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第6話「山の上で響くフルート」

 先週出会ったばかりの友達と、一緒に遊びに行く。

 今まで友達を作ったことはあるけれど、それでもこんなペースで…しかも二人きりで出かけるなんて、これまでの私の人生では想像もできなかった。

「今日は散歩…寄りのピクニックって感じかな? 遊歩道も整備されているし、山登りって気負う必要はないから安心してね」

「はいっ」

 あの日、遊びに行く約束をした直後。家に戻ってから結衣お姉さんとたくさんメッセージを交換して、それで『バスで行ける町にある小さな山』へ向かうことになった。

 山と聞いた私は体操服にしようかと悩んだものの、それを素直に尋ねると「極端に動きにくい服じゃない限りは大丈夫だよ。美咲はお嬢様だけどドレスはやめたほうがいいかな?」なんて言われて、ちょっとだけ怒ったふりをして「私はドレスなんて滅多に着ませんっ」と返信しておいた。

 怒ったふりでしかないように、私は早くもこうして冗談が言える関係になれたことがむしろ嬉しかったのだ。だからなのか、私は「ちゃんとおしゃれした姿を見せたい」なんて思って、手持ちの中でもとくにお気に入りの服でコーディネイトした。

 スカイブルーのミディ丈ワンピースをおそろいの色のベルトでちょっと引き締めて、ホワイトのカーディガンを羽織る。派手じゃないけど地味じゃない、スポーツ向きじゃないけど動きの邪魔をしない、そんな工夫をしてみたつもりだった。

「結衣お姉さん、そういう格好いい感じの服がお似合いですね」

 それに対して結衣お姉さんはタートルネックのグレートップスにAラインのデニムパンツと、大人っぽいシックな組み合わせだ。けれども髪にバーガンディのヘアピンをつけることで格好良さと華やかさを演出していて、センスがいい人なんだなと改めて思わされる。

「そう? 格好いいというか、目立たない感じの服が好きなんだよね。美咲は…穏やかで淡い感じのファッションだね。優しい美咲に似合ってると思う」

「や、優しいだなんてそんな…でも、ありがとうございます」

 さらり、結衣お姉さんは当然のように私の服装を評価して褒めてくれる。たしかにこうした反応が見たくておしゃれをしたのだけど、結衣お姉さんの褒め言葉は想像していたよりも自然体で、過剰さが含まれていないのに私の胸を弾ませてくれた。

 それは見方によっては素っ気ない褒め方かもしれないけど、そんな言葉を自然に伝えられる結衣お姉さんのほうが優しいと思う。でも心地よい自然な言葉を過剰に謙遜するのも違うと感じて、私はちょっと顔を熱くしながらもなんとかお礼を伝えられた。

「それじゃあ、行こうか? まずはそこの山に登って、降りたら…カフェにでも行く?」

「いいですね…こっちに来てからそんなに遠出してなかったので、今日は結衣お姉さんにお任せします」

「畏まりました、お嬢様。謹んでエスコートいたします」

「もー、私はお嬢様じゃないのに…」

 やっぱり結衣お姉さんの中だと私はお嬢様っぽく見えているのか、恭しく礼をしてそんなことを言ってくる。それに対してまたわざとらしく不満を伝えてみたら結衣お姉さんは笑っていて、結局私も笑ってしまっていた。


「ここ、町から簡単に登れるの自然が多くて、頂上は見晴らしもいいんですね…」

「でしょ? ちょっと降りた場所にはアスレチックもあるし、子連れでも気軽に来られるようになってるから誰でも登れていいんだよね」

 結衣お姉さんに誘われるように登り始めた山は、とってもいい場所だった。

 頂上までの道はしっかりと舗装されていて、なだらかな石段で登りやすい。けれど両脇には青々とした自然が広がっていて、登り続けて火照る体を木陰とそよ風が優しく冷やしてくれた。

 そして頂上は木製のベンチとテーブルがいくつも設置されていて、足下は芝生でとてもふかふかしている。ここまで人の手が入っていると山らしさは感じられない…なんてことはなくて、むしろ人と自然が調和することで理想的な自然公園になっていると思えた。

 それでいて有名な観光地というわけでもないから、人でごった返すような感じでもない。結衣お姉さんはなんとなく騒がしい場所が苦手そうだけど、私も静かな場所のほうが好きだから、ここはちょっとした遠出にはぴったりだと思えた。

「結衣お姉さん、この花はなんていうお名前ですか?」

「それはネモフィラだね。春になると絨毯みたいに広がるから、その時期になるとすごくきれいだよ」

 頂上では小さな花畑もいくつかあって、そこにはまばらに咲いている小さな花があった。それに目を奪われた私の質問にも結衣お姉さんはなめらかに答えてくれて、物知りな人なんだなと少し感動して…同時に、こうした小さな発見が嬉しかった。

