はっと気付いた時には、時既に遅しでした。
ジョルダン様のお顔から表情がなくなっており、「そうか……」という一言を残して部屋から立ち去られてしまいました。
翌日ジョルダン様からお手紙が届きました。
式場に変更の手続きをしたこと、参列者には七月末日になったと報告をしたことが書いてありました。
そして文末に『すまないが、取り止めはしない』とも。
流石のアフォな私でも気付きます。
完全にやらかしていることに。
絶対に、ジョルダン様を傷付けてしまっていることに。
慌てて騎士団に出向きましたが、ジョルダン様はお留守とのことでした。
「マクシムならいますが」
「いらないです。あ、これ差し入れです」
「……生肉と調味料!?」
「兄に何か作らせてください」
わりとそれが一番喜ばれそうだなと思い、材料を持ってきましたら、受け取った騎士様が困ったような微笑みから満面の笑みになられました。
これ、正解ですね。
「うぉぉぉ! ソフィちゃん、天才!」
「あはは、どーもー」
手を振って、乗合馬車の停留所に向かいました。
馬車にゴトゴトと揺られつつ、チョコレート色の牝馬マリーナのお尻を眺めていましたら、騎士団の馬車とすれ違いました。
窓からチラッとジョルダン様が見えたような気がしました。
あれから、何度か騎士団へと出向きましたが、いつもジョルダン様がいません。
「今日も、いらっしゃらないのですね」
「申し訳ありません。その……事前にアポを取られると良いかと」
「…………アポ。そう、ですよね。アポを取らせてももらえな――――すみません、なんでもありません。失礼いたします」
お手紙を二度ほど送りましたが、『王太子殿下の行動が発覚してしまう可能性がある。予定は教えられない。すまない』と断られてしまっていました。
ジョルダン様の判断は正しいのです。
私は、王太子殿下とよく行動されるジョルダン様の婚約者。そこから情報が漏れるリスクは大きくなるのだと思います。
これは、私がただ寂しく思ってしまうだけの問題。
ジョルダン様を傷付けたくせに。
家に戻り、夕飯の支度をしていましたら、脳筋兄がキッチンに飛び込んで来ました。
「ソフィ、団長が会いに来てるぞー。早く行けー。ジョー団長を煩わせるなよー」
「…………え。あ、ソフィは留守です」
「…………目の前にいるお前は誰だよ」
「………………ソフィの双子の姉のマフィです……」
「「……」」
「いたぁぁぁぁぁ!」
脳筋兄にゲンコツをされてしまいました。
頭頂部に激痛が走りました。
「ちょっと! 私は留守ですってば!」
「訳がわからん! とりあえずチャキッと歩け!」
脳筋兄に首根っこを掴まれ無理矢理歩かされて、ちょっと見栄えの良くなったサロンに連れて行かれてしまいました。
「…………マクシム。二人きりにしろ」
「「……」」
ジョルダン様のお顔が、また無表情です。
それにびびったのであろう兄は、ビシッと敬礼してサロンから出て行ってしまいました。
ドアをしっかりと閉めてから。
普通、未婚の男女がいる部屋は、誰かを置くか、ドアを少し開けておいて密室になるのを防ぐものでは?
それさえもわからないのですか、脳筋は。
いえ、厳密には婚姻届は受理されているので書類上は夫婦ではありますが。
……これは完全に八つ当たりの思考ですわね。
あとで謝りましょう。
「連日、出向かせてしまい申し訳なかった。まさか君から私に会いたいと思うなど、あるはずがないとばかり……」
「…………旦那様に逢いたいと思うのは、変ですか?」
「っ! そう、本当に思っているのかい? 延期になって、あんなに喜んでいたのに」
――――やっぱり!
原因はあの時の私の反応ですね。
無表情で話すジョルダン様は少し怖いです。
いつもの柔らかな笑顔が見たいです。
「ジョルダン様、ずっとお逢いしたかったです」
大好きの気持ちを乗せて、ジョルダン様の瞳をしっかりと見つめて、逢いたかったと言葉にしました。
ジョルダン様の眉がピクリと動いたので、伝わったと思いたいです。
「ジョルダン様――――」
「ソフィちゃん……」
「ふへぇ!?」
ジョルダン様には呼ばれたことのない、軽い感じの呼び方をされ、なぜか背中がゾワッとしました。腕も痒いです。
ポリポリと腕を掻いていましたら、真剣な眼差しのジョルダン様が一歩こちらに近付いて来られました。
なんとなく、一歩下がります。
「なぜ、下がる?」
「え……と? なんと、なく?」
また一歩近付かれました。
どうしてか一歩下がってしまいます。
ジョルダン様のお顔が泣きそうなのは気のせいでしょうか?
「騎士たちが、ソフィの事を『ソフィちゃん』と呼んでいる」
「あー、そうですね?」
差し入れ(材料のみ)を持っていくと大変喜んでくださって、お礼を述べられますね。
「私の妻を、名前で呼んでいる。そして、君はそれを許している」
「あ……」
失念していました。
私は脳筋兄の妹という扱いをされていて、そう呼ばれるのが普通の感覚でしたが、婚姻届を提出して受理されている身。
私は人妻なのに、夫以外の男性に名前を呼ばせるということは、親密な関係ですよと言っているようなもの。
ただ、騎士さんたちはたぶん私と同じ感覚で……。
「分かっている。ただ疑心暗鬼になりすぎているだけだと。だが…………あのときの喜んだ顔が、頭から離れない」
「ごごごごごめんなさい!」
慌てて、お菓子を食べすぎていたこと、ドレスが窮屈でどうしようかと悩んでいたこと、まさかの猶予が与えられたこと、そんなしょうもないことで大喜びしてしまったことを、ジョルダン様にひと息に伝えました。
「………………ふっ」
ジョルダン様が俯いて「ふくくくく」と笑い出されました。
片手でお腹を抱え、もう片手は口元を覆っています。
「ジョルダンさま?」
「っ………………ふぅ。すまない」
ジョルダン様が深呼吸をしたあと、私の頬に両手を伸ばして来られました。
「違うとわかっていたのに、どうしても考えてしまっていた。本当は……と。君は若い。もっと別の出逢いがあったろうに、と。でも絶対に手放したくない」
ジョルダン様のお顔が徐々に近付いて来ます。
「書類上だけの関係を、早く終わらせたい――――」
唇に触れないギリギリの場所へのキス。
「唇へのキスは、結婚式で奪いたい」
お腹の奥底に響くような声で囁かれて、私は…………直後に熱を出してぶっ倒れました。