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第一話 星と宇宙と


 遮光カーテンの隙間から漏れる朝の日差しは、昼のそれと違い、手で撫でるような、そんな感触がある。

 ゆっくりと、目を開く。

 目に映るのは、いつもの天井だ。


「ああ……朝か」


 ゆっくりと伸びをしながら体を起こす。


 ──心地いい朝だ。


 と思ったのも束の間、僕は大きく目眩を感じ、再びベッドに引き戻された。

 ここ最近いつもだ。目覚まし時計が鳴る前に目が覚め、次いでめまいに襲われる。


 ──受験勉強で余裕なかったからなぁ。


 志望した大学へ行きたい。そのために色んな事を犠牲にした。

 睡眠時間もその一つだ。


 ──疲れが出てるんだ、きっと。


 受験期間、この体には相当な無理を通している。目眩くらいで済めば御の字だ。

 コンコン。

 ドアを打つ軽めのノック。


 ──スミカか。


 そう思う間もなくドアが開いた。


「リュウ、お早う」

「うん。姉さん、お早う」


 いつもの挨拶。いつもの柔らかい笑顔。姉のスミカのいつものスタイル。セミロングの髪を後ろで軽く結い、ゆったりしたスカートを穿いている。姉は二個年上で、この春で大学三年生だ。

 でもなぜだろう。

 こんなにのんびりした挨拶は久しぶりだと感じる。

 毎朝繰り返すこの挨拶は何も変わらないと言うのに。


「朝食、私は済ませたから」

「うん」


 僕はベッドから降り、そこで胸に違和感を覚えた。


 ──な、何だ?


 息が出来ない。

 胸が苦しい。

 全身に激痛が走る。

 脂汗がにじむ。


「リュウ? どうしたの?」


 スミカの気配が駆け寄る。


 ──大丈夫だよ、きっと疲れが出たんだ。


 だがその言葉は、僕の口から出る事はなかった。

 僕はそのまま気を失った。



 狭いベッドユニットに警報が鳴り響いた。


 ──またか。


 僕は舌打ちしながら、体を固定しているベッドのハーネスを解き、ベッドユニットから這い出した。

 無重力は眠るには具合がいいが、急に起こされると困る。

 体が思うように動かないのに、警報は早くそこから出ろと言わんばかりに鳴り続ける。今でこそスムーズにハーネスを解いて避難経路へ移動出来るようになったが、それには大分慣れを要した。


