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第11話「夢見る三毛猫と二人の旋律」

 これまではミケちゃんの見せてくれた夢のおかげで自然と結衣お姉さんと話すことも決まっていたのに、この日は夢のせいでうまく話せなくなっていた。

「…えっと、あの花はなんて名前なんでしょうね」

「…多分だけど、スノードロップだと思う。花言葉は『希望』だね」

「そうですか…結衣お姉さん、やっぱり物知りですね」

「…ありがと」

 いつもの公園にはそんな花は咲いてなくて、私の言葉は夢の中で見た花畑を指し示していた。

 それは唐突な話題で他の人なら意味不明にしか感じられないだろうけど、私たちは違う。

 だって私たちは、いつも同じ夢を見ているのだから。つまり今回は初めて夢の中で私たちが対面して、それでお互いがとても美しく見えて…。

「き、きれいでしたねっ。私、あんなにきれいな光景は初めて見た気がしますっ」

「う、うん。わたしもいろんな花を見てきたつもりだけど、あんなに立派な花畑は見たことなかったかな」

 私の言葉の意味を半分くらいくみ取って、結衣お姉さんはぎこちない笑顔を浮かべながら返事をしてくれる。それに安心しつつも少しだけ残念な気持ちになって、いつも見せてくれた自然な笑顔が恋しくなった。

 私は結衣お姉さんが美しい人だって思っているし、たとえ夢の中であっても結衣お姉さんが私のことをそう思ってくれたのなら、それは嬉しいことだって言い切れる。

 …でも、あの夢で感じ取れた雰囲気は、それを素直に口にさせない。

 その雰囲気は知っているように思えるけど、これまで経験がなかったからわからないこと。

 とてもふわっとしていて、だけど強くイメージに残って、胸の奥が跳ねてしまうもの。

 それは山登りの際に乱れた心音とは違って、深呼吸をしても収まってくれない。

 だったら一切触れなければいいのに、私も結衣お姉さんも口にせずにはいられない。

 もしかしたら…私たちは、わかっているのかもしれなかった。

 ミケちゃんが出てくる夢は私たちに乗り越えるべきものを教えてくれて、そのために二人を会わせるようにしているのだと。

 だから私たちは自分たちの知らない感情を持て余しながら、それでも前に進みたくて様子見のような会話を重ねていた。

(…あれ? 知らない感情?)

 自分の考えにふと小さな疑問が浮かび、私は思いきって聞いてみた。

 これまでは思ったことをすぐに口にするような生き方じゃなかったけれど、今は違う。

 私は多分、結衣お姉さんが相手なら…一緒に乗り越えたいって思っている?

「結衣お姉さん、ぶしつけですけど…こういう気持ちというか、やりとりというか…ご存じなかったんですか?」

 目の前の相手を美しいと感じて、胸の奥を高鳴らせる。

 それは私の中にある乏しい情報を整理すると、結衣お姉さんのような美人であれば経験していてもおかしくなかった。

 結衣お姉さんならきっと同じくらい素敵な相手から声をかけられたことがあって、お互いにそう感じて。

 それは、つまり。

「…美咲、わざと聞いてる? わたし、これまでは自分の気持ちをあまり出せなかったって言ってたよね? だから、えっと…つまり、そういうのはないよ、うん」

「そ、そうですか…えっと、すみません」

 私のイメージしているものに近い経験を、結衣お姉さんはしていなかった。

 この会話は驚くほど抽象的で、高度な芸術よりもわかりにくく、もしかしたらお互いが違うものを見ている可能性だってある。

 けれども結衣お姉さんの言葉に妙な安心感を覚えて、私は自然と安堵のため息をついた。

(…私、安心してる? それって、やっぱり)

