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第9話『死神と天使』

死神グリアと亜矢が出会ったあの日より、少し前の話。

ここからは、天使・リョウの記憶を辿った物語。

グリアと出会い、それによって天界の王から過酷な支配をその身に受ける事になった、天使・リョウ。

それらはこの物語の隠された真実であり、結末へと繋がる。





天使の仕事は、人が死した後の魂を天界へと運ぶ事。

そして死神は、人の魂を喰う事によって自らを存続させている。

死した魂であれば死神が人の魂を狩る事は罪とされないし、膨大な数の人間の魂を処理するには、天界の手だけでは追いつかないのが現実。

そんな形で天界と死神とでは、お互いで調和がとれていたと言える関係。

だが、実際は天界の者と死神とでは昔から不仲で、そう言う意味では不和の関係。

リョウとグリアは、不思議と縁があった。

2人が、人間界で偶然にも顔を合わせる事が多かった。


「また、てめえか」

「また会ったね」


こういう会話もすでに馴染んでしまった。

というのも、リョウが担当している天界へ運ぶべき人間の魂を、グリアが先に狩ってしまうというパターンが偶発しているのだ。

故意的ではない。グリアは気まぐれな性格だし、面倒な天使にも関わりたくない。


「いつもお前がボクよりも先に魂を狩ってしまうと、困るんだけどなあ…。ボクにだって仕事があるんだけど」


ある日、リョウがグリアにそう呟くと、グリアはフンと、少し横に視線を向けて言い放つ。


「うるせえな。なら、奪われる前に先に奪えばいいだろうが」

「ボクは死神じゃないから、死ぬ前の魂を狩る事は出来ないよ。鎌持ってないし」


困った顔をしつつ、どこかふざけた感じで笑うリョウ。

少しずつ、グリアの目にリョウは『邪魔な奴』、から『おかしな奴』、へと変わって映るようになった。


「グリアは、天界でけっこう有名なんだよ」


今までに大量の魂を喰らい、強大な力を身に付けた死神グリア。

それは天界にとって脅威になりかねない。


「そいつは嬉しくねえな」


どうでもいいような返事を繰り返すグリアに、リョウは真剣になって言う。


「………気を付けて、グリア」

「ああ?何がだよ」

「強大な力というのは、天界が『欲しがる』か『消したがる』、その、どっちかなんだ」


どうやらリョウは、グリアに忠告をしているようだった。


「……それが、天界のやり方だから…」


それらの言葉から、リョウ自身が天界に不信感を持っているという事が分かる。


「欲しがる?消す?天界が、このオレ様を?クク……ッハハハ!!」


グリアは笑い飛ばしたが、彼もまたすぐに真剣味を帯びた顔になる。


「それは、てめえの方だろ?」

「え?」

「その忠告、そのままてめえに返すぜ」


そして、2人が人間界で会う度に、なんでもない2人の会話にも変化が表れた。


「オレ様にとって、天界のヤツは邪魔な存在でしかねえ」


ふと、リョウの前でグリアがそんな事を言った。

それは紛れもなくグリアの本心。でも、僅かに過去形。

リョウに向かって言ったのではなく、遠い場所に存在する天界そのものに向けて放った言葉。

リョウはグリアの次の言葉を待つ事なく、静かに口を開いた。


「ボクも、天界のやり方には少し疑問を感じてるんだ……」


それはリョウの口から出る言葉にしては、意外だった。

