やっぱり私にもできた!
あの夢を見た直後から私はポップスの楽譜も見るようになって、実際に演奏すると今まで吹いていた曲とは異なる曲調に戸惑いつつも、夢で見たような楽しい気持ちに包まれる。
そんな私の演奏に家族も好意的で、普段はポップスを聴かない父様も「美咲の演奏を聴いていたら少し興味が出てきた」と珍しくパソコンで動画サイトのPVをチェックしていた。
私の中の芸術が、誰かの価値観に刺激を与えた。
それはとても嬉しいことで、つい結衣お姉さんに報告してしまう。すると結衣お姉さんは「これ、妹が好きなアニメのオープニングなんだけど吹けそう?」なんてリクエストしてくれて、私はその日から喜んで練習を始めた。
そのアニメの曲は転調が激しくて最初は困惑したけど、それでも結衣お姉さんに聞かせたときのことを思えば練習中も弾んだ気持ちが維持できて、なんとか一番だけはそれらしく吹けるようになった。
そうして次に結衣お姉さんと会えた日、私はいつもの公園で曲を披露した。
「…すごいね、美咲は。もう完璧に吹けてる」
「結衣お姉さんのリクエストですから…なんちゃって。本当は難しいところはちょっとアレンジを入れて、私が吹きやすいように調整しちゃってるんです」
「ああ、たしかにそうかも。原曲に比べると緩やかで優しい感じがあったかな」
アニメの曲はテンションの乱高下が強い気がして、それをマスターするには時間が足りない。だけどアレンジをすれば習熟しやすくなるし、何より…自分の芸術を加えることで、もっと心の中の音を表現できる気がした。
そして結衣お姉さんはそんな私の調整を把握してくれていたのか、とてもわかりやすい言葉で評価してくれる。
今日も結衣お姉さんの言葉は率直でわかりやすく、そして心根の温かさを感じさせてくれる響きだった。
「美咲はいいね。表現の方法があってさ」
小さな拍手を終えた後、結衣お姉さんは少しだけうらやましそうに口にする。手はずっとミケちゃんを撫でていて、ゴロゴロと喉を鳴らす様子はとっても気持ちよさそう。
「わたしもさ、ミケになにかしてみろって夢で言われたような気がするんだけど…これまで芸術に触れてこなかったから、美咲みたいに形にはできなくて」
「…結衣お姉さんの言葉、私は好きです。だから…詩とか書いてみてはどうでしょう?」
そうか、結衣お姉さんと私はミケちゃんのおかげで同じような夢を見ているんだ。
それを思い出した瞬間、私は自分でも驚くくらいするりと提案できた。
「私、結衣お姉さんの言葉で前に進めたり、楽しい気持ちになれています。そんな結衣お姉さんが詩を紡げば、きっといい作品が生まれると思うんです」
「詩? 詩かぁ…本は好きで結構読んでるけど、文字で作品を作ったことなんてなかったな…」
私の提案に少しだけ考え込む結衣お姉さん。
口にしてから少し恥ずかしいことを言ってしまったような気分になったけど、それでもどの言葉も間違いなく本音だった。
結衣お姉さんの言葉の響きは、いつだって平坦だ。でもそれは抑揚がなく無感情なのではなくて、人を傷つけないなだらかな丘のように優しい。
そんな結衣お姉さんが作品を作れば、きっといいものが生まれる…私のこの確信には、一切の揺らぎがなかった。
「…よし、美咲にばっかり頑張らせるのは不公平だしね。ご期待に添えるかどうかわからないけど、わたしも頑張ってみるよ…美咲の芸術の刺激にしてもらうために」
「はいっ。私、詩集を読むのも結構好きなんです…結衣お姉さんの作品、お待ちしてますね」
私の言葉に「プレッシャーを感じるなぁ」なんて苦笑していた結衣お姉さんだけど、その顔にはなにかを作ると決意した人のような、私の家族が作品を生み出すときみたいな強い意志が宿っていた。