目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報
ep25.残存データ

 俺達の目の前に現れたドラゴン。

 仮に『紫の残像竜』と名付けたいと思う。


 ――グル……ガッ……ガッ……オ……!


 紫の残像竜は大きな翼を動かし、前足を高く上げて襲いかかってきた。

 そう、迷っている暇などない。

 この世界では立ち止まる者には死が訪れる。

 俺はアレイクを両手に持ち正眼に構える。


「……いくぞ」


 戦闘の開始だ。

 先に攻撃を仕掛けたのはフサームだ。


「その殺気、マジで俺達を殺すつもりだな? 攻撃の意志を向けるなら同じ魔物でも容赦はしねえぜ!」


 フサームの言葉通り、同じ魔物といえども容赦はしない。

 魔物の世界というのは『弱肉強食』であると聞いたことがある。

 弱者は強者に従い、強者はより実力のある強者に倒される。

 それが自然の摂理であり、魔族達のルールだ。


「シャアアア!」


 獣人族特有の高い身体能力を活かした跳躍してからの攻撃。

 それは生物の弱点が集中する頭を狙うためだ。


「ヒュッ!」


 無声の気合が洞窟に響く。

 フサームの手に握られる剣の白刃がきらめいた。

 疾風の一撃が決まったと誰もが思っただろう――。


「ど、どうなってんだ!?」


 目を疑う光景だった。

 紫の残像竜の頭を、フサームは確かに切り裂いたはずだった。

 しかし、頭の輪郭が揺らぎ虚無を突くかのように空振りしたのだ。


(……何故だ?)


 俺はアレイクを正眼から、やや平正眼に構えを変える。

 防御、カウンターを意識しながらジリジリと間を詰める。

 フサームの攻撃を受けたならば、即座に反撃をしてもよいのだが、この紫の残像竜は全く攻撃しない。

 むしろ、動きが止まっていたのだ。


「ラナンーっ! 魔法で攻撃しろ!」


 フサームの大声で叫んだ。

 魔法での攻撃をラナンに要求したのだが――。


「…………っ」


 両手をかざしたまま何故か動かない。

 そんなラナンにフサームは苛立ちを見せた。


「どうしたんだ! 早くしろって! ボケっとするなよ!」

「サピ……ロス……」


 ラナンの絞り出すような声で気づいた。

 サピロス、あの青い暴君と呼ばれていたドラゴンの名前だ。

 言われてみれば、鱗の色は違うがあのドラゴンに似ていた。


 ――グルア……ガガッ……アア……!


 紫の残像竜のターンへと移った。

 大きく口を開き、その内部から暗紫色の煙が噴き出してきたのだ。

 まるで生き物のように蠢く毒のブレスだ。


「まずい!」


 俺はすぐにその危険な気配を察知した。

 このブレスは『ポイズンブレス』。

 カエル型の魔物エピトードが冒険者に吹きかけるものだ。

 その名の通り広範囲にわたって致命的なダメージを与える可能性がある。

 また厄介なのは『状態異常』と呼ばれるものだ。

 体に毒が回れば徐々にダメージを受けていき斃れる。


「くっ……」


 そのブレスをドラゴンが吹くとは思わなかった。

 この洞窟の中では逃げ場も限られている――。

 そんな中、ハンバルが冷静に俺に尋ねた。


「これはポイズンブレスか?」

「ああ……」

「エピトードなど一部の魔物しか出せない特技。ドラゴンたる上級種の魔物がこのような……」

「魔物であるハンバルも知らないのか、このドラゴンの種類は?」

「ふん……私とて、このような種類のドラゴンは初めてお目にかかる」

「それは俺も同じだ。勇者との冒険でも戦ったことがないタイプだ」


 俺達がそんな話をしている間にも、ポイズンブレスは俺達に向かって勢いよく噴射される。

 厚く濃い紫の煙が洞窟内に充満し、視界がどんどん狭まっていった。

 毒消し薬など、状態異常を消せるアイテムなど持ち合わせてはいない状況だ。

 俺達はこの未知のドラゴンの存在に完全に困惑していた。


「くそっ、これはマズい!」


 フサームが後退しながら口元を覆う。

 ハンバルも大きな手で口元を塞ぎながらカタストハンマーを肩に担ぐ。

 俺も一旦、アレイクを鞘に納めてから口元を右腕で塞いだ。

 今は少しでもブレスを吸わないようにするしかない。


「そんな……なんで……」


 一方のラナンは全く動けないでいた。

 紫の残像竜の姿をじっと見つめていたのだ。

 その姿が死んだサピロスに似たことに動揺しているようだった。


(世話がやける!)


 俺は急いでラナンの元に駆け寄り、空いている左手でその小さな鼻と口を塞いだ。


「むっ!」


 ラナンは俺の顔を赤い瞳を動かして見ていた。

 その目は驚きと不快感を露わにしているようだった。

 そして、その目はすぐに警戒の色へと変った。

 濃密な毒のブレスが俺達を包み込んだからだ。

 所謂、全体攻撃を俺達パーティが受けている状態だ。


(何もない?)


 異変に気づいたのはすぐだった。

 肌に触れる感覚も、呼吸が苦しくなる感覚もまるでない。

 まるで幻のようにブレスはただ漂っているだけで、俺達に何の影響も及ぼしていなかった。


 紫の残像竜が吐いたブレスは見た目こそ恐ろしいが、実際には全く害をなさないものだった。

 まるで、そこにあるのに実在しないかのようだ。


「何が……どうなっているんだ?」


 ポイズンブレスは漂うばかりで、俺達を苦しめることも、攻撃することもない。

 まるでこの世界そのものが作り上げた幻影にすぎないかのようだった。


 ――ガガッ……ピッ……ガッ……グルア……ガガッ!


 嫌なノイズが響いた。


 ――ガガガガガ……ガガッ! グルアアア……!


 紫の残像竜らしき断末の奉公が聞こえた。

 それは地獄に落ちていくような苦しみとうめき声のようだった。

 暫くして、その音が消えると摩訶不思議なことが起こった。

 やがて紫の煙が晴れると、いたはずの紫の残像竜が消えていたのだ。


「消えた?」


 俺がそう呟いた瞬間だった。


「残存データがあるなんて思いませんでした」


 紫の残像竜が消える代わりに『別の存在』が立っていることに気づいた。


「驚かせてごめんなさい。あなた達を待っていました」


 そこには女が立っていた。

 全身を煌びやかな青い衣装を身を纏った美しい女だった。

コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?