「……はぁ」
俺は、開いていたノートをそっと閉じる。
表紙には『手記』とだけ書かれた、なんの変哲もないノートだ。本の色はグレー、その辺に売っているようなノート。
内容は、以前からつけている日記のようなもの。
この世界に転生して、文字が書けるようになって。毎日つけていた日記。
これを開けば、あの頃のことを思い出す。この世界に転生して、『スキル』を授かって、旅に出て……今に至るまでを。
もちろん、一言一句正確に、出来事を記録しているわけではない。日記の範囲だって、旅に出てからのほうがずっと長い。
それでも、旅の最中のことより、転生したばかりの頃の方が……こうして読み返していても、鮮明に思い出せる。
それだけ、強烈な記憶だったということだろう。
結構覚えているようなもんだ、もう、あれから三千年以上が経つというのに。
「……三千年、か」
ポツリと、呟く。
三千年……それだけの時間があれば、人間ならば歳を取る……どころか、まず生きてはいられない。
だというのに、俺の体は、あの頃の……十五歳のままだ。
この体……"不老"という『スキル』を授かった俺は、三千年経とうとも見た目は、まったく変わらない。
自分でも、もう慣れたとはいえ……改めて考えると不気味だな、やっぱり。
現在俺は、とある国の宿屋に、部屋を借りて泊まっている。
旅をして各地を転々としている俺は、しかしなにもずっと旅をしているわけではない。腰を据え、その場所で暮らす。
訪れた場所。そこで生活するために、俺は手頃な住処を手に入れ、商売を開始する。
一つの場所に滞在する期間は、長くても五年……それが、歳を取らなくても怪しまれない、ぎりぎりの範囲だからだ。
「ふぁ、あ……」
夜遅くまで日記を見ていたためか、少し眠い。この体は歳を取らないが、普通に眠くなる。
十五歳という肉体年齢はそのままだ。元気な身体ではあるし、しようと思えば夜ふかしも可能だ。
だが、それも衛生的にはよろしくないだろう。
とはいえ、まだ寝るには少し早い時間だ。明日の準備でも、しておこうか。
「よっ、と」
……今俺は、この国で薬屋をやっている。
薬屋は、俺の原点ともいえるものだ。
薬はいい。どんな時代であっても変わらず需要はあるし、多くの従業員がいる必要もない。
回復薬から、女性のお肌をすべすべにするものまで。薬というか化粧品にも近いものも売っている。
「えーと、これをこうして……」
新しい薬のレシピを、ノートに書き上げる。手記とは別のノートだ。
レシピといっても、俺には"鑑定"の『スキル』はないため、試行錯誤した結果見つけ出した調合だ。
ラダニアと薬屋をやっていた頃のレシピは、忘れてしまった。メモしておけばよかったなと、今では思う。
「……いや、それは卑怯だよな」
だが、あの頃の調合の手順、それらは覚えている。自分で、やったことだからな。
覚えている範囲を試すくらいなら、少しくらい許してほしい。
どうやってレシピを見つけ出したのか。それこそ、時間がたくさんあったから。
時間をかけていろいろな材料で、いろいろな薬を試した。"不老"ゆえに永遠の時間がある俺は、薬以外にもいろいろな知識を得た。
この世界のこと、歴史、『スキル』にはどんなものがあるのか、今なにが流行っているのか、どんな商売を始めたら儲かるか……などだ。
「……」
そんな中で、俺はいつしか"不老の魔術師"なんて呼ばれるようになった。
商売をするにあたって、『スキルカード』の提示は必須だ。そのため、俺の『スキル』が"不老"であることは周知だ。
ほとんどの人間は、見たことのない『スキル』を不思議がる。
だが、たまにいるのだ……"不老"ということは、この世界のあらゆる知識を持っているに違いない、と考える奴が。
『スキル』である"不老"が、魔術師と表現されているのは、見た目が変わらないイコール魔術師って認識だからか。
あまり、深い意味はないんだろうな。
『いたぞ、"不老の魔術師"だ!』
『捕まえろぉ!』
長く生きていることは、それだけこの世界についていろいろな知識を持っているはずだ、と考える連中。
俺の見た目が変わらないからと腫れ物に扱われるのと、俺の知識を狙われるのとでは、どちらがいいのだろう。
俺を狙う連中の考えは、間違いではない。実際に、長い時間をかけて、この世界についてのあらゆることを調べていった。
そのため、やろうと思えば薬屋や料理屋だけではなく、別の職業だってやれる。
ギルドの受付、冒険者、アドバイザーといった、特殊なものまで。他にも、普通に生きているだけでは知ることはできないであろう知識も、得ている。
なにせ、三千年前から生きているということは、三千年に渡る生き証人といえる。
どんな本を読むより、生き証人を捕まえていろいろ聞いたほうが確実だ。
中には、俺を捕まえようと直接ではなく刺客を放ってくる連中もいた。
最初のうちは、用心棒などを雇っていたが、きりがないために鍛えた。
剣術、武術……今なら、自衛には問題ないくらいまで、鍛えることはできた。