 ──僕は不器用だからなぁ。


 通路に出ると、明るい声が僕を呼んだ。


「あ、リュウ、お早う」


 隣の居住ユニットに住む佐倉さくらアカリだ。

 僕達はコロニー内の高校に通うクラスメイトだ。今年で卒業となるが、進路はまだ決まっていない。

 なぜなら、今は戦時下だからだ。

 アカリは無重力下で広がる髪を手で押さえ、持っていたシュシュで手早くまとめた。


「お、お早うアカリ」


 僕はそう言ってアカリから視線を逸らした。


 ──こればっかりは慣れないや。


 アカリは体にフィットするインナーウェアを着込んでいる。僕も同じくインナーを着用しているのだが、女性のインナー姿は、健全な高校三年の僕には少々刺激が強い。

 しかも、アカリはその事に気づいてすらいない。

 だから、僕が視線を逸らす理由が分からないのだ。


 ──これじゃ僕が変に意識しているみたいじゃないか……。


「何してんの? 早く避難用シェルターに行こう?」

「う、うん」


 僕はアカリの語気に押し負け、生返事した。

 視線が宙を彷徨う。

 きっとアカリの目には、僕が警報のせいで慌てているように映っているだろう。

 実際慌てているのだが、理由が全然違う。


「リュウは恐がりだなぁ」


 ──これだ。


 アカリはニターっと口元を歪め、まるで年下の男子を見るような目で僕を見た。

 僕は別に、警報が怖くて挙動不審になっているわけじゃない。

 とはいえ、真実を告げるには別な勇気が試される。もちろん僕にそんな度胸はない。

 なので話題を変えた。


「ところで、姉さん見なかった?」


 僕の姉、神崎かんざきスミカの行方だ。


「スミカさんなら運用局の管制室じゃない? 交替制でしょ? 監視任務って」


 実はそれは知っている。知ってて話題を振ったのだ。


「ああ、そうだっけ?」

「リュウはもう少し周囲に注意を払った方がいいね」


 ──アカリもそのインナーの上に何か羽織るとかした方がいいね。


「ん? 何か言った?」


 僕はぶんぶんと頭を振った。

「何でもない、何でもない」


 そんなやりとりをしていると、同じ区画に住む、クラスメイトの高円寺こうえんじタカシが居住ユニットから出てきた。


「何だよー。こんな朝から警報なんてさー。なぁリュウ。どうにかしてくれよ。これじゃおちおち安眠も出来やしない」


 ぶつくさ文句を垂れるが相手が違う。僕に文句言っても何も解決しない。


「いい目覚ましじゃないか。遅刻の心配をしなくていいし」


 僕は気休めを言った。

 でも、こんな朝早くに警報が鳴る事は珍しい。ここ一ヶ月程は警報すら鳴らなかった。何やら胸騒ぎがしたが、僕が騒いだところで事態が好転するわけでもない。

 僕は一介の高校生。何の力も持たない小市民だ。


「さ、僕らに出来る事をしよう」


 宙に浮いた体を方向転換させ、避難用シェルターに向かうため壁を蹴飛ばした。



 目を覚ますと、いつもの天井が目に映った。

 さっき一度起きた気がするのだが、なぜかベッドで寝ていた。


 ──夢、じゃないよな。


 上半身を起こし、ゆっくりと部屋を見回す。

 頭がまだ完全に覚醒していない。

 目に入るのは、天井、机、タンス。

 いつも通りだ。

 視界に入る遮光カーテン……は開け放たれていた。


 ──あ!


