この村はイグナス達と共に訪れた村。
そして、この宿はイグナスから追放を言い渡されたところだ。
「誰もいないだろう」
イオは静かに語りかけた。
確かに人がいたはずの村、村人達が生活している風景を覚えている。
住んでいた人々はどこへ行ったのだろうか、そんな疑問が俺の中で湧き上がる。
「ここの村人達はどこへ消えたんだ?」
俺のシンプルな疑問にイオは答えた。
「全員消されたよ」
「け、消された?」
「急ごしらえの村だったらしいからね」
「急ごしらえ?」
「そうさ」
イオは静かに頷くと不意に虚空を見つめた。
その紫水晶のような瞳は何を見つめ、何を思っているのだろうか。
「ここは『勇者イグナスというキャラを試すためのイベント』に作られた『使い捨ての村』さ」
使い捨ての村と言った。
この村が使い捨て? 俺は首をかしげるばかりだ。
「勇者イグナスというキャラは試されていた。本当にこの物語の主人公に相応しいかどうか、そのために君達はここへと導かれてやってきたんだ」
「バカな全てはイグナスの選択で来たんだ。俺達の旅は――」
「魔王ドラゼウフを倒すことだろ?」
先を制するようにイオに言われてしまった。
俺達の旅は魔王ドラゼウフを倒すこと。
そして、世界に平和を取り戻すことだ。
「でも、君は勇者であるイグナスを殺してしまった。世界の希望の光の一つを消してしまったんだ」
何も言えなかった。
俺はラナンという魔族を救うために勇者を殺してしまったのだ。
「君はこれからどうするんだい」
これから迫られる選択。
勇者を、仲間を殺してしまったものに待ち受けるものは〝死〟のみ。
それが迎えるべき通常のルートなのであろう。
「イリアサンに投降するのかい? それとも
イオの述べる通りだ。
俺には、提示されるような選択肢が用意されている。
死は覚悟しているつもりだが、どの選択肢も選ばなかった。
つまり、俺には『生への執着』というものがあったのだ。
あの日、あの時にイグナスを斃したときから、俺は呪われた戦士へと堕ちていたのだ。
「君は生きなければならない」
イオが俺にそっと語りかけた。
その言葉の優しさが、俺のくすみきった灰色の心をなだめてくれる。
おかしい、俺はだんだんとイオの言葉に耳を傾け始めている。
「共に人間も魔族もない世界を作らないか」
イオが俺の肩を持つ。
その手は魔王を自称する者にしては温かみがあった。
「人間も魔族も?」
「そうさ、ボク達で新しい世界を作るんだ。それには、戦士ガルア・ブラッシュの力が必要になる」
戦士ガルア・ブラッシュの力が必要になる。
それはイグナスが、俺を仲間に勧誘してくれた言葉と一緒だった。
俺の中で『何かのスイッチ』が入った。
カチリと頭の中で音がしたのだ。
皮肉にも、この音は聞いたことがある。
それは俺がイグナスの仲間になろうと決意したときの心の音だ。
イオは優しく微笑むと俺に意味深なことを囁いた。
「この世界に魔王はいない。もう、このゲームは少しづつ壊れ始めている」
「ゲーム?」
「ボク達で新しい物語を作るんだ。タイトルは――」
何が何やらわからないまま、俺はイオの瞳を見ていた。
そして、俺は今頃気付いた。
館の書庫から不意に取り出した灰色の本をずっと手にしたままだ。
「〝Cursed Bug Quest〟だ」
それがこの本のタイトル。
何も書いていない俺達だけの物語。
「ガルア、長くなるであろう物語を共に旅しよう」
はい。
俺は自動的に一つの選択肢を選んだ。
魔王イオの仲間になるというルートだ。
これまであった不安や疑問はなくなり「はい」という呆気ない選択。
巧妙に組み立てられたこの世界、俺は人形のように動くしかなかった。
言葉がフラグ、スイッチとなり、世界は動く。
それがこの仮想世界における一つの生き方なのは、後で俺は知ることになる。
***
「
真っ白な空間で青き竜の骸を見つめる者がいた。
サイネリア色の頭巾を被り、白いマントで体を包む小柄な男。
名前は『大聖師』。
この『Ground Brave Quest』の案内人である。
「何故、魔物の遺体をここに?」
大聖師の傍らにいるのはジル。
勇者イグナスの仲間であった魔法使いである。
「勇者イグナスを試験するために特別に用意した魔物だからね。製作者としては思い入れがあるのさ」
静かに語る大聖師。
頭巾の影から覗き込む瞳は何かを懐かしみ、考えるものだった。
「――『前の物語に登場した魔物』でしたね」
「ああ……長く置いていた彼を折角だから使うことにした。勇者イグナスを試すには丁度良いと考えた」
大聖師は体を反転させるとジルに尋ねた。
「青き暴君は強かったかい?」
「ええ……手強かったですよ」
「それはよかった」
ジルは小柄な大聖師を見る。
「何故、この魔物をイベントに使ったのですか?」
「新たに魔物を生成するのには時間がかかるのと、敵の強さを調整するのはなかなかに難しいんだ。この青き暴君なら、手頃な苦戦を与えてくれると考えてね。僕の思うような戦闘が出来てよかったよ」
「なるほど……」
納得する表情を見せるジル。
しかし、大聖師は違う思いも混ぜていたようだ。
「……僕の心を長く結びつける鎖を断ち切るためでもあるけどね」
「と申しますのは?」
「ジル、それ以上の詮索は無用だよ」
大聖師は白い空間を歩き回る。
この空間には何もない、ただただ無限の道だけが広がっている白紙の状態だ。
「ジル、ところで名無しの女魔族がいただろ? イグナスのために用意した使い捨てのキャラがさ」
「あの娘のことですか」
「娘だなんて情のある台詞を言うね。あいつは村人達と一緒にきちんと消したかい」
ジルは暫く沈黙した後、こう答えた。
「はい、間違いなく」
大聖師はうんうんと頷き、スキップする。
「よしよし! 次こそはもっと心身共に強い勇者を生み出すぞ! 僕はこの物語をしっかりと完結させなくちゃならないからね!」
まるで子供のような大聖師。
だが急に動きが止まり、足で白い地面を踏み鳴らし始めた。
「その前に再び魔王を作らなきゃならない……あのバグキャラを凌駕するような強い魔王を……」
強い魔王、その言葉と共に大聖師は指を鳴らす。
すると、彼の前には四角い立体映像が現れた。
「この強化したドラゼウフでテストプレイだ――」
大聖師は手を動かし始める。
その立体映像には、魔王らしい角の生えた老妖魔が映っていた。