 結衣お姉さんの言葉と自分の中に生まれた感情は、ふわふわとした気持ちの正体をより鮮明にしていく。

 結衣お姉さんはお友達で、特別な人で、とても美しいって思う。

 でもそれだけじゃこの感情の説明はつかないような気がして、そこに行き着く直前のことだった。


「フミャア~ァ…」


 可愛らしい鳴き声を出すのかと思ったら、あいだにあくびを挟むことで驚くほど気の抜けた音に変わる。

 それはミケちゃんの放った旋律で、今の私たちの空気に似つかわしくない雑音とも言えた。

「…あのね、ミケのせいだからね? その、あんな夢を見せて…おかげでこっちは困ってるんだけど?」

「フミャン」

 結衣お姉さんは抗議するようにミケちゃんのふわふわなほっぺを指先で撫でて、恨みがましい声とは裏腹にその力加減は驚くほど優しいのが一目でわかる。

 もちろんミケちゃんはまったく嫌がらなくて、気の抜けた声で返事をしたらもう一度大あくびをした。

「…ぷっ。あははっ」

 そんな二人のやりとりを見ていたら私の肩からは力が抜けていって、久々に声を出して笑ってしまった。

 結衣お姉さんとミケちゃんは昔なじみっぽいから、私に比べるとやりとりに遠慮がない気がする。それは気心の知れた幼なじみのように見えてうらやましかったけど、そんな二人がいてくれることでこの瞬間も救われたのだ。

 最初から、そうだった。私はミケちゃんに夢で導かれ、結衣お姉さんに手を引かれて孤独の中から飛び出した。

 この二人がいたからこそ、どんなことでも乗り越えられる。それがわかった安心感が、私の中から笑いを引き出してくれたんだ。

「私、お二人のことが好きです。きっと私にとって特別な人たちなんだなって思えます」

 笑いの次に出てきたのは、もっと早く伝えるべきだった言葉。

 今回見せてくれた夢は抽象的すぎて、だけども美しすぎるせいで心の中が迷子になってしまったけれど、ミケちゃんが伝えようとしたことがやっとわかった気がした。

 特別であるのなら、それを素直に伝えよう。

「まだ出会ってそんなに時間も経っていないですし、夢がきっかけだなんて他の人には笑われるかもしれません。だけど私たちには特別なつながりがあって、そこに時間は関係ないんだって信じています」

「美咲…」

 私は自分の中にある芸術を表現することで、すべてを伝えられると思っていた。それは大切なことだし、きっとこれからも表現を続けていく。

 だけど、それだけじゃダメなんだ。私は音楽だけじゃなくて、言葉だって伝えられる。結衣お姉さんほどうまく紡げなくても、大切な人に気持ちを伝えたい。

 そのことに気づくまでに時間がかかってしまったけど、この瞬間に理解できたことは間違いなく幸福だった。

「私、この出会いに感謝します。そして絶対に忘れません。もしも離ればなれになるようなことがあっても、絶対に…だけど、私はずっと二人と一緒にいたいです。そのために、もっと特別を目指してくれませんか?」

 ダンスに誘うかのように、結衣お姉さんにそっと手を伸ばす。

 すると先に私の手に触れてくれたのはミケちゃんで、やっぱりその力加減は優しい。爪を出さずにゆったりと肉球をひっつけてくれて、その柔らかさに顔がほころんだ。

「…うん、もちろん。わたしも二人と一緒にいたい。美咲のおかげで表現の方法を学べた。自分を伝えることの大切さを理解できた。私も…美咲のことが特別だよ」

「ウナーン?」

「あはは、もちろんミケもだよ」

 結衣お姉さんは上から優しくかぶせるように、私の手をきゅっと握ってくれる。するとミケちゃんはのけ者にされたことを抗議するように鳴いて、それに二人で笑い返すとまた私たちの手に触れてくれた。

(…この特別がどんな形になるかはわかりません。でも、きっと大丈夫)

 三人でぬくもりを分かち合いながら、私は確信めいたものを感じる。


 特別は一定じゃない。お互いの気持ちによって形を変えて、言葉によって育てられ、そして芸術によって美しくなっていく。

 そして私たちは、そのすべてを使って特別であり続けよう。

 私がフルートを奏でて、結衣お姉さんが詩を書いて、ミケちゃんが夢の中で導いてくれる。

 言葉と芸術と夢が混ざり合って、私たちの物語は続いていく。

 続いていく物語は新しい特別になって、私たちは寄り添い合いながら生きていく。

 ありがとう、結衣お姉さん。ありがとう、ミケちゃん。


「結衣お姉さん、私…ものすごくフルートを吹きたくなりました。ちょっと吹いていいですか?」

「もちろん。わたしも詩が浮かんできたから…美咲の音を聞きながら、隣で紡いでみるとするよ」

 そんな私たちのやりとりを、ミケちゃんは目を細めて眺めていた。

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