俺は奇妙な場所に立っていた。
それは、建物も床も、そして空気さえも青い街。
どこか現実離れしていて、まるで夢の中の光景のようだ。
この不思議な場所は一体何だ?それにラナン達は……?
「……城?」
街を歩くと大きな城が見えてきた。
その城もまた、青水晶を散りばめたかのように光り輝き、荘厳な雰囲気を放っている。
この広大なブライトスのどこかに、このような美しい国があったのだろうか?
「ここは一体どこなのだ。こんな場所があったなんて……」
イグナス達との冒険で訪れた、どの街や国とも違う見たこともない風景に俺は圧倒されていた。
どんな美しい場所よりも、異様で、神秘的だったのだ。
「勇者ソルの旅立ちだ!」
突然、男の声がした。
いや……それだけではない。
「君が世界を救ってくれると信じてるぞ!」
「あなたなら絶対にできるわ!」
「魔龍王ルビナスを倒してくれ!」
老若男女、あらゆる声がどこからともなく響き渡る。
しかし、辺りを見回しても誰の姿もない。
ただ声だけが空気に漂い、俺の頭の中に響いていた。
「これから冒険の旅が始まるんだね」
後ろから声が聞こえた。
俺は急いで振り向くと小さな女の子が立っていた。
ブラウンの髪をまとめ、頭には花で編まれた冠を載せた少女だ。
その青い瞳は結託のない笑顔を湛え、俺に向かって語りかけてくる。
「帰ってきたらまた一緒に遊んでね! 大好きな花の冠も作ってあげるから!」
「君は?」
「無理しちゃダメだよ? 魔物戦って疲れた後は宿屋で休んで、こまめに道具屋で薬草を買っておくといいよ」
俺が問いかけると彼女は無視して答えを返さない。
質問にかみ合わない言葉だけが一方的に続いていた。
「ここがどこなのか教えてくれないかい。俺はガルアというイリアサン出身の――」
「ソルお兄ちゃん!」
「俺はソルという名前では――」
「帰ってきたらまた一緒に遊んでね! 大好きな花の冠も作ってあげるから!」
俺の言葉に女の子は先程と同じ返答しかしない。
どうなっているんだ? 何かがおかしい――。
「帰ってきた……ららら……ガガッ……またたた……一緒に……ガガッ……遊んで……ねねね! 大好き……ピッ……な花の冠も……ガッ……ガッ……作ってあげる……ガッ……から!」
同じ言葉を繰り返すだけで、彼女は俺の言葉に反応しているようには見えなかった。
何かがおかしい――。
少女の声が途切れ、どこか機械的な不協和音が混ざり始めたのだ。
「どうなっているんだ……ここは!?」
その不快な音とともに少女の姿が歪み始めた。
表情がこわばり、顔の輪郭が崩れ、声もどこか奇妙に響き渡る。
俺はこの不協和音に聞き覚えがある。
先程、紫の残像竜と戦ったときに聞いた異質な音だ。
――ピピッ……ガッ……ザザッ……。
気がつくと、青い街の景色が一変していた。
壊れた建物が立ち並び、燃え上がる炎と黒煙、足元には血の染みついた看板が転がっている廃墟だ。
「何故裏切ったの? 私はあなたの――」
闇そのものを思わせる威厳と妖艶さをまとった魔族の女が、俺の前に現れる。
赤い瞳、淡い桃色の髪、尖った耳が、彼女が異界の存在であることを示していた。
黒と赤の装飾が施された鎧が彼女の冷酷さと美しさを際立たせ、俺は息を呑んだ。
「ル……ガガッ……ビ……ガッ……ナス!」
不鮮明な男の声が聞こえると、俺の目の前に若い小柄な男が現れた。
深い紫を含む黒髪、竜骨を模した兜、血のような赤いマント。
戦場を駆け抜けてきた覚悟がその姿から溢れていた。
この男は何者なのだろうか――。
「僕はお前を絶対に許すことが出来ない!」
男の言葉と共に俺はふと気づいた。
「こ、この女は!」
そう、俺の足元には洞窟で出会ったブルーニアと名乗る女が斃れていた。
体のあちこちに斬り傷があり、肌の色は白く生気を感じない。
血の海に沈むブルーニア――その目は静かに閉じられていた。
死んだのか? もしそうならば、あの洞窟であった女は……。
「ソル、あなたは……」
男は『ソル』という名前だった。
剣には赤い光が宿り、その刀身が俺の知るアレイクと同じであることに気づく。
そうか、彼がイオが言っていたアレイクの前の所有者――。
かつて自由と平等を求めた『古の勇者』なのか。
「ハッ!」
ソルは素早く魔族の女を斬りつけた。
彼女は防御しながら後退したが、左手は裂かれ赤い血が滴り落ちる。
「私は……あなたのことを信じて……」
「うるさい! 僕はお前のことなんて大嫌いだ!」
「ソル?」
「お前は待ってるだけのお姫様だった! 城で待っているだけで何もせず! 人間と魔族がいがみ合うのか考えようともしなかった!」
「待って……私はあなたのことを……」
二人は何を話し合っているんだ?
俺はただただ二人のやりとりを見るしかなかった。
「お前達は僕達が作り出した街を破壊した! せっかく作り上げた理想の街を……何故だ!」
「それは世界を……」
「何が世界だ! 決められた運命なんて僕が破壊してやる!」
「今なら間に合う……あなたと私はこれからエンディングを……」
「黙れ人形め! 僕はお前のことなんて大嫌いだ!」
「大……嫌い……」
赤い瞳が不気味に光ると、魔族の女の傍から魔法陣が出現した。
その数は二つ――。
「あなたが勝手に動くのなら消すしかない……あの方はそうおっしゃられていた……」
怒りに満ちたソルは剣を構えたが、魔族の女は冷然と見つめ返す。
青い光の魔法陣が現れ、彼女の手から二体の青い鱗を持つドラゴンが召喚された。
それはまさに、青の暴君サピロスに似ていた。
――グオオオーーッ!
二体のドラゴンがソルを同時に襲いかかった。
だが、ソルは無言でドラゴンを斬り伏せる。
それは速攻の斬撃、一瞬にして周りはドラゴンの青い血で満たされた。
「なっ……」
俺は目を見開いた。
死んだ二体のドラゴンの体が青白い光に包まれると粒子状の塊となり、アレイクへと吸収されていったのだ。
それはゲレドッツォとの戦いの後に起こった現象と同じだった。
ソルが持つアレイクが、魔族の女が召喚したドラゴンの魂を食らったのだ。
「アレイク……バグの呪いが宿る剣……」
魔族の女は冷たい目で呟き、ソルはアレイクを構えて距離を詰める。
「それでいくつの魂を吸収して強くなったの? 襲いかかる魔物、仇なす魔族、そして……仲間の魂さえ」
「……黙れ」
「決められたルートを逸れ、不出来な人形は何を目指すの?」
ソルは嗚咽を漏らし、怒りに震えながら叫ぶ。
「黙れ――ッ!」
ソルが剣を振り下ろした瞬間、すべてが白い光に包まれた。
光から僅かに見えたのは魔族の女の背後に現れた男だ。
その男はサイネリア色の頭巾を被り、白いマントで体を覆っていた。
だが、その姿はどこか歪んでいて、まるで目の焦点が合わないように見えにくい。
頭巾を被っているはずなのに輪郭はぼやけ、体は途切れ途切れに映り、定まらない。
顔立ちも判別できず、時折視界が乱れるように男の姿が一部消えてはまた浮かび上がってくる。
「全データを消去します」
その言葉と残すと――俺の画面は『黒』に包まれた。