「あの人間はどうだ」
「寝てる、私の呪文がしっかり効いたみたい」
「お前さん凄いな。名前もないヤツだったのに」
「私には『ラナン』という名前があるわ」
「おっと、そうだったな」
「……本当にお喋りね、あんた」
「俺の個性さ、これは」
洋館にて、ラナンは犬顔の獣人と話していた。
犬顔の獣人、この世界における『コボルト』という種族である。
しかし、コボルトは他と同じく栗色の毛並みをしているが少し変わっていた。
多少、前髪が少し長く右側が少し隠れ、細身の長剣を腰に携えている。
それはさながら人間の剣のようであった。
ある魔物研究家によると、コボルトの多くは『生まれ持った鋭い爪や牙で人間に襲いかかる』と言った。
ただ、このコボルトは剣を携えている。人間のように剣技が出来ることを示しているのだ。
それが実に奇怪で奇妙、そして特別感があった。
この異世界ブライトスにおいてはコボルトは低級の魔物、冒険初心者ならば誰でも倒せる。
所謂、経験値に稼ぎとして狩られる対象。
それがこのコボルトの場合、並みの冒険者では倒せない雰囲気があった。
「あいつが俺達の仲間となるのか? ハンバルの話じゃあ、難しそうって話じゃないか」
「……人間ですからね」
「ああ、俺達を〝狩る〟側の人間だ」
コボルトは栗色の前髪をいじりながら言葉を続ける。
「人間には……仲間達が世話になった」
「……フサーム」
ラナンはコボルトを『フサーム』と呼んだ。
それが彼の名前のようである。
フサームは牙を見せながら、ラナンの紅い瞳を見つめる。
「ところでラナン。時々ここを抜けるときがあるけどよ、お前どこへ行ってるんだ?」
「……何のことかしら」
ラナンは顔を背ける。
そんなラナンを見て、フサームは腰に手を当て顔を近付けた。
「とぼけるなよ。お前がこの洋館を抜けて、森に入るところを見たぞ」
「……魔法の修行よ」
「修行だあ?」
「クロノに魔導書を借りてね。これからの戦いのために新しい魔法の特訓をしているの」
「これからの戦いね……」
フサームは腰に帯びる剣をじっと見つめる。
これは彼の愛刀である『ムーンリーパー』。
その愛刀を見つめる目はこれからの波乱を予感させていた。
***
「これで二度目か……」
再び目覚めた俺はベッドの上だった。
新設される魔王軍からの誘いを断った。
魔族からの誘いなど願い下げだ。
堕ちたといえ『死ぬなら戦士のままで死にたい』。
そう思って、俺はサッドへと立ち向かったが――。
「……死ねなかったらしいな」
急に眠気が襲ってきたところから、誰かに魔法をかけられたか。
おそらくは睡眠呪文『ダスクスリープ』によるものだ。
「お目覚め?」
何者かがドアを開けた。
俺は少し重心を落とし臨戦態勢となる。
「お前か」
ラナンか――不思議なものだ。
敵のはずのラナンだが、俺は自然と構えを解いていた。
「……食事よ」
ラナンの両手には簡素な木のトレーが握られている。
その上にはコップに入った水、それとパンと豆のスープがあった。
どうやら食事を運んできたようだ。
ラナンは傍にあるテーブルに食事を置くと、俺の顔を見た。
「よく眠れたかしら」
「ああ……」
端的な返事を俺がすると、ラナンは右手の人差し指を立てた。
何かを言いたいらしい。
「私の魔法、よく効いたでしょ?」
「お前だったのか」
「サッドに素手で挑むなんて無謀よ。あいつは魔王様の右腕なんだから」
「魔王か……」
サッドは言っていた。
魔王ドラゼウフは死に、次の魔王が現れたと。
名はイオ、次世代の闇――。
今でも信じることが出来ない、俺達の目標であった魔王が倒されたという話を。
「本当に魔王ドラゼウフは死んだのか?」
俺はラナンに訊ねる。
イグナスを中心に俺達は魔王ドラゼウフを倒すのが目標だったからだ。
――世界に平和を取り戻す。
その目標に向かって、俺達は過酷な戦いをしてきたのだから。
「死んだわ」
短く答えるラナン、その声はどこか無機質。
自分達の王が死んだというのにあっさりとしたものだ。
その答えが余計に俺の懐疑心を呼び起こす。
「お前達のいうことが信用できない」
「何故?」
「……証拠がないからだ」
証拠、そう証拠だ。
魔王ドラゼウフが死んだという話は、こいつらが一方的に言っているにしか過ぎない。
魔族は人間の敵だ。
そんな『敵側』の話を鵜呑みにすることは出来なかった。
「証拠ね……」
「それよりも、人間である俺を生かしておいていいのか?」
「どういう意味かしら」
「俺はお前達にとっての『敵』だからだ」
俺がそう述べるとラナンは笑った。
「あの時と状況が逆転したわね」
「逆転?」
「村での出来事を忘れちゃった?」
村に火をつけようとしたラナンを捕え、納屋に閉じ込めたときか。
あの時はラナンが目を覚まし、自分を殺すように言った。
それが俺があの時のラナンと同じ状況となり、同じような台詞を吐いているのだ。
「……皮肉なものだな」
俺は自然と笑みがこぼれる。
ラナンはそんな俺を見て、首を左右に振りながらこう告げた。
「気持ちが落ち着くまで好きにしたらいいわ。幸いとして『次のイベント』まで時間はあるしね」
「次のイベント?」
「それはこれからのお楽しみ」
ラナンはそう述べると、部屋のドアノブを手をかける。
そして、顔を俺をその特徴的な赤い瞳で見つめる。
「暫く自由にしてあげるわ。この洋館を好きに探索してもいいわよ」
「……探索だと?」
「この洋館は複雑で迷路みたいな構造をしているわ、ちょっとした暇つぶしになるかもね」
「何を言っているんだ?」
「あなたは私達の仲間になる。それがこのイベントよ」
ラナンはそう述べると部屋から出ていった。
「仲間になる? イベント?」
この時まで、ラナンの言っている意味が理解出来なかった。
その意味を知るのは後々のことになるが……。
「今は考えても仕方がないか」
一人部屋に残された俺はベッドの上に寝転がる。
「……どうにも調子を狂わされる」
魔族から「探索しろ」などと言われるのは初めてだ。
洞窟や塔など多くのダンジョンは魔物の住処だ。
それを人間の俺が自由に動き回っていいなどと――。