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第43話 大切な人



 ……アピラの胸元に、鋭く矢が突き刺さっていた。

 アピラが俺を突き飛ばしてくれなかったら、俺の背中に突き刺さっていたであろう、矢が。


 ゆっくりと、アピラが倒れていく。地面に膝をつき、横になるようにぐったりと。

 胸元と口から、血が流れ……地面を、赤黒く、汚していく。


「あ、アピラ……」


 アピラは、うっすらと笑っていた。俺を、不安にさせまいと……最後の瞬間まで、笑ったのだ。

 すでに、目を閉じて……もう、ピクリとも動かない。いや、かろうじてだが、肩は動いている。けど、このままじゃ……


 アピラ……嘘だろう、アピラ……!


「ちっ、しくじったか。だが……」


「……殺す!」


 俺は、自分でも驚くくらいに、頭に血が上るのを感じていた。

 振り向き、遠く離れた所から狙っている、矢を放った人物……そいつに、これまでに感じたことのないほどの、殺気を向ける。


 俺は今まで、自分の意志で誰かを殺したことはない。たとえ命を狙われても、気絶させるか、手足を折るか……死なせようとは、思わなかった。

 ただし、誰も殺したことがないわけでは、ない。


 あくまでも自分の意志で、だ。

 命を狙われ、つい正当防衛が過激になってしまったとき……命を守るのに必死で、気がついたら、殺してしまっていたことなら、ある。


 そんな俺が……今、確実に、自分の意志で、誰かを殺そうと思った。



 ズプッ……



「……そこか」


 矢が、放たれた。狙いは、わかっていた……いや、予想が当たったと言うべきか。心臓だ。敵は、心臓を狙って矢を放ってくる……

 だから、胸元の前に手を差し出し、手のひらで矢を受け止める。無論、手のひらに矢は突き刺さっているが。


 痛みなど、今は関係ない。アピラの苦しみを、同じ苦しみを味わわせてやることで、頭がいっぱいだった。

 矢がどこから放たれたかがわかれば、あとは……そこに向かって、突っ込むだけだ。


 真正面に、敵はいる。


「うそだろっ、あいつイカれてんのか……」


「そうかもな」


「……!」


 俺に狙われたことがわかったからか、男は一旦距離を取ろうとする……が、それよりも俺が追いつく方が早い。

 驚く男の顔面を、わしづかみ……背後の大木へと、思い切り打ち付けた。


「っぶ……!」


 それも、一度じゃ終わらない。

 何度も、何度も打ち付けて……男の手が、俺の手首を弱々しく掴んだことで、ようやく手を離した。


 男は、力なく倒れていた。まだ、肩は動いている……あれだけやって、まだ息があるのか。


「……アピラ!」


 このまま、とどめを……そう、黒い感情に支配されそうになった。

 だが、頭の中に浮かぶのは、アピラの姿。アピラを放って、俺はなにをやっているんだ。


 急いで、アピラの所へと戻る。

 アピラ、アピラ、アピラ……!


「アピラ!」


 アピラは、先ほどと同じ場所で倒れていた。矢は、突き刺さったまま……だが、横向きに倒れていたものが、仰向けに変わっていた。

 まだ息がある、つらい体勢から少しでも楽なものへと、変えたんだ。


 すぐに、傷薬を取り出す。俺も手のひらに矢が突き刺さっているが、そんなのどうでもよかった。


「くそ、くそっ……」


 瓶の蓋が、うまく開かない。それは手のひらの痛みのせいなのか、それとも……急ぎすぎて、焦っているからなのか。

 焦れったい。こうしている間にも、アピラは……


「レイ……さん……」


「! アピラ!」


 弱々しく、アピラの声が聞こえた。うっすらと目を開き、俺を見ている。

 そうだ、意識を強く保て。俺が今、助けてやる。


「レイさ……だいじょ、ぶ……で……」


「あぁ、大丈夫だ! アピラのおかげだ!」


 もう話さなくていい、あとは俺に任せておけ。

 ……安心させたいのに、言葉が出ない。


 目の前で、人が死ぬ……それは、これまでにも何度も経験した。薬屋と言っても、万能ではない。

 回復力の高い薬も、すでに死んでしまった人間には使えない。評判の高い俺の薬でだって、救えない命は、たくさんあった。


 だからこそ、救える命は、救いたい。


「わた、し……レイさ……んと、……しあわせ、で……た……」


「おい、なにを縁起でもないことを……くそ!」


 焦る手では、なにもうまくいかない。わかっている、わかっているのに、手が震える。

 いっそのこと、瓶を割って中身をぶちまけてしまおうか。


 いや、その前にまずは矢を抜かないと……そうだ、さっきアピラの左肩に刺さった、矢を抜いたように。

 あれ、でも、これ抜いてもいいのか……? だって、心臓部分に刺さってるんだぞ……?


 もし、矢を引き抜いて、血がドバっと飛び出てしまったら……

 傷薬を使う前に、失血が多くなりすぎてしまったら……


「レ、イ……いま、まで…………あり、が……」


「アピラ、ダメだアピラ! 気をしっかり……お前、俺から離れないって言ったろ! なのに、俺を、置いていくのか!?」


 アピラの顔から、血の気が引いていく。声もどんどん小さくなる。

 早く、早く傷薬を……いや、でもこれ、もう……?


 人が死ぬ、それは何度も経験してきたが、こんな気持ちになったことはない。

 こんな、自分で自分がわからなくなってしまうような、気持ちには。


 ようやく、瓶の蓋が開いた。その中身を、矢を抜くことも忘れ傷口にかける。

 今は、応急処置でもいい。とにかく、命を繋いでくれ。


「アピラ! アピラ! 傷薬だ、これで助かるからな!」


「…………」


「……アピラ?」


 アピラの返事は、ない。目から光は失われ、その目にはもうなにも映していない。

 触れた頬は、まだ温かいが……反応が、ない。


「嘘だろ、おい……」


 なにか、言ってくれ。でないと、俺は……!

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