 僕は思い出し、跳ね起きた。

 そうだ。僕は気を失ったんだ。

 という事はスミカにベッドまで運ばれたわけだ。


 ──よく僕の体を持ち上げられたなぁ。


 姉のスミカの体躯は華奢だ。言い替えればスレンダー。年相応の大学女子を体現したようなスタイルだ。

 なので身長も体重も上回っている僕を、よくベッドに戻せたなぁと感心せずにはいられない。

 そんな事より。

 僕は枕元の時計を見た。

 デジタルなセブン・セグメントのディスプレイは、午前八時を示していた。


 ──遅刻確定だな、こりゃ。


 自慢ではないが、昨年二年生までは無遅刻無休を貫いていた。小中高と頑張ったのだ。休んだのは、九歳の頃に両親を交通事故で亡くし、その葬儀と忌引きだけだ。

 それが高三になってから、急に体調がおかしくなった。

 動悸、目眩、胸や頭、全身の激痛。

 幾度となく病院で診てもらったのだが、特に異常はないとの事で、成長期やら男性ホルモンやら貧血やら、取って付けたような理由しか出てこなかった。

 僕は不審に思ったが、何人もの医者が口をそろえてそう言うので、まぁそう言うもんなんだろうなと、今では自分を納得させている。


「リュウ? 具合はどう?」


 開いていたドアから、スミカがひょいと顔を出した。


 ──ありゃ? 姉さんまだいたんだ。


「姉さん、大学は?」

「自主休講」


 スミカはしれっとした面持ちで、学徒にあるまじき発言をした。


「単位落としても僕のせいじゃないからね?」

「大丈夫。私にぬかりはないわ」


 スミカは片目をつぶった。どうせノートの貸し借りや代返の手配が完了しているのだろう。


 ──僕にはそんな器用な真似はできないだろうなぁ。


 必修科目ならとても代返なんか頼めない。ノートもそうだ。自分で整理して書き込まなければ頭で理解出来ない。

 僕は不器用なんだ。

 スミカのようにはなれない。


「ささ。具合が良くなったなら起きた起きた」


 スミカが僕を追い立てるように布団を剥ぎ取った。


「わ、分かったよ。分かったから姉さんは部屋出ててよ」


 このまま部屋に居座られては着替えも出来ない。


「あらー? リュウもすっかり『お年頃』って事かしらー?」


 ドアを閉めつつ部屋を覗き込むスミカ。その口元は、にへら、と歪んでいた。


「もうっ! うるさいっ!」


 僕は、スミカがドアを閉めると同時に枕を投げつけた。



 避難用のシェルターは、コロニーの居住区に一定間隔で設置され、それぞれ割り当てが決まっている。

 収容人数も、割り当てられた居住区に住まう人数より二〇パーセント余裕を取っている。なので多少人数が増減しても混乱は起きないよう設計されてはいる。

 だがその『割り当て』が守られるかどうか、そしてその『余裕』が設計通りに機能するかどうかは別問題だ。

 『割り当て』によっては、『別区画用のシェルター』が近い場合がある。

 避難訓練と違い、さっきの警報は『本物』だ。そうなれば人間、目先の安全に目を奪われる。

 ゴミ出しなどのルールは守っても、自分の命がかかればそんなルールは瞬時に形骸化する。それが今僕達が置かれている立場であり状況だ。

 予想通り、僕達が『割り当てられた』シェルターに到着すると、そこはもう満員だった。それどころか通路に人が溢れており、喧噪が酷く耳障りだ。


 ──ちゃんとルール守ればこんな事にならないのに。


 僕はアカリとタカシに「別区画のシェルターに行こう」と促した。

 だが。


「何で? このシェルターは私たちが『割り当てられて』いるのよ? それを使えないなんて、あんたたちが許しても私が許さない」


 僕は頭を抱えた。

 横目でタカシを見ると、同様に頭を抱えていた。

 自ら渦中に飛び込むなんて、アカリらしいといえばらしいのだが、今はそんな事を言っている状況ではない。訓練ならいざ知らず、今僕達が置かれている状況は正真正銘『緊急事態』なのだ。


「アカリ」


 僕はアカリの手を強く引いた。

 時間がない。

 もし敵国の先制部隊が有効射程圏内に入るとすれば、制宙圏突破の警報が鳴ってから約五分。そろそろタイムリミットだ。

 僕はタカシを見た。目がちらちらと窓を見ている。きっと同じ事を考えているな、これは。

 僕は通路の窓を見た。

 そこからは、厚さ一メートルの積層構造の防護特殊ガラス越しに宇宙が見えた。その向こうで、各種工業ブロックや農業ブロックが居住ブロックを覆い隠そうと移動している様子が、はっきり視認出来た。

 そしてその『窓』に、ぱぱっと光が瞬いた。


 ──防衛システムが迎撃している!


 敵の攻撃は、まだ僕達がいるシェルターには届かないが、これ以上時間を浪費している暇はない。

 僕は通路に溢れたおっさんと口論しているアカリの手を引いた。


「何よ!」


 アカリの矛先が僕に向いたが、今はそれどころじゃない。


「時間がない。もう先制部隊が到達してる」

「だから何よ!」

「うぉい、タカシ。何とかしてくれよ」


 僕は手がつけられなくなる前に、厄介ごとをタカシに振った。


「アカリ。外見てみな」


 タカシは面倒そうにアカリに『窓の外』に視線を促した。アカリがそれに倣い、息をのんだ。

 ひっきりなしに光が瞬く様がはっきりと見える。

 死の光か、あるいは味方が放つ迎撃用高出力レーザーの光なのかは判別出来ない。

 ただ、確実に戦闘が、戦争が近づいてきている。


「そういう事だ。アカリ、行くよ」


 僕は呆然としているアカリの手を強引に引っぱり、タカシと共に別のシェルターに向け床を蹴った。



「じゃぁね、リュウ。大学受験終わったからって発表まで気を抜いちゃだめよ。学校の授業だってあるんだからね」


 スミカはそう言い残し、先に家を出た。

 僕はどうせ遅刻確実なので、もう無理はしない。どうせ間に合うバスはない。

 僕はバス停までゆっくりと歩を進めた。

 ため息をつきながら。


 ──やれやれ。


 いつまで経っても保護者気取りなんだもんなぁ。

 きっとスミカの中では、僕はずっと少年のままなんだ。小さい弟のままなんだ。

 両親を交通事故で失った僕達は、誰かに引き取られるわけでもなく、二人で家を守ってきた。親戚筋から話がなかったわけではない。二人一緒であること、という僕達の最低限の条件が満たされなかっただけだ。

