……アピラの胸元に、鋭く矢が突き刺さっていた。
アピラが俺を突き飛ばしてくれなかったら、俺の背中に突き刺さっていたであろう、矢が。
ゆっくりと、アピラが倒れていく。地面に膝をつき、横になるようにぐったりと。
胸元と口から、血が流れ……地面を、赤黒く、汚していく。
「あ、アピラ……」
アピラは、うっすらと笑っていた。俺を、不安にさせまいと……最後の瞬間まで、笑ったのだ。
すでに、目を閉じて……もう、ピクリとも動かない。いや、かろうじてだが、肩は動いている。けど、このままじゃ……
アピラ……嘘だろう、アピラ……!
「ちっ、しくじったか。だが……」
「……殺す!」
俺は、自分でも驚くくらいに、頭に血が上るのを感じていた。
振り向き、遠く離れた所から狙っている、矢を放った人物……そいつに、これまでに感じたことのないほどの、殺気を向ける。
俺は今まで、自分の意志で誰かを殺したことはない。たとえ命を狙われても、気絶させるか、手足を折るか……死なせようとは、思わなかった。
ただし、誰も殺したことがないわけでは、ない。
あくまでも自分の意志で、だ。
命を狙われ、つい正当防衛が過激になってしまったとき……命を守るのに必死で、気がついたら、殺してしまっていたことなら、ある。
そんな俺が……今、確実に、自分の意志で、誰かを殺そうと思った。
ズプッ……
「……そこか」
矢が、放たれた。狙いは、わかっていた……いや、予想が当たったと言うべきか。心臓だ。敵は、心臓を狙って矢を放ってくる……
だから、胸元の前に手を差し出し、手のひらで矢を受け止める。無論、手のひらに矢は突き刺さっているが。
痛みなど、今は関係ない。アピラの苦しみを、同じ苦しみを味わわせてやることで、頭がいっぱいだった。
矢がどこから放たれたかがわかれば、あとは……そこに向かって、突っ込むだけだ。
真正面に、敵はいる。
「うそだろっ、あいつイカれてんのか……」
「そうかもな」
「……!」
俺に狙われたことがわかったからか、男は一旦距離を取ろうとする……が、それよりも俺が追いつく方が早い。
驚く男の顔面を、わしづかみ……背後の大木へと、思い切り打ち付けた。
「っぶ……!」
それも、一度じゃ終わらない。
何度も、何度も打ち付けて……男の手が、俺の手首を弱々しく掴んだことで、ようやく手を離した。
男は、力なく倒れていた。まだ、肩は動いている……あれだけやって、まだ息があるのか。
「……アピラ!」
このまま、とどめを……そう、黒い感情に支配されそうになった。
だが、頭の中に浮かぶのは、アピラの姿。アピラを放って、俺はなにをやっているんだ。
急いで、アピラの所へと戻る。
アピラ、アピラ、アピラ……!
「アピラ!」
アピラは、先ほどと同じ場所で倒れていた。矢は、突き刺さったまま……だが、横向きに倒れていたものが、仰向けに変わっていた。
まだ息がある、つらい体勢から少しでも楽なものへと、変えたんだ。
すぐに、傷薬を取り出す。俺も手のひらに矢が突き刺さっているが、そんなのどうでもよかった。
「くそ、くそっ……」
瓶の蓋が、うまく開かない。それは手のひらの痛みのせいなのか、それとも……急ぎすぎて、焦っているからなのか。
焦れったい。こうしている間にも、アピラは……
「レイ……さん……」
「! アピラ!」
弱々しく、アピラの声が聞こえた。うっすらと目を開き、俺を見ている。
そうだ、意識を強く保て。俺が今、助けてやる。
「レイさ……だいじょ、ぶ……で……」
「あぁ、大丈夫だ! アピラのおかげだ!」
もう話さなくていい、あとは俺に任せておけ。
……安心させたいのに、言葉が出ない。
目の前で、人が死ぬ……それは、これまでにも何度も経験した。薬屋と言っても、万能ではない。
回復力の高い薬も、すでに死んでしまった人間には使えない。評判の高い俺の薬でだって、救えない命は、たくさんあった。
だからこそ、救える命は、救いたい。
「わた、し……レイさ……んと、……しあわせ、で……た……」
「おい、なにを縁起でもないことを……くそ!」
焦る手では、なにもうまくいかない。わかっている、わかっているのに、手が震える。
いっそのこと、瓶を割って中身をぶちまけてしまおうか。
いや、その前にまずは矢を抜かないと……そうだ、さっきアピラの左肩に刺さった、矢を抜いたように。
あれ、でも、これ抜いてもいいのか……? だって、心臓部分に刺さってるんだぞ……?
もし、矢を引き抜いて、血がドバっと飛び出てしまったら……
傷薬を使う前に、失血が多くなりすぎてしまったら……
「レ、イ……いま、まで…………あり、が……」
「アピラ、ダメだアピラ! 気をしっかり……お前、俺から離れないって言ったろ! なのに、俺を、置いていくのか!?」
アピラの顔から、血の気が引いていく。声もどんどん小さくなる。
早く、早く傷薬を……いや、でもこれ、もう……?
人が死ぬ、それは何度も経験してきたが、こんな気持ちになったことはない。
こんな、自分で自分がわからなくなってしまうような、気持ちには。
ようやく、瓶の蓋が開いた。その中身を、矢を抜くことも忘れ傷口にかける。
今は、応急処置でもいい。とにかく、命を繋いでくれ。
「アピラ! アピラ! 傷薬だ、これで助かるからな!」
「…………」
「……アピラ?」
アピラの返事は、ない。目から光は失われ、その目にはもうなにも映していない。
触れた頬は、まだ温かいが……反応が、ない。
「嘘だろ、おい……」
なにか、言ってくれ。でないと、俺は……!