≪虚無の谷≫
「アレイク……?」
ガルアが魔王ドラゼウフが眠る城に入って数刻。
イオは虚無の谷の丘で驚くべきことに気づいた。
先程から腰に差す魔剣アレイクが小刻みに動いているのだ。
「やはり……あの男を選んだようですね。そんな気がしました」
イオの傍にいる蒼い女がそう述べた。
かつて、勇者として誕生したイオは静かに頷くとアレイクを腰から外す。
アレイクは更なる振動という調べを奏でると虚空に浮かんだ。
そして、アレイクは円を描きながら粒子状になり消えた。
それはこの世からなくなったのではなく、別世界、別次元へと召喚されるかのように消え去ったことを意味していた。
そう、アレイクは無言の意志を持つ剣なのだ。
「イオ、アレイクが彼を選んだようです」
蒼き女は全てを悟ったかのように述べた。
先行くものを見透かした攻略者の姿がそこにある。
イオは少し悔しそうな顔で暗い空を眺めた。
「そうか……どの勇士にも反応しなかったのに……勇者として魔王を倒したはずのボクでさえも……」
「何かのフラグ、条件があったのでしょう。私にはそんな気がします」
「……条件?」
「一つの道へと繋がるよう作られた世界――定められた物語ではありますが、彼自身の意志と選択によって作られた条件により選ばれたのでしょう」
「どういう意味なの?」
イオの言葉に蒼き女は無機質に笑った。
「同じようなイベントが起きたのでしょう」
同じようなイベント。
その言葉を口にする蒼き女の目は笑ってはいなかった。
***
≪ドラゼウフ城・玉座の間≫
「魔王ドラゼウフだと……」
「左様、偉大なる魔族の王である」
ゲレドッツォと名乗るリザードマンは言った。
この玉座に座る老妖魔の亡骸こそが、魔王ドラゼウフであると。
それは俺とイグナス達が倒すべき最終目標だった象徴といえる存在。
(ラナン達が言ったのは本当だったのか?)
魔王ドラゼウフがイオに負けたという話は本当だったというのか。
俺はゲレドッツォの間合いを慎重に保ちながら問いかけた。
「……イオという女が倒したのか?」
ゲレドッツォは錫杖の先を床に叩きつけ、シャンと音を立てた。
「貴様、あの女のことを知っているようだな」
錫杖を構えながら、ゲレドッツォはつかつかと左右に歩き回る。
ヤツもまた、この俺との間合いを取りながら問いかけた。
「彼奴の仲間か?」
「そうではないが……」
「ふむ、それもそうか。それならば、無謀にも単騎でこの城に攻め入るハズがないか」
「単騎? やはりイオは一人でやってきたのか」
「あの人間は強かった。この城は云わば魔王軍の拠点となる迷宮……ワシを含め、強き魔将達が守護していた。それを彼奴は圧倒的な強さで蹂躙していき、ついには魔王ドラゼウフ様を屠ってしまわれたのだ」
ゲレドッツォの口ぶりから、どうやらここは『クリア済み』であることが推測される。
この城に魔物や妖魔が出ないのはそういうことか――。
しかし、恐るべきはイオだ。
あんな華奢な体にどれだけの力を秘めているのか。
どのような剣技を使い、どのような魔法が扱えるのか。
勇者と魔王の称号を同時に得るだけの力を持っていることは間違いない。
「魔の繁栄が潰えたのは理解したが……お前はどうしてここにいる?」
そう、ゲレドッツォという魔物がここにいたままだ。
魔王と共に全ての魔物や妖魔が朽ちたのであれば、どうしてここにいる。
その答えは実に簡単だった。
「……死に損なったのだ」
「死に損なった?」
「彼奴と戦ったものの、ワシだけが生き残ってしまった」
なるほど。