 両親と死に別れ、唯一の肉親であるスミカとも別れるのは、僕には耐えられない。こうして一緒に暮らしているという事は、スミカもきっと同じ考えなんだろうな。

 と、そんな感傷めいた思索に耽っているとバスが来た。

 そんなに混んではいないようだが、車中に学生の姿はなくサラリーマンが目につく。あいにく空席はなかった。

 僕が疲れた顔で乗り込むと、目の前に佐倉さくらアカリが席に座っていた。

 一瞬目を疑ったが、見間違えようがない。

 幼い頃から大事に育てて来たロングヘア。それをまとめるでもなく背中と肩に垂らしている。本人曰く、ご自慢の黒髪なのだそうだ。


「アカリ、どうしたんだ?」


 アカリも驚いたようで、口をパクパクさせていた。


「僕は貧血で寝過ごしたけど、アカリはどうしたんだ?」


 アカリは、手に持っていたペットボトルの水を一口飲んだ。何かを落ち着けようとしているようだ。


「わ、私はその、何よ……あのその……」


 アカリは俯き、小声で何事か呟いた。だが騒然としている車内とバスのエンジン音に掻き消され、何を喋っているのかよく聞こえない。


「え? 何?」


 僕は声を張った。だが僕の声もこの雑踏の中ではうまく通らない。


「まさか寝坊じゃないよな?」

「違うわよっ!」


 今度の声は車内に良く通った。

 全員がこちらを振り向く。

 アカリは真っ赤な顔で俯いてしまった。

 僕はとりあえずショルダーバッグをアカリの足下に置いた。

 アカリが顔を上げた。

 そして小さく小さく呟いた。


「え? 何? 聞こえないって」

 聞こえないので、僕は顔をアカリに近づけた。


「……ぅ、あ……あの日なの……」


 ──うわぁ……。


 僕はその場で固まった。

 聞いちゃいけない事を聞いてしまった。

 頬が熱い。きっと僕の顔も真っ赤になっていると思う。

 僕は姉がいるので、女性の月のものについてはよく知っている。スミカはその期間、非常に不機嫌になるからだ。

 しかしだ。

 その言葉を聞かされた側として、平静を保つのは難しい。

 スミカのそれはもう慣れっこだが、幼馴染みとはいえ、同学年の、さらに年頃の女の子からその事を聞かされてしまったらもう。


 ──気まずい……。


 隣で立っていた若いサラリーマンが口を手で押さえた。きっと含み笑いしてるに違いない。

 と、とりあえず。


「だ、大丈夫なのか?」

「う、うん」

「そっか」


 心配して声をかけてみたものの会話が続かない。歯車が一つ外れたように、ギクシャクしてしまう。


 ──これは学校に着くまで、何も言わない方がいいかな。


 僕はどうにも気まずい雰囲気がを振り払うように、手すりに掴まり窓から見える景色に集中した。

 いつもの景色。

 所々空き地が目につく。

 でも、以前そこに何が建っていたのか思い出せない。

 それすらも僕の日常の一部だ。

 そんな事を考えているうちに、思考が停止したような感覚に陥る。

 ただ流れる景色を眺める。そこに何が見えようとも、それは日常だ。

 そして、僕の前で顔を赤くして俯いている女の子も、僕の日常だ。


 ──そうさ、これが日常なんだ。


 僕は、いつもの朝、いつもの景色、いつものアカリを見て、そんな事を考えていた。



 シェルターが細かく振動する。耐衝撃機構ショックアブソーバが相殺しきれなくなっているようだ。


「まずいな。防衛システムが突破されたのか」


 さっきからひっきりなしに瞬く光を、シェルターの小さな窓から眺めながら、壁から伝わる振動に不安を感じていた。


 ──ここが振動するという事は、コロニー本体に攻撃が届いているという事だ。


 日本のスペースコロニーは、他国と根本的な構造が異なっている。

 他国のスペースコロニーはドーナッツ型、シリンダー型のどちらかに集約される。対して日本のコロニーは、円筒状の居住ブロックを中心に、各種様々な施設がパイプ状の構造物で接続され、その構造物自身が居住ブロックを軸に回転する事で擬似的に重力を作り出す。居住ブロックは回転しないため、そこに設置されている避難用のシェルターは0Gだ。

