……部屋の前には、一人の女の子が立っていた。
明るさを抑えた赤い髪を持つ彼女は、俺を見上げて嬉しそうに笑っている。そう、俺を見上げている。
俺よりも背の低いその子は、見たところ七歳か八歳といったところだろうか。
魔術師、など言い慣れない言葉を使い、俺に話しかけてくる少女は、なんともかわいらしい雰囲気を感じる。
……のだが。
この子が訪ねてきたのが、このように夜遅くでなければ、わりと歓迎できただろうにな。
「……誰だ?」
自分でも驚くほど、冷たい声が出た。それは警戒からだろうか。
この子が暗殺者の可能性があるからだ。こんな無邪気な幼子に、と考えるのは早計だ。
実際に、幼い暗殺者に狙われたことだってある。
とはいえ、俺を見て、なぜだか嬉しそうな表情を浮かべる女の子に、そのような思惑があるようには思えない。
思えないが……警戒するに、越したことはない。
知らず、利用されていることだってあるのだ。
「あ、わたし、アピラっていいます! まじゅつ師さん!」
名を尋ねられた女の子は、やはり嬉しそうにニコニコしながら、自分の名前を告げる。
アピラ……やはり、聞いたことのない、名前だ。見た目も、その辺にいる女の子と変わらない。見覚えはない。
暗殺者でないなら、人攫いか? 俺を"不老の魔術師"と知って訪ねてきたんだから……だとして、こんな正面堂々来るはずもないか。
となれば、この子がなんの目的で、ここにやって来たかだ。
それにしても、見知らぬ男の部屋に一人で訪ねるとか、この子には危機感はないのか。
この世界では、国によっては人攫いなど当たり前のように行われている。この国は比較的安全であるが、それでも人攫いはないとはいえない。
「わぁー!」
こんな小さな、それも護身術も使えなさそうな女の子など、格好の獲物だ。
小さな女の子なら、売れるところには高値で売れる。買い手は、特殊な性癖を持つ変態貴族などに多い。
無論、俺は人攫いなどには加担していないし、女の子が俺の命を脅かさない限りは、手を出すつもりはない。
……さっきからキラキラした目で見られている。
「目的は、なんだ」
とりあえず、部屋の前で女の子を立たせていては目立つため、部屋の中へと招く。
警戒は続けたままだが、これで部屋の中には入れたわけだ。……これが計算なら、大したものだ。
話を聞く前に追い返してもいいが、この手の尋ね人は話を聞くまでしつこく絡んでくる。そういう経験は、何度もあった。
なので適当にあしらうに限るのだが。
まあこういう子はめったにいない。
俺の知識を狙う者や、単純に俺に好意を寄せてくれる者……そういう人たちだって、訪ねてくる時間帯は常識的なものだったが。
女の子……いやアピラは、物珍しそうに部屋をキョロキョロと見ている。別に部屋は普通だし、そんな珍しいものでもないだろうに。
「で、目的は?」
「あ、はいっ。えっと、ですね……まじゅつ師さんは、なんでも知ってるんですか!」
……すごい、要領を得ない。
つまり、俺が物知りかどうか、ってことだろうか。
「なんでもは知らない、知ってることだけだ」
「おぉお!」
今の答えのどこに感激する要素があったのかはわからないが、アピラはいっそうに目をキラキラさせていた。
こんな風に、子供から期待されるような目を向けられることも、珍しいことではない。
とはいえ、その目的と、こんな時間にここを訪れた理由とが、一致しないのも事実だ。
「えっと、アピラちゃん? こんな時間に、知らない人のところに来るのは、危ないだろ? もう帰りなさい」
「えーっ」
ともかく、このままこの子をここに置いておく理由はない。一応部屋に入れはしたが、別になにか急ぎの予定があるわけでもないらしいし。
他に話があるなら、また明るいときにでも来てもらえばいい。
そう告げると、アピラはあからさまに残念そうな顔をした。目を細め、眉を寄せ、唇を尖らせ、不服を露にしている。
