あの山は決して険しくはなかったけれど、それでもささやかな山道は私を疲れさせたらしい。
その日の夜は気を失うかのようにすぐ眠りに落ちて、さすがに今日は夢を見られないかも…なんて思っていたら、私は砂浜の上に座っていた。
さらりとした砂はほんのりと暖かく、適度な柔らかさも感じられて心地いい。目の前には青い水平線が広がっていて、もしも水着だったらそのまま飛び込んでしまったかもしれない。
だけど今の私は真っ白なワンピースを着ていて、手にはフルートを持っている。それならやるべきは泳ぐことじゃなくて、自分の中に生まれた音を世界に響かせるだけだ。
波の音をフルートが上書きした直後、ミケちゃんが私の目の前に降り立つ。
口を開いたことから鳴き声を上げたのはわかるけど、今はフルートのほうが大きな音を出すので聞き取れない。
それでもらんらんと丸い目を向けてくる様子は楽しげに見えて、私も口と手は止めずに奏で続けた。
(あら…うふふ)
この日のミケちゃんは踊るようにステップしたりゴロゴロ転がったりして、まるで私の音に合わせて踊るような仕草を見せてくれる。
現実で出会うミケちゃんはいつも眠くておとなしそうだから、こうしたリアクションを見せられるのは新鮮だった。もちろんいやなはずがなくて、私はずっと奏で続けられる。
すると、どうだろう。
ミケちゃんの動きに引っ張られるようにして私の音は弾み、優美なクラッシックから可愛らしいポップスになったように感じられた。
普段の私はやっぱりクラッシックを聴くことが多いけど、ほかの音楽も決して嫌いじゃない。それでも奏でる音の基礎に存在しているのはクラッシックで、自分の中にポップミュージックがあったことに驚いた。
これは夢だからそういう音が出せるのかもしれないけど、それでもミケちゃんがそばにいてくれたら現実でも吹けそうな予感がある。
それは自分で考えている以上に楽しいことのように思えて、またミケちゃんに大切なことを教わったのだと心が理解した。
(芸術はとても楽しいもの。それは誰かと感覚を共有できるから)
自分の中の芸術を解き放ち、それを誰かに共有してもらう。するとその誰かが反応してくれて、自分と他人の異なる価値観がいろんな世界を見せてくれる。
私が孤独感によって行き詰まりを感じていたのは、多分そう言うことだったんだ。
(ありがとう、ミケちゃん)
今もフルートは吹き続けているから、声には出せないけど。
それでも心の中で感謝を捧げたら、ミケちゃんはこっちを見て小さく口を開いてくれた。