人は誰しも、ちょっとポカッとした軽いミスをする。
……と、私は思うのよ。
「だから……その、ちょっとした遊び心だったんです」
「で、コレがその『遊び心』をふんだんに盛り込んだ、婚姻届で、ポカッとしたミスで、
私の愛しの婚約者様であり、二週後には旦那様となる、ノーザン伯爵ジョルダン様の手には、なんの因果か……私がノリだけで書いたネタのような婚姻届が握られていました。
そして、ソレが二人の間にあるテーブルに、バシンバシンと激しく叩き付けられています。
私の部屋の、ちょっと作りが心許ないテーブルが、ガタガタと揺れています。
――――デジャヴかしら?
「デ・ジャ・ヴ、では、ない」
「ですよねー」
「………………はぁぁぁぁ」
びっくりするほどに重たい溜息を吐かれてしまいました。
『 夫 氏名:マクシム・アゼルマン
貴族籍:アゼルマン子爵家 長男
生年月日:七四九年 八月
出生地:シルレー王国 王都
(以下略)
妻 氏名:ジョルダン・ノーザン
貴族籍:ノーザン伯爵家 当主
生年月日:七四五年 八月
出生地:シルレー王国 王都
(以下略) 』
――――と書いた、何かのネタのような婚姻届のせいで……あら? デジャヴ?
◇◆◇◆◇
そもそもの原因は、ジョルダン様と脳筋兄にあると思うのです!
決して、私の妄想が暴走し無双しまくったとかではない……はず。
私とジョルダン様は、一年の婚約期間を経てとってもラブラブになっています。
毎週のようにデートを繰り返し、ちょっとしたすれ違いなんかも体験したり。いろいろといろいろがあったのです!
結婚に向けての書類などの用意が終わり、この日は二人で王都で有名なカフェでお茶をしながら、婚姻届を記入して、『二人で提出しに行こーねー! うふふふ!』というラブラブカップルの予定だったのです。
「提出書類は揃ったかい?」
「はい、全て揃いました!」
妻側が用意する書類は、出生証明書、独身証明書、慣習証明書の三種です。
出生・独身の証明書は字面の通りなのですが、慣習証明書というものは、夫婦間で執り行われる契約の為に必要な書類で、取得がとても面倒でした。
取得するための書類を申請し、取得し、提出し、また別の書類を申請し、取得し………………無限ループなのかと思いました。
おかげで脳も体も疲労困憊です。
あー、今日もお菓子が美味しいっ!
「ソフィ、落ち着いて食べなさい。ほら、唇に――――」
ジョルダン様がフフッと笑いながら、私の口元にそっと手を伸ばして来られました。
ついっ、と親指で唇を撫でられ、ドッキンコしていましたら、まさかのまさか! ジョルダン様が、親指に付いたクリームをペロリと舐めたではありませんかっ!
――――えろっ! ちらりと見えた舌がえろっっっっ!
「ん? どうした?」
「な……んでも、ありまひぇん」
「そうか?」
不思議そうなお顔のジョルダン様、可愛いっっ!
私がお菓子を心ゆくまで堪能している間に、ジョルダン様が書類に不備はないかの確認をしてくださいました。
「ん、大丈夫だな。ソフィの方の証明書取得は大変だったろう? ありがとう」
あぁぁ、笑顔が尊いです。
接すれば接するほど、ジョルダン様の心優しさに惹かれていきます。
脳筋兄が心酔する気持ちが、多少は理解できそうです。
「さて、記入しようか」
「はいっ!」
先ずはジョルダン様から。
夫の欄にサラサラと書き込まれていく文字。
ジョルダン様は、教本のようなとても綺麗な文字を書かれます。
私はちょっと斜めに傾いてしまう癖があるので、お手本にしたいです。
兄は……枠外にはみ出すうえに、オリジナリティ溢れる前衛的な文字です。
流石にアレは真似できないので、サインの偽造防止などの役には立ちそうだなぁ……なんて考えていましたら、ジョルダン様が書き終えていました。
「さ、ソフィの番だ」
「っ! はいっ!」
わくわく、ドキドキ。
ジョルダン様に見守られながら自分の名前を書いて、貴族位を……あっ、地味に書き損じました。
えいっ! とうっ! と形を整えましたが、微妙です。
この微妙に誤魔化された文字の書類を提出して、保管されるのかぁと思うと、しょぼーんとしてしまいます。
「ふっ…………ははっ!」
ジョルダン様が急に笑いだすので何かと思いましたら、新しい用紙を出してくださいました。
「大丈夫だ。多少のトラブルは想定している」
――――かっ、かっこいぃぃぃぃ!
多少なんて言われましたが、私が起こすかもしれない素っ頓狂なトラブルに対応できるよう、様々なことを想定してくださっているのだと思います。
私の婚約者様、超絶格好良いです。