この魔族の女に名前は無い、それに必要ないという。
俺は不思議に思った。
獣の類に名前という概念がないことは理解出来る。
しかし、魔族といえども人間の生活様式、文化を持っているはずだ。
名前が無いということがありえるのだろうか。
俺はこの魔族の女に興味を持ち始めた。
「名前が必要ない? それは魔族の世界では普通なのか」
「名前があるってことは贅沢なのさ。それは人間も魔族も関係ない」
俺には言っている意味がわからなかった。
人間も魔族も名前があることが贅沢だと?
そう疑問に思っていると魔族の女は言った。
「お兄さん、確か名前はガルアっていうんだろ」
「……知っていたのか」
「聞いてるよ、勇者イグナスの頼れる戦士様だ。そんな装備をさせられて気の毒だね、まるで悪役みたいだ」
「これは、イグナスが俺のために選んだ装備品だ」
「どっからどうみても、それは魔族が作った呪われた装備品のようだけど?」
「どの装備品もデメリットはあるが、攻撃力、防御力の数値は高い」
俺がそう述べると、魔族の女は冷ややかな笑みを浮かべる。
「あははっ、笑っちゃう」
「なに?」
「あいつは、あんたを使って遊んでるようにしか見えないね」
「遊んでいるだと……」
「だいたい、あいつはあんたを仲間から外したがっていた。違うかい?」
「それは……」
「イグナスはこう思ってるのさ『戦士は前衛のスペシャリストだけど、装備品に金がかかる。それにこれといった特技もスキルもない。それだったら別の職業の仲間を入れた方がいい』とね。だから、あんたで遊び始めたんだ」
「バカな……」
「あんたも薄々気付いているだろ?」
「くっ……」
手に持つカタストハンマーがピクリと動いた。
その細かな動きに合わせ、魔族の女の小さな体も僅かに動く。
この戦槌が振り下ろされると思ったのだろうか。
だが、魔族の女は気丈な振る舞いを見せる。
「図星だったかい? 勇者に遊ばれる哀れな戦士様」
「うるさい……あいつはあいつなりの考えがある。きっとこの呪われた装備品も――」
「大方『デメリットに目をつむっても、装備させるほどの価値がある』とでも言われたんだろうね」
魔族の女は赤い瞳で俺を見つめる。
「そんなものはないよ。それはガラクタ――私のようにね」
「ガラクタ……」
「私はどうでもいい存在なのさ」
「……どういう意味だ」
「あんたには関係ない」
魔族の女の言っている意味はわからない。
だが、何故だろう。
俺はこの魔族の女を哀れだと思い始めた。
自然とカタストハンマーを下ろされ、体は膝をつき横に座った。
魔族の女は驚いた顔をしている。
「あんた……」
「喋るな、もうすぐイグナスが来る」
自分でも不思議な感覚だ。
ガラクタといったことに同情したのかもしれない。
イグナスからパーティを外され、捨てられていく自分と重ね合わせたのだろう。
「私、あんたを攻撃するかもしれない」
「今のお前に敵意、殺意は感じない」
「何故、そう言い切れる」
同情したからとはいえず、俺は理屈をつける。
丁度、頭にはこのスカルヘルムを装備している。
俺は人の頭蓋骨に似た、この兜を指差す。
「あれば、このスカルヘルムが反応し、攻撃しているはずだ」
「油断しない方がいいよ、私がいつ……」
「随分と親切だな。いちいち喋らなくとも不意打ちで来てもいいはずだぞ」
「それは……」
魔族の女は下を向く。
ここで俺は一つの質問を投げかける。
ここまでの会話で引っかかる部分があったのだ。
「それよりもお前、やけに俺達に詳しいな」
「え?」
「まるで、俺達のこれまでの冒険を見てきたかのような口ぶりだったぞ。それに勇者の最終試験とやらも気になる」
何故、この魔族の女はこれほどまでに詳しいのだろうか。
イグナスが俺に呪いの装備品を当てがっていること、パーティから外すことを知っていた。
それに勇者の最終試験、これも気になる。
この魔族の女はイグナスの何を試そうというのか。
「お前は何故知っている、何をしようとしている」
俺の問いかけに魔族の女は何も言わない。
しん鎮まる空間、そこに張り詰めた空気、緊張感はない。
あるのは静寂、松明の火と月の光だけ。
***
≪名も無き村の宿≫
「可愛そうだけど、殺すしかないな」
ジルから話を聞かされたイグナス。
あの魔族の女を殺す選択肢を選んだ。
勇者の選択、主人公の選択、それはそれで正しいだろう。
だが、ジルは念を押す。
「本当に殺すのか?」
イグナスは声を低くし、簡素に答える。
「ああ」
「まだ若い魔族だぞ」
「見た目が人間に似ているだけだ。魔族は敵だ、殺さないといけない」
冷たい勇者の答え。
「……そうか」
ジルは黙って頷いた。
それがイグナスの正解ならば同意するしかない。
「行って来るよ。それに、その勇者の最終試験とやらが何なのか試してやる」
「一人で行くのか」
「当然だろ」
イグナスは壁に立てかけてある白銀の剣を手に取る。
防具は身につけず、麻の服という軽装で出ようとしていた。
それに一人で納屋に行くという。
その余りにも軽率な行動にジルは苦言を呈した。
「待て、私とミラを連れて行け」
「ミラは寝てるだろ」
「叩き起こせばいいだろ。回復役は必要だ」
「俺一人で大丈夫だよ。それにそこにはガルアもいるんだろ」
「そういう問題ではない」
「なんだよジル」
「お前の行動は全てにおいて軽率すぎるぞ」
「うるさいな。何をしようと俺の勝手だろ」
扉を開けるイグナス。
その後ろ姿を見て、ジルは再び声をかける。
「念のために聞くが……本当にそれでいいのか?」
イグナスは苛立った。
今日のガルアといい、このジルといい、自分の選んだ選択肢を非難する。
今まで冒険で自らの指示、命令は全て頷き、従ってきた彼ら。
それがまるで言うことを聞いてくれない、イグナスは感じていたのだ。
「ジル、しつこいぞ!」
イグナスは怒っていた。
これまでのように黙って従い「流石は勇者だ」とただ賞賛してくれればよい。
実に傲慢で子供っぽい〝主人公〟が出来上がってしまっていたのだ。
「いつだって、俺の選ぶ道は正解だ!」
「正解か……」
「そうさ! だって、俺は勇者なんだからな!」
俺は勇者だ、その自負心が強いイグナス。
この物語の主人公であると彼はそのまま部屋を出た。
部屋に一人残されたジル、静かに椅子に腰かけた。
「勇者イグナス――お前は不合格だ」
ジルは言った。
不合格であると――。