天使は、基本的に天界の王に忠実である者というのが一般的な感覚。

疑問を持つという事は、反抗や裏切りにも繋がるという事。

リョウとグリアが出会い、いつしか本音を語り合うようになった理由が分かった。

2人の最終的な意思は、同じなのだ。

それが天使と死神の間に出来た、繋がり。

だけど、それはとても大きな事で。

だからこそ、自然とリョウの心は天界よりもグリアの方に傾き始めたのだ。





だが、そんなリョウの心を、天界の王は少しも見逃さなかった。





場所は変わって、天界。

その日、リョウは天界の王に呼ばれ、王の間へと謁見する事になった。

天界の王、すなわち『天王』。

普通の階級の天使なら天王の間に入る事すら出来ないのだが、リョウは天王の直属の天使であり、さらに天王に一目置かれている特別階級の天使だった。

リョウが慎み深い態度で王の間へと入り、目の前の王座に座る天王の前で軽く頭を下げる。

天王は薄い布の幕の向こう側の王座に座っており、こちらからはシルエットのみしか見る事は出来ない。


「面を上げよ、リョウ」


透き通った、耳によく通る声だった。

男性の大人の声にしては高く、どちらかと言えば女性の声質に近い。

リョウは顔を上げ、目の前のシルエットを見る。


「お前に、新たな使命を与える。心して聞くがいい」


そうして、天界の王がリョウに告げた命令とは——。

耳を疑うようなものだった。

王の前にも関わらず、リョウはその衝撃から目の前が真白になる感覚を覚えた。


「そ、そんな…………」


リョウの口から、独り言のように言葉が小さく漏れる。

そんなリョウの動揺すら、天王にとっては筋書きの1つにしか過ぎない。

リョウがどのような反応をし、どのような返答をするかさえ、すでに承知の上での事。

少しでもリョウの心に隙間が出来れば、それでいいのだ。

リョウは再び顔を深く伏せる。


「それだけは……」


リョウは、握りしめた自分の拳に、さらに強く力をこめる。


「それだけは…………従えません………」


やっとの思いで、リョウの口から出された言葉。

天使にとってその発言は、天王に対する反逆と受け止められ、重罪に値する。

それを口にする事で自分がどういう処罰を受けるのかを、リョウは分かっている。

それを知っててなお、リョウは従えないという意志を見せた。

だが、カーテンの向こうの天王は変わらず穏やかな口調で言葉を続ける。


「優秀なる天使、リョウ。普段のお前の着実な任務の遂行、聡明な頭脳。だが、そんなお前にただ1つだけ足りない物がある」


天王は王座から静かに立った。

それを合図に、薄い幕はまるで舞台上のように両側へと幕開けし、壇上の上には天王がリョウを見下ろすようにして立っていた。


「それは、忠誠心だ」


アクアブルーの長い髪。穏やかそうだが、どこか不思議な冷たさと鋭さを交えた瞳。

まさに神々しいとも言える出で立ちの天王の姿。

だが、リョウは顔を伏せたままで、その天王の姿を目に映してはいない。

天王は静かな足取りで壇上から降り、リョウの前へと自らが歩む。


「天使、リョウ。私はお前を失いたくはない」


リョウはその時になってやっと、ハっと顔を上げる。

まさか、天王が直々に目の前に立つなんて、と驚きの目で見上げた瞬間。

差し出された天王の人さし指が、そっとリョウの額に触れた。

その感触をリョウが自らで認識する前に、


ピリッ!!


