、君達夫婦へ報告することをスジ子君がためらったのだよ」
「スジ子……では3人で探しに出掛けたあの森は……」
スジ太郎が崖から落ちて亡くなったと聞かされて、当然夫婦は直後にスジ子を連れて捜索に出ていたのだった。
息子の無事を信じつつも、森の中を彷徨うように息子の名を呼び続けた。
そのランプ達の姿を間近で見ていたスジ子は、もうこれ以上は偽ることが出来ないと悟り、いよいよ意を決して答えようと思ったのだった。
こうなってしまったのは全て自分の責任なのだ。騙し続けていた両親に答える義務がある。
「別の森なの……ごめんなさい。でも父ちゃんと母ちゃんには、どうしても話せなかった……あんな姿の兄ちゃんを見たら狂っちゃうと思ったの……」
「しかし!!」
ランプの心は様々な思いが交錯して、ぐちゃぐちゃになっていた。そのやり場のない感情を抑えることができずに怒声を上げた。
スジ子もヒレ美もその怒声を聞いてビクッと肩を震わせたが、そんな二人のもとへ一筋の白液がとても美しい放物線を描いて飛んでくる。
「わ、悪い。驚いて勝手に出ちまった! と、止まれ! おい! このっ、あんっ! あ、変な声出た」
ぷっ……ははは、などというやり取りがあるはずもない。
その場にいた誰しもがその放物線を見ながら『こいつはもうダメだな』と思っていた。
「……すまない、私は家を出る。町にはいるがしばらくは帰らない……少し考えさせてくれ……」
「あなた!」
「ヒレ美! ……頼む。お前も同じ気持ちだろうが……お願いだ……」
ほんの数分間の出来事だったのに、疲れ切った顔で、今にも泣き出しそうな目で、壊れてしまいそうな虚ろな表情でランプは訴えた。
息子の無事が嬉しい気持ちのほうが少し勝っていたヒレ美でも、その気持ちは分かっていた。
だからこそ、今の夫の姿は見ていられなかった。
「……分かったわ、あなた。なるべく早く帰ってきてね?」
「すまない……」
そのまま子供達へもチョンカ達へも挨拶をしないまま、ワカメを片手にランプは足早に家を出て行った。
残されたものは皆、床に溜まった乳の水溜りを悲しげに眺めていた。
「それで、スジ太郎君。気は進まないが個人的に君には聞かなくてはならないことがまだあるのだよ」
「なんですか? あ、ちょ、待って……ひぎぃいいぃ」
常に乳を擦っているスジ太郎にはもはや誰も近寄りたがらなかった。実の母親でさえドン引きしている始末である。
「ほんまとんでもない変態じゃね……ランプさんが可愛そうじゃわ……ラブ公は見ちゃいけんよ?」
「うん! 僕見ないよ!」
「いや、俺だってなあ! ひぅっ! ~くぅっ、俺だって出したいときに一人でこっそり嗜む程度が良かったんだよ!! それが自分の意思とは関係なく常に出る状態であひっ、困ってるんだ! それで西京さんならなんとかしてくれると聞いて追いかけてきたんだよ!」
「それだ、そこが一番聞きたいのだよ。まず一つ目に、エスパーでもない君がどうやって私のサイコディレイから脱出できたんだい?」
「通りかかったヤギのエスパーが救ってくれたんだぁあんっ! ん、く、な、何でも俺と同じ目的でドグマ草を探しに来てて、同士の俺を見捨てて置けなかったって」
「ヤギのエスパー……それでどうしたんだい?」
「おほぉっ! ……俺の時が止まってたこととか、今が何年かとか、町の様子が変わったこととか、色々教えてくれたんだほほぅいっ! あ、あひ」
「先生、もうこいつ黙らせようや。キモイわ」
西京がちらりとチョンカのほうへ目をやるとチョンカの右手が淡い光を発していた。
ヒレ美はうんざりしながらも次から次にスジ太郎の嬌声と共に床へ零れる乳をせっせと拭き、スジ子はジト目で西京とのやり取りを眺めていた。
「待ちたまえチョンカ君、もう少しだけだよ。それで、私達を追いかけていたと言っていたが? 山に私たちがいないこともヤギが知っていたのかい?」
「ああ、そうだよ。乳が止まらなくなったのは西京さんの能力だってっんひっ! ふぁっ……それでヤギのエスパーが西京さん達は俺の町へ出掛けたことも教えてくれたんだ。だから追いかけ……あ、あ、oh yes!」
パチンッと乾いた音が響いた。
突然立ち上がったヒレ美がスジ太郎の頬をはたいたのだ。何が起こったのか分からずにジワリと痛み出した頬に手を当てながらスジ太郎は母親を見た。
しかし、ヒレ美もまた、そんなスジ太郎の顔を見てハッと我に返ったような表情を浮かべる。
シャババババと有り得ない量の白液が滝のようにスジ太郎の乳から流れ出した。
「あ、ああ、ごめんよ、スジ太郎。母ちゃんあんまり気持ちが悪かったもんだからつい……」
「母ちゃんそりゃないぜ。ついって……見ろよ、今のショックでこんなに出ちまったぜ」
ゴスッと鈍い音が響いた。
突然飛び掛ってきたチョンカがスジ太郎の頭頂部にエルボーを落としたのだ。何が起こったのか分からずにズキンと痛み出した頭に手を当てながらスジ太郎は──
「もうええって! キモ過ぎるわ! 何が『こんなに出ちまったぜドヤァ』や! 先生! もううちら耐えられんよ!」
西京は周りを見渡す。そこにいた者はラブ公以外全員が精神的に参っているようだった。
「あ、ああ、そうだね。私はまだ少しスジ太郎君と話をするから外に出るとしよう。すまなかったね」
ほっと胸を撫で下ろす女性達。見たくもないものをずっと見せつけられる苦痛とはいかほどだったのかを物語っている。
「スジ子ちゃん、あんたはこっちへおいで。母ちゃんに話さなきゃいけないことがまだあるでしょう?」
「……はい」
ヒレ美とスジ子はそのまま部屋を出て二人で奥へとさがっていった。
「ではスジ太郎君、我々も行こうか」
「んひぃっ!」
「乳で返事せんでやっ! キモイわっ!」
再度、チョンカのエルボーがスジ太郎に落ちる。
(しかしおかしいね……スジ太郎君と会った後に改めてドグマ草に関して調べたが、乳の出が良くなる効果があるだけで、自らの意思とは関係なくひっきりなしに乳を出すような強い効果ではなかったはず……私はスジ太郎君に乳が出続ける人体改造を施してはいない……私のサイコディレイを破ったヤギのエスパーか……)
西京は変態の報告を聞いてなぜか妙に胸騒ぎがしていた。
変態の知っていることを今全部聞いておかなければ後悔することになりそうだと思い外に連れ出してまで話を聞こうと思ったのだ。
とはいっても、四六時中自分の乳を撫で回している者を連れて外に出ることは、いかな西京といえども極力避けたかったのだった。 ため息を吐いて考える。
最近とてもため息を吐くことが増えたなぁと。
相変わらず薄暗いワカメシティの空を見上げて、西京はぼんやりとそんなことを考えていた。
あまり良くない傾向なので意図的にため息は控えようと思ったときふと隣の変態と目が合って、もう一度ため息を吐いてしまったのだった。