 コロニーの見た目が、遠目では細い棒に棘のような形状で各施設のブロックが伸びている事から、『ハリネズミ』や『ハリセンボン』と揶揄される事が多い。

 その各施設ブロックは、緊急時はパイプを格納して居住ブロックを覆い人命を守る。通称、『アルマジロ』形態だ。

 自衛隊はコロニーの先端に基地を築き、工業ブロックは絶えず新兵器や保守部品を製造している。

 どこの国でも同じような状況下だが、日本はちょっと特殊だった。

 構造上、0Gから4Gまでの重力環境を施設ブロック単位に作り出せる仕組みを持つ日本のコロニーは、宇宙空間において、重要な工業製品生産国だ。

 そして今。日本の工業施設が造り出すのは軍事用の兵器の部品や素材だ。主に同盟国であるアメリカ向けではあるが。

 そのため、他勢力から日本のコロニーは目を付けられている。

 その技術、生産力、コロニー自体の独自ノウハウ。

 それら全てが垂涎の的なのだ。

 このコロニーには、日本の国民、約二〇〇〇万人が生活している。

 たかだか直径五〇〇メートル、総延長一〇キロメートルの居住区に、それだけの人間が暮らしているのだ。

 だが他国よりはましだろう。

 どの国のコロニーも、建造されて少なくとも四〇〇年は経過している。それらは老朽化し、補修を繰り返し、辛うじて居住可能なコロニーとして運用されている。

 もうどの国にも、新たにコロニーを建造する余力はないのだ。

 その点日本のコロニーは、居住ブロックを比較的ローコストで拡張可能な上、各施設が本体から独立しているため、ブロックの追加、補修が容易だ。

 そんなコロニーに僕達はいる。

 そして戦争。

 二〇〇年前に始まったとされる『地球帰還戦争』。

 教科書には、人類が宇宙に『避難』して二〇〇年後に始まった戦争で、今年で開戦二〇〇年を迎えると記されている。

 二〇〇年。

 そんな長い間、人類は限られた空間で戦ってきた。

 その目的は一つ。

 やがて訪れる『地球圏への帰還』。その時どの国が『主導権』を握るのか。ただそれだけのために、貴重な資源を浪費し、戦闘行為を続けている。

 今から四〇〇年前。

 母なる星、地球は人類が住める環境ではなくなった。資源枯渇。自然破壊。理由はいくつもあった。

 当然、人類は様々な延命策を試みた。

 海洋都市メガフロートを建造したり、地下都市ジオフロントを作ってみたり。

 しかし、どれも自然の前には何の役にも立たなかった。人類は自らの首を絞めている事に初めて気が付いたのだ。

 最終的に、宇宙への『避難』を余儀なくされ、今に至る。

 これが、愚かな人類の直近の歴史だ。


「ねえ。リュウ」


 アカリが不安げに僕の肩に手を置いた。


「ここ、大丈夫なのかな?」


 ずずん。重い音が再びシェルターを揺るがした。


「大丈夫だよ。『アルマジロ』は、そう簡単に破られない。ここまで敵の弾は届かないよ」

「でもさ。そんなの設計上の話でしかないよな」


 タカシの言う事はもっともだ。

 他国のコロニーと違い、守りに徹すれば居住ブロックが露出しない構造のこのコロニーは、薄っぺらい地殻構造を晒している他国のコロニーと比較して堅牢だ。だがそれだけだ。その外郭を覆うブロックを破壊すれば脆弱な居住ブロックが曝露される。

 要は手間と攻撃兵器の破壊力の問題でしかない。


「まぁそうだけどさ。でも迎撃部隊は自衛隊だけじゃない。駐留しているアメリカ軍も援護に回ってる。すぐに終わるよ」


 だが先ほどの振動は、どこかの居住ブロックがが攻撃に晒されている事を示している。


 ──いくら堅牢と言っても、それはあくまで『設計上』なんだ。


 僕は、シェルターの小さな窓にそっと触れた。

 複合素材のガラスの冷たさが、その向こうにある虚無の空間を感じさせる。

 僕は肩に乗っているアカリの手に自分の手を重ねた。



 学校に着くと、早速もう一人の幼馴染み、高円寺こうえんじタカシの洗礼を受けた。


「なんだよご両人。仲良く重役出勤か?」


 目が笑っている。これは『タダ』では済まないな。


「そんなんじゃないよ」


 僕は自席に鞄を放り投げ、教室の時計を見た。

 一時限目が終わり、今はちょうど休憩時間だ。


「香川先生、何か言ってたか?」


 香川かがわ先生とは、僕達のクラス、三年二組の担任だ。

 事前連絡なしの突発遅刻だから、後でたっぷり搾られる事は覚悟していた。


「ああ。『後で道場に来い』だとさ」


 ──うわぁ……やっぱり。


 香川先生は女性で体育教師だ。しかも柔道の有段者。あの小柄な体躯で、僕達のような自分より一回りは大きい生徒をぽいぽいと投げ飛ばすのだ。


「それ私も?」


 アカリが口を挟んできた。投げ飛ばされるのは男子生徒のみだ。授業で柔道を受けていない女子は別な『指導』が待っている。


「いや? アカリの事は何も聞いてないな」

「それ、狡いんじゃないか?」

「あら、何でよ。私の遅刻の理由は先生も良く分かってる。でもあんたの遅刻は寝坊でしょ?」


 ──違う!


