……それは、遠い記憶。もう自分でも思い出せないほどに、遠い記憶だ。
なのに、不思議だ……こうして、夢の中で思い出す。夢の中で、あの頃の記憶を、思い出す。
私は、両親に捨てられた。まだ小さかった私には、それがどういう意味かわからなかった。
ただ、教会という場所に連れてこられた。両親と繋いでいた手は、優しくほどかれ……頭を撫でられた。
その時、両親がどんな顔をしていたのかは、覚えていない。
二人は、去っていった。そして、それ以降二人とも、帰ってこなかった。
『あぅ?』
それは二歳くらいの頃。
両親に捨てられた私に残っていたのは、『アピラ』という名前だけだった。
だから私には、最初からお父さんもお母さんもいない。そう思って過ごしてきた。
教会では、たくさんの大人がいた。お父さんやお母さんの代わりは、たくさんいた。
昔のことは、苦い記憶は、忘れてしまおう。
教会では、たくさんの子供たちがいた。私より年が上な子、年が下な子、年が同じ子。
そこは、不思議なところだった。けれど、すぐに、好きなところになった。
昔のことは、すっかり忘れていった。
……だけど、どうしてか記憶に強く残っているものがある。
まだ、私が家にいた頃……それも、今よりもずっと小さかった頃。見つけたものが、ある。
『……?』
それは、一冊の本だった。後で知ることになるが、それは手記だというものだったらしい。
ボロボロの手記が、そこにはあった。
ただ、乱暴に扱って古びてしまったわけではないようだ。
大切に、保管されたものだった。単に、年月の経過によって劣化したものだ。
それが証拠に、その手記は三千年も前に書かれたものだった。
そんな大昔に書かれたもの、大切に保管してなきゃこんなちゃんと残っているはずがない。
書いてあった日付しか、いつ書かれたものかを示すものがないけど。
『これって?』
それは、たまたま見つけたんだ。そして、なにが書いてあるのか、お母さんに頼んで読んでもらったのだ。
お母さんは、もう少し私が大きくなったら見せるつもりだった、と言っていたが。
結局、捨てられて以降家に戻ることがなかった私は、その後手記を見ることはなかったけれど。
私の親の親の、ずっと親が書いたという手記。まだ小さかったというのに、その内容はしっかりと覚えている。
『私には好きな人がいた』
何度も、読んだ。本を開いたそこに、書かれていた一文。それは、今にして思えば恋文というものだったのだろう。
まだ物事もはっきりしない私には、『好き』は両親に対するそれと同じだと、思っていたんだと思う。
今でも、夢に見る。
ただ、不思議なことに……それは遠い記憶で、夢であるはずなのに。
まるで、今自分の手元にあって、今自分が見ているかのような、そんな風に感じるのだ。
『私には好きな人がいた』
『私には姉がいた』
『私の好きな人と姉が結婚した』
『二人とも好きだから諦めなければいけない』
『笑顔で祝福しなければいけない』
……そんなことが、様々に書いてあった。
それは事務的、というか、その日にあった出来事を淡々に書き連ねているものだった。
『あの人が笑ってくれた』
『頭を撫でてくれた』
『姉と相変わらず仲が良さそうだ』
など。
ただ、時折嬉しそうな感情が溢れているような、文だった。
しかし、手記の内容は、だんだんと感情的なものが多くなっていく。
好きだった人が『スキル』を授かったこと、それは"不老"という聞いたこともないものだったこと、だんだんみんなが彼を見る目が変わってきたこと。
感情的に、書いた人の悲しさや怒りが伝わってくるようで。
『……』
『彼は、追い詰められていた』
『自分だけは味方でいようとした』
『でも拒絶された』
『彼はここを去った』
『なんであの時、無理やりにでも彼を止めなかったのか』
……後悔と無念が、そこには書き連ねてあった。
所々、文字がにじんでいた。多分、それは劣化のせいじゃなくて、書いている最中に涙を流したためだと思う。
涙で文字が、にじんでいた。
気付けば私も、涙を流していた。
『……っ』
その後、彼がいなくなった後の村のことは書かれていなかった。
彼にひどいことをしたことを後悔したのか、それとも彼が居なくなっても特に変わらなかったのか……わざわざ書いていないということは、後者ではないかと思った。
手記は、彼がいなくなってからも続いていた。
悲しみをかけ消すようにがむしゃらに働いたことや、お見合いをさせられたこと、結婚し子供が生まれたこと、旦那は自分を愛してくれたこと……
好きな人と結ばれず。それどころかその人と自分の姉が一緒になり、最後にはその人が村を去って……
手記を書いた人は、どんな想いだったのだろう。
そして、手記の最後のあたりには、こう書いてあった。
最後のあたり、ということは、自分の死期を悟ったのだろうか。
忘れないためにだろう、複数のページに渡って書き連ねた言葉があった。
『もしも彼がまだ生きているのなら、あの頃と見た目は変わっていないでしょう。
もしかしたら、自ら命を絶っているかもしれない……けれど、彼はどこかで生きているんじゃないかと、思う。
彼は強い人ではないから、死にたくても死ねない……と、思う』
『この手記は、大切に保管します。そして、代々受け継ぎ……もしも、子孫の誰かが、彼を見つけたなら。
彼に、寄り添ってあげてください。彼は、寂しがり屋だから』
『友達でも、ただ話しかけるだけでもいい。
ただ、彼を一人にしないであげてください』
『彼の名前は…………』