 多分私は、もっと結衣お姉さんのことを知りたいって思っている。友達になったのだから自然なことかもしれないけど、それでもここまで気になった人はこれまでで初めてのように感じて、改めてどうしてここまで気にするのか自分のことなのにわからなかった。

「美咲、今日もフルートを持ってきたんだね」

「はい、この子は私の相棒ですから…でも最近はちょっと吹く時間が減ってて、もしかしたら嫌われたかもしれません」

「そうなの? 吹けなくなった理由は何?…って、軽々しく聞くことじゃなかったね。ごめん」

「…私、寂しかったのかもしれません」

 結衣お姉さんの言うとおり、もしも他の人に同じことを聞かれていた場合、私は曖昧に答えていたのだと思う。

 でも、この人が相手だと…私は聞いて欲しいと思える。

 きっとそれは、結衣お姉さんのことをもっと知りたいように…私のことも知ってもらいたいのだろう。

 そう強く思える理由は、今もはっきりとしないけど。

「新しい場所に来て心機一転するはずだったのに、実際に待っていたのは孤独でした。ううん、本当は周りになじめない私が悪いんだと思います」

 叫ぶように、だけど小さな声で。私は自分の感情を口にする。

 思えば…こんな気持ちを伝えるなんて、家族にもしていなかった。だってみんなは今の環境を喜んでいるように見えて、私だけが水を差すようなことはできなかったから。

 だから…私は、結衣お姉さんに甘えている?

「それで孤独感をフルートに押しつけるようにして、必死に吹いていました。でもそのときに出てくる音はどうしても美しいとは思えなくて、そんな自分から逃げるように散歩して…あの公園で、ミケちゃんと結衣お姉さんに出会ったんです…改めて考えると、やっぱり私はダメですね。今度はお二人に孤独を押しつけるようにして…」

「…そうかな。周りになじめないのって、そんなに悪いことかな?」

 結衣お姉さんはネモフィラから目を逸らし、今も多くの人で行き交う地上の景色を見やる。

 そこに羨望は決して含まれていなくて、だけども見下げる様子もなかった。

「美咲、わたしのことを落ち着きがあって格好いいって言ってたでしょ? でもさ、こう言われたこともあるよ…冷たくて壁があるって」

「そんなこと、ありません。結衣お姉さんはとっても優しくて暖かい人だって思います」

「ありがとう…でもね、わたしは自分の気持ちを伝えるのが苦手なんだ。そんなんだからわたしも周囲となじめているってほどじゃなくて、さっき言ったように壁があるって思われてるみたい」

「お姉さん…」

 私が素直な気持ちを伝えたら結衣お姉さんは微笑んでくれたけど、それでもその陰りを完全に消すことはできなかった。

 だけど、私は…この何でもこなせそうな気さくな人が似たような悩みを持っていたことに、どうしても喜びが消しきれなかった。

「本当なら、もっと自分の気持ちを口にしたいって感じることもある…でも、そのために周りになじもうとするのは違うって思うんだ。それでも変わる機会には恵まれなくて、休日はよく一人で過ごしていたけど…それで出会ったのが、美咲」

 ふわり、また結衣お姉さんは笑ってくれた。

 でも今度は影のある微笑みじゃなくて、とても嬉しそうで。

「ミケのことがあるってわかっているけど、それにしたっておかしいと思う。なかなか気持ちを口にできなかったわたしが、出会って間もない美咲とここまで話せるなんて…それこそミケが見せてくれる夢の中にいるみたい」

 そこまで聞かせてもらったら、私のやるべきことは一つだった。

 吹きたい。この人のために、何より自分のために。

 今度は孤独感を吐き出すためじゃなくて、お互いの孤独が伝わったことを祝福するために。

 だから私は言葉では返事をしなくて、ベンチに座ったままフルートを取り出して吹き始める。

「美咲…?」

 小さな山の頂上に、フルートの音が鳴り響く。時々歩いている人が物珍しそうに見てくるけど、それでも文句を言われることはなかった。

 その事実は些細なことかもしれないけれど、世界は思っているよりも優しいと信じられた。そうした優しさを込めるように、結衣お姉さんの孤独を慈しむように吹き続ける。

「…ありがとう。いい音だね」

 あの日出会ったときのように私の音を褒めてくれて、思わず演奏が止まりそうになる。でも、止まりたくない。

(結衣お姉さん、私も同じ気持ちです。でも、これは夢じゃありませんから)

 ミケちゃんの夢が私たちを出会わせてくれたのは、きっと間違いないこと。

 だけど夢から覚めたら現実が待っていて、そこにはとっても素敵な出会いがあるかもしれない。

 それを教えてくれた優しいあなたとあの子に感謝するため、私はただ自分の中に生まれた美しいと思える感情を奏で続けた。

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