 と言いたいところだが、ぐっとこらえる。

 今朝の体調不良の事をこの二人に言っても、余計な心配と余計な気苦労が増えるだけだ。


「まぁ大学受験も終わったし。結果待ちだから、後は消化試合みたいなモンだろ?」

「おおう、嘆かわしい。これがあのスミカさんの弟君のお言葉か?」


 タカシはオーバアクションで嘆き悲しんだ。


「それにその自信。まだ結果が出たワケじゃないだろう?」

「人事は尽くした」


 僕は一言でタカシの世迷い言を斬って捨てた。


「それにだ。その結果待ちなの一緒だろう?」


 僕達は揃って同じ大学を受験していた。

 タカシとアカリがどうかは分からないが、多大な犠牲を払った(主に睡眠)のだ。それなりに自信があった。


「しかし、発表日が誕生日なんてな。もしかすると運が味方するかも知れないぜ?」


 そう。僕の誕生日は三月一日。奇しくも大学の合格発表と同日なのだ。


「ダブルで祝って貰えるかな。ま、期待してるよ」


 僕はタカシの肩を軽く叩いた。


「はん。誕生日は黙ってもやってくるけど、受験の結果は当日にならないと分かんねーしな。まぁせいぜい慰めてやるよ」


 僕とタカシは、とある賭けをしていた。

 その結果が分かるのは三月一日。後二週間。その日、きっと全てが変わる。良きにせよ悪きにせよ、新たな日常が始まるはずだ。

 僕はアカリに目を向けた。


「まぁそんなわけだから、後は待つだけなのさ」

「あんたたちの脳天気さが欲しいわ……」


 そっとため息をつくアカリだった。


『警戒解除、警戒解除。これより当コロニーは通常運行へ移行します』


 コロニー内に警戒解除のアナウンスが流れた。

 どうやら自衛隊の防衛部隊が、敵部隊を追い払ったらしい。


「何とかなったな」


 タカシが狭いシェルターから一番に抜け出した。

 僕とアカリは最後にシェルターを出た。

 避難用通路は、人でごった返していた。


「あーあ。どうせならもう少し戦闘長引かせてくれよな。こんな時間じゃ休校にならないじゃねーか」


 タカシがどうにも物騒な台詞を呟いた。


 ──まぁそんな事言うなよ。何もなくて良かったじゃないか。


 僕がそう言おうとした瞬間。

 ぱーん。

 乾いた音がし、アカリの右手がタカシの頬を張った。


「あんた、何て事言うのよ! 今は戦争なのよ? さっきのだって何人の人が死んだか……それを休校がどうとか……どうかしてるわ……」


 アカリは隠す事なく涙を流した。

 それは無重力下で球になり、宙を漂った。

 アカリは四つ違いの兄を、この戦争で失っていた。

 タカシだってそれを知ってるはずなのに、なんであんな事を言ったのか。


 ──きっと不安だったんだ。


 ここにいれば安全だと信じて。

 そして、ここを守るために戦っている人がいる。

 それが戦闘行為である以上、帰って来ない人がいる。

 それを悲しむ人がいる。

 僕とスミカの両親だってそうだ。

 それは突然の事なのだ。

 軍属だった両親は、後方支援で救助活動に当たっていたが、流れ弾で命を落とした。遺体は見つからなかった。だからお墓はあるが、遺骨はそこに入っていない。宇宙で死ぬ、それはそういう事なのだ。

 僕は、防護特殊ガラス越しに宇宙を見た。

 そこにはきっと、戦闘の『残骸』が漂っているはずだ。

 護る側と攻める側。

 すでにそれらには敵味方の区別はない。

 終わってしまえば、ただのデブリだ。


 ──この戦争はいつ終わるんだろうか。


 周囲の喧噪をよそに、僕は独り言ちた。


「人間は、人類は、一体どこに向かっているんだろう?」


 その先にあるのは無か有か。


 ──人類は愚かだ。


 死と生を隔てるのは、特殊防護ガラス一枚。

 僕はそのまま、いつまでも虚空を見つめていた。


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