そんな顔で見られても、俺は揺れんぞ。
「別に急ぎの用はないんだろ。ほら、親御さんも心配してるぞ。帰った帰った」
そうだ、そもそもこんな小さな子が一人で外出して、きっと親御が心配しているに違いない。
まだ成人してもおらず、『スキル』を授かっていない女の子だ。親御さんから愛されている小さな子供だ。
……俺は、どうだったっけな。『スキル』を授かる前は、確かに愛されていた。
しかし、この体になってしまってから、両親から向けられる目も、変わってしまったんだったかな。
「……わかりました、とりあえず顔が見れただけでも満足ですし、これで失礼します」
「!」
てっきり、ごねて帰らないと言い出すんじゃないかと思っていたが……やけに、あっさりと引き下がるんだな。
それならそれで、いいことなのだが。
アピラは、ニカッと笑顔を浮かべたまま、俺にお辞儀をした。
白い歯を露にして、花が咲いたような、いい笑顔だった。子供というのは、こうしてあるべきだというようなものだ。
……なんだか、その笑顔を見ていると、懐かしい気分になる。どうしてだろう。
「お、おい……」
「じゃあ、失礼しますねー! またお会いしましょー!」
決断するが早いか、アピラはさっさと背を向けて、扉を開けて部屋を出ていってしまう。
部屋に招いたというのに、滞在したのはせいぜい数分……しかも、結局アピラがなんの目的で俺を訪ねてきたのか、知ることができなかった。
俺が声をかけ終えるより先に、部屋から出たアピラ……その姿は、もはやなかった。
元々、話がないなら追い返すつもりではいたが……なんというか、あっけないな本当に。
……顔が見れただけでも、よしとか言ってたな。おおかた、町中で"不老の魔術師"の噂を聞いて、会いに来たんだろう。
泊まっている場所は、少し調べればわかるだろうし。
まあ、なにかあれば、また向こうから訪ねてくるだろう。こんな時間にというのは、ごめんだが。
「……寝よう」
変な子供の出現により、すっかり目が冴えてしまった。とはいえ、このまま寝ないわけにもいかない。
アピラが出ていったあと、戸締まりをもう一度確認して、ベッドに潜る。
安い宿なので、ベッドの材質がいいとは言えない。だが、安くてもここに泊まることを決めたのは俺だ。
それに、こうして寝る場所があるだけ、ありがたいというものだ。
「ふぁ、あ……」
旅をしていると、人の住んでいる国や町ならともかく……外を移動していると、野宿など当たり前のようにやる。
その際、凶暴なモンスターや、金目の物を狙う野盗に狙われることもある。
それも、鍛えているおかげで難なく撃退できるが。眠っている十五歳の子供を狙うような野盗なんて、たいした腕前ではない。
ちょっと脅かしてやれば、簡単に逃げていく。命の危険はないが、まあ面倒であることに変わりはない。
だが、こういう場所ならまず狙われない。外を一人で旅している子供ならまだしも、人の中に紛れた子供をわざわざ狙おうという奴は少ないのだ。
俺個人を狙う者なら、ともかく。
「……すぅ」
そんなことを考えていると……だんだん睡魔が襲ってきて……しばらくもしないうちに、眠ってしまった。
意識は、深い湖の中に落ちたかのように、暗く沈んでいく。
そして、朝が来るまで、俺はすやすやと眠ったのだった。
ドンドンドンッ
「おはよーございまーす! まじゅつ師さん! 起きてますかー!?」
「…………」
朝が来て、いつもの時間に起きるはずだった俺の意識は、強制的に起こされる。
耳に入ってくるのは、昨夜のような軽めのノックとは違う、重いノック。そして、俺を呼ぶ声。
なぜ俺だとわかるかって?
こんな風に舌足らずに、俺のことをまじゅつ師、と呼ぶ女の子が、昨夜やって来たからだ。
……またお会いしましょう、とは言ってたが……
「……マジか」
まさかこんな朝早くから起こされるハメになるとは、思っていなかった。