どうやら、このゲレドッツォはイオと戦い敗れたが命を取り留めたようだ。
「そうか……魔王ドラゼウフは死に終わったということか」
俺は再び魔王ドラゼウフの亡骸を見た。
最終目標であった魔王は俺の知らない英雄、つまりイオにより倒されたのだ。
だが、その英雄になったはずのイオは何故か次代の魔王を名乗り始めている。
それは何故か、俺はゲレドッツォに尋ねることにした。
この生き残りし魔将ならば知っていると考えたからだ。
「一つ質問したい」
「何だ?」
「イオは自分で勇者を名乗っていた。それが本当なら何故『魔王』と名乗る必要がある。魔王ドラゼウフが死んだのであれば終わりのはずだ」
「あの人間はおこがましくも魔王を名乗るのか?」
ゲレドッツォはわからないようだ。
ただわかったことはイオは『人間』であることだ。
魔王の座を狙う野心が強い魔物や妖魔が人間に擬態したわけではない――。
「そうか……」
俺はそれだけを述べ、この大いなる魔王が眠る場所から出ようと数歩ほど歩いた。
その時だ。
「人間よ、どこへ行く気だ」
ゲレドッツォが俺を呼び止めた。
見ると手に持つ錫杖の穂先を俺に向けている。
「ワシと戦え」
「お前と? 魔王ドラゼウフは死んで全てが終わったのだ。これ以上の戦いは無駄だ」
「そうはいかん。貴様は城の侵入者、この魔の地に足を踏み入れし者は始末するのが『霜護の番竜』たるワシの役目だ」
「やめろ、これ以上の命のやり取りをする必要はない」
魔族の王は死んだのだ。
これ以上、お互いに争う必要はない。
しかし、ゲレドッツォは不敵な笑みを浮かべる。
「武器を持たぬ丸腰だからといって容赦はせぬぞ」
「待て……」
「手に持つ本は魔導書か? 貴様、魔法使いか?」
「俺は……」
「クカカ! 貴様、会ったときより只者とは思えぬ気配を感じさせる。何者かは知らぬが死んでもらうぞ!」
(俺を殺る気だ。どうやら戦わねばならないようだが……)
今の俺に武器はない。
手に持つのは館の本棚から取り出した灰色の本のみ。
この無意識で手にした一冊だけだ。
それも魔導書ではない、何も書かれていない本だ。
それでもゲレドッツォは俺に最大限の警戒をしながら間合いを詰めて来た。
「魔力では人間に負けぬつもりだが、万が一のことがあってはならん――」
ゲレドッツォは頭上で錫杖を振り回しながら、
「接近戦に持ち込ませてもらうぞッ!」
飛び掛かってきた。
「くッ!」
襲いかかったゲレドッツォ。
戦士である俺には剣も槍も斧もない。
咄嗟に灰色の本を盾代わりに突き出した。
「そのようなものを盾代わりに使うとは! 実に愚かなり!」
錫杖の穂先は丁度、突起状となっており灰色の本を突き刺した。
このままゲレドッツォが体重をかければ、灰色の本を突き破り俺の額を刺し貫くだろう。
「魔王ドラゼウフ様に貴様の魂を捧げるッ!」
グンとゲレドッツォは重心を前にかけた。
灰色の本は貫かれ、錫杖の穂先が俺の眼前に迫った。
このまま俺は死ぬのだろう、と覚悟を決めたときだった。
「こ、これは!」
突如、灰色の本が赤く輝き始めた。
手に感じたその感触はまるで生き物のようだった。
ゲレドッツォの錫杖が貫こうとしていた灰色の本は、まるで内側から何かが目覚めたかのように膨張し、赤い閃光が溢れ出した。
「な、何だ!?」
ゲレドッツォが驚きの声を上げた瞬間、突如として本は爆発するように裂け、中から真紅の剣が現れた。
――我を手にせよ、選ばれし勇士よ。
聞こえたのは『女の声』だった。
それは力強くも優しい音色だった。
「お、お前は?」
――アレイク。
アレイク。
確かにそう聞こえた。