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第35話 私の好きな人【前編】



 ……それは、遠い記憶。もう自分でも思い出せないほどに、遠い記憶だ。

 なのに、不思議だ……こうして、夢の中で思い出す。夢の中で、あの頃の記憶を、思い出す。


 私は、両親に捨てられた。まだ小さかった私には、それがどういう意味かわからなかった。

 ただ、教会という場所に連れてこられた。両親と繋いでいた手は、優しくほどかれ……頭を撫でられた。

 その時、両親がどんな顔をしていたのかは、覚えていない。


 二人は、去っていった。そして、それ以降二人とも、帰ってこなかった。



『あぅ?』



 それは二歳くらいの頃。


 両親に捨てられた私に残っていたのは、『アピラ』という名前だけだった。

 だから私には、最初からお父さんもお母さんもいない。そう思って過ごしてきた。


 教会では、たくさんの大人がいた。お父さんやお母さんの代わりは、たくさんいた。

 昔のことは、苦い記憶は、忘れてしまおう。


 教会では、たくさんの子供たちがいた。私より年が上な子、年が下な子、年が同じ子。

 そこは、不思議なところだった。けれど、すぐに、好きなところになった。

 昔のことは、すっかり忘れていった。


 ……だけど、どうしてか記憶に強く残っているものがある。

 まだ、私が家にいた頃……それも、今よりもずっと小さかった頃。見つけたものが、ある。



『……?』



 それは、一冊の本だった。後で知ることになるが、それは手記だというものだったらしい。

 ボロボロの手記が、そこにはあった。


 ただ、乱暴に扱って古びてしまったわけではないようだ。

 大切に、保管されたものだった。単に、年月の経過によって劣化したものだ。


 それが証拠に、その手記は三千年も前に書かれたものだった。

 そんな大昔に書かれたもの、大切に保管してなきゃこんなちゃんと残っているはずがない。

 書いてあった日付しか、いつ書かれたものかを示すものがないけど。



『これって?』



 それは、たまたま見つけたんだ。そして、なにが書いてあるのか、お母さんに頼んで読んでもらったのだ。

 お母さんは、もう少し私が大きくなったら見せるつもりだった、と言っていたが。


 結局、捨てられて以降家に戻ることがなかった私は、その後手記を見ることはなかったけれど。

 私の親の親の、ずっと親が書いたという手記。まだ小さかったというのに、その内容はしっかりと覚えている。



『私には好きな人がいた』



 何度も、読んだ。本を開いたそこに、書かれていた一文。それは、今にして思えば恋文というものだったのだろう。

 まだ物事もはっきりしない私には、『好き』は両親に対するそれと同じだと、思っていたんだと思う。


 今でも、夢に見る。


 ただ、不思議なことに……それは遠い記憶で、夢であるはずなのに。

 まるで、今自分の手元にあって、今自分が見ているかのような、そんな風に感じるのだ。



『私には好きな人がいた』

『私には姉がいた』

『私の好きな人と姉が結婚した』

『二人とも好きだから諦めなければいけない』

『笑顔で祝福しなければいけない』



 ……そんなことが、様々に書いてあった。

 それは事務的、というか、その日にあった出来事を淡々に書き連ねているものだった。



『あの人が笑ってくれた』

『頭を撫でてくれた』

『姉と相変わらず仲が良さそうだ』



 など。

 ただ、時折嬉しそうな感情が溢れているような、文だった。


 しかし、手記の内容は、だんだんと感情的なものが多くなっていく。

 好きだった人が『スキル』を授かったこと、それは"不老"という聞いたこともないものだったこと、だんだんみんなが彼を見る目が変わってきたこと。


 感情的に、書いた人の悲しさや怒りが伝わってくるようで。



『……』



『彼は、追い詰められていた』

『自分だけは味方でいようとした』

『でも拒絶された』

『彼はここを去った』

『なんであの時、無理やりにでも彼を止めなかったのか』



 ……後悔と無念が、そこには書き連ねてあった。


 所々、文字がにじんでいた。多分、それは劣化のせいじゃなくて、書いている最中に涙を流したためだと思う。

 涙で文字が、にじんでいた。


 気付けば私も、涙を流していた。



『……っ』



 その後、彼がいなくなった後の村のことは書かれていなかった。

 彼にひどいことをしたことを後悔したのか、それとも彼が居なくなっても特に変わらなかったのか……わざわざ書いていないということは、後者ではないかと思った。


 手記は、彼がいなくなってからも続いていた。

 悲しみをかけ消すようにがむしゃらに働いたことや、お見合いをさせられたこと、結婚し子供が生まれたこと、旦那は自分を愛してくれたこと……


 好きな人と結ばれず。それどころかその人と自分の姉が一緒になり、最後にはその人が村を去って……

 手記を書いた人は、どんな想いだったのだろう。


 そして、手記の最後のあたりには、こう書いてあった。

 最後のあたり、ということは、自分の死期を悟ったのだろうか。

 忘れないためにだろう、複数のページに渡って書き連ねた言葉があった。



『もしも彼がまだ生きているのなら、あの頃と見た目は変わっていないでしょう。

 もしかしたら、自ら命を絶っているかもしれない……けれど、彼はどこかで生きているんじゃないかと、思う。

 彼は強い人ではないから、死にたくても死ねない……と、思う』


『この手記は、大切に保管します。そして、代々受け継ぎ……もしも、子孫の誰かが、彼を見つけたなら。

 彼に、寄り添ってあげてください。彼は、寂しがり屋だから』


『友達でも、ただ話しかけるだけでもいい。

 ただ、彼を一人にしないであげてください』


『彼の名前は…………』

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