触れた指の先から一瞬、細く小さな青白い電流のようなものが発生した。


「うぁっ…!?」


放たれたその電流はリョウの額から脳へと直接伝わっていき、その衝撃に驚いたリョウは声を上げてガクっと床に膝をついた。

リョウは自分の額を片手で覆う。

額には、エメラルドグリーンの光りを放つ紋章が浮かんでいた。

円形の中に、六芒星に似た形に線を描く、その紋章。


「今、お前に呪縛を施した」


天王は冷たくリョウを見下す。だが口調は穏やかだ。


「くっ……ぁ…!」


リョウは床に片手をつく。

その呪縛は、リョウに計り知れない苦痛を与えた。

脳内を直接、何かの力で締め付けられ……全ての『自我』を封じられ、破壊されていくような衝動。


「その呪縛はお前に苦痛を与える為のものではない。では何故、そんなに苦しいか分かるか?リョウよ」


薄れ行く意識の中、リョウの聴覚には天王の言葉のみが響く。

その呪縛は、『魂の器』の儀式と同じく、禁忌とされた術の1つ。


「私への反抗心・逆らいの意志がある限り、その呪縛はお前に苦痛を伴わせ、その羽根を黒に染めていく」


そして、その純白の羽根が完全に黒に染まった時こそ、リョウは完全に天王に心を支配される。

反抗心や自我すらも失われ、ただ主の命令にのみ従い、動く下僕となる。

だが、その呪縛は何もせずとも365日の月日をかけて、少しずつリョウの羽根を黒く染め続け、心を侵食していく。

リョウは天王に従おうとも逆らおうとも、いずれは呪縛に心を飲み込まれる。


「な……ぜ……こんな……う、ぐ……ぁあっ!!」


リョウが少しでも疑問を浮かべる度に。

その呪縛は心と意識を切り刻む刃となり、脳内を破壊し、奥深くへと進行していく。

フっと、リョウの意識が途切れ、全身から力が抜け、床に倒れ伏せた。


「連れて行け」


天王のその言葉を合図に、王座の両脇で控えていた側近の天使が2人、リョウの側に寄り、彼の肩を両側から支え、王の間から退室した。



リョウはその後、天王の宮殿内にある、離宮へと幽閉された。

その離宮内は広く、真ん中に寝台のようなものが1つあるだけの部屋。

意識を失ったリョウはそこに寝かされ、ただ1人でここに閉じ込められた。

リョウの身が、その呪縛を完全に受け入れるまでの場として設けられた部屋。

離宮の周りには結界が張られ、外界との接触は全て遮断された。

出る事も逃げる事も出来ない。

いや、それ以前にそんな気力も今は奪われてしまっている。

呪縛が、激しい苦痛を伴ってリョウを蝕んでいく。

リョウはその場所で1人、尽きる事のない苦しみにもがき続けた。


ずっと、長い時間。


時間の感覚なんて、とうに失われている。

気が遠くなりそうな時間だった。

離宮の扉が開かれたのは、それから3日後だった。

結界を解いて扉を開き、中に踏み入ったのはリョウに呪縛を施した張本人。


天王だった。


3日という時間と孤独は呪縛を進行させ、今やリョウの抵抗する力を全て奪った。

苦しみの余りに流す涙すら、一滴も残されてはいない。

リョウは天王の姿を捕らえると、ゆっくりと寝台から起き上がった。

足元がふらつく。3日ぶりに身体を起こしたせいだろうか。

身体はだるかったが、いつしか抵抗する事を止めたリョウの心は、どちらかと言えばどこか晴れたような、解放された心地のよいものに感じた。

天王は、力なく焦点を自分に合わせようとするリョウの前に立つ。

リョウの眼からは、完全に反抗の意志は消えていた。

天王は、口元で小さく笑う。


「我が忠実なる天使、リョウ。今一度お前に命じる」


透き通った天王の声は、今まで外界と遮断され、苦しみに呻く自らの声しか届かなかったリョウの耳にとっては、心地良く響いた。


「死神グリアの『魂の器』となった春野亜矢の魂を手に入れよ。そして、私に差し出せ」


リョウの瞳は動かない。心には、何も響かない。

抵抗の心を奪われたリョウには、何も迷いはない。

リョウは3日ぶりに言葉を発した。


「……はい。天王…様」


その代わりに強制的に植え付けられたのは、天王への理由なき忠誠心。


「さあ、人間界に行くがよい」





天界は、優秀な天使であるリョウを欲した。

天界は、強大な力を宿した亜矢の魂を欲した。

天界は、強大な力を持つ死神グリアを———消そうと企てた。





そして、時は現在に至る。


「この前、リョウくんに教えてもらった通りにクッキー作ってみたの。今度食べてみてくれる?」


『魂の器』となった少女、亜矢はいつもリョウに笑顔を向けていた。

それは、死神の力を借りなくては生きていけないその身にも関わらず、眩しく輝いて見えた。


「…どうしたの?リョウくん、具合でも悪いの?」


亜矢がリョウの顔を覗き込む。


「あ、ううん、………大丈夫」


リョウは、今もまた、偽りの笑顔を作る。

『魂の器』が完成される日は、同時にリョウに施された呪縛が完成される日でもある。

果たして、その日に自分は自分でいられるだろうか。

以前、リョウが亜矢に向かって告げた『グリアと亜矢を必ず救う』という強い決意。

その約束は、果たせるだろうか。

リョウの純白であった天使の羽根は今、すでに2つめの羽根を侵食し終えようとしていた。

リョウの羽根の両翼は、黒という一色のみに染まっていた。

それは、リョウの心の色にも比例している。





『魂の器』が完成される日は、もうすぐ。

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