「覚悟はいいな?」
はちきれんばかりの筋肉を紅潮させ、従者ウティリスは真っ直ぐシマノに狙いを定めた。と同時に、シマノの眼前には「八つ裂きを受け入れますか?」の選択肢ウインドウが出現する。
「ええええなんで俺ぇ!?」
理不尽すぎるウインドウを即閉じながら、無礼を働いたムルでもキャンでもなくまさかの自分に飛び火したことにシマノは焦りを覚えた。
「愚問だな。だいたい貴様のせいだろう。他に理由が必要か?」
「雑っ!!」
こんな理由でヘイトを向けられてはたまらない。度々浮上してくる「八つ裂きを受け入れますか?」のウインドウを秒で閉じながら、果たしてどうこの場を切り抜けたものかとシマノは思案する。
「オレ、ムルのこと見てくるっ!」
獣の嗅覚で危険を察知したのか、キャンが早々に場を離れていった。無礼を働いた張本人たちがいなくなったため、シマノは最早ヘイトを逸らすこともできない。
涙目で従者と対峙していると、見かねた姫様が助け船を出してくれた。
「おやめ、ウティリス。地底の民が協力しないと言うのなら、わたくしたちはその言葉を受け入れるべきですわ」
「しかし、姫様……」
「シマノ。あなたたちが追われる身になったこと、わたくしにも責任があります。ファブリカに行きたいのなら、この指輪をお使いなさい」
「これって……」
地底での姫様の言動を思い返す。確かこれ、ワープ機能付きの指輪じゃなかったか? 庶民にホイホイ渡していいとは思えない、どう見ても国宝級のアイテムだが、本当にいいのだろうか?
「ひ、姫様……!? 愚かな凡人にそのようなものをお授けになるなど……! どうか、どうかお気を確かに!」
案の定ウティリスの顔面が引き攣っている。もちろん姫様はそんなことは気にも留めていない。
「指輪をはめて、行きたい場所を思い浮かべなさい。一度訪れたことのある場所ならどこにでも行けますわ」
「ありがとうございます。でも、本当にいいんですか? こんな大事そうなもの……」
そう言いつつも、シマノはちゃっかり指輪を受け取り、既にはめていた。姫様の背後でウティリスが眉間に深く深くしわを刻んでいる。
「構わなくてよ。もちろん、ファブリカに行ってお戻りになったら、返していただきますわ」
「チッ残念(当然ですよね!)」
ウティリスが般若の面持ちでこちらを睨み殺さんとばかりに見詰めている。完全に自業自得なのだが、冷や汗が止まらないシマノであった。
「シマノ、ファブリカに行くのは私だから、その指輪は私が装備する」
なるほどユイの言う通りだ。シマノは素直にユイに指輪を譲ろうとした。
「ご安心なさって。その指輪は二人まで同時に飛べますわ」
姫様の言葉に、ここにウティリスがいるのはそういうことかとシマノは一人納得する。
「じゃあ俺とユイでファブリカに行こう」
「待ってシマノ。私には『探知』がある。私一人で行って、シマノのいるところなら何処でも戻れるようにしておくのが効率的」
「えっでも……一人で大丈夫……?」
シマノもあまりよくわかってはいないのだが、ユイにとって修理というのは手術のようなものではないのだろうか。付き添ったところで何も出来ないにしても、やはり一人で送り出すのは気が引ける。
しかも今回は王都の時と違い、すぐに駆けつけることの出来ない距離なのだ。
「しょうがないわね。あたしがついてってあげる♡」
桃色の髪をピンと尖った耳にかけ、ニニィが上目遣いでシマノに提案する。
「修理して新しく生まれ変わるユイの身体がどうなっちゃうのか……とぉっても興味あるわぁ……♡」
「うんやっぱりユイには一人で行ってもらおうかな!」
怪しくなりかけた雰囲気をバッサリ断ち切り、シマノは問答無用で指輪を外しユイに押しつけようとした。
「やぁね冗談よ♡ せっかくファブリカに行けるんだから、最新の情報も手に入れておきたいじゃない?」
それにね、とニニィはほんの少し目を伏せながら言葉を続ける。
「あたしだって、心配なのよ。ユイのこと」
「……わかった。ユイを頼むよ」
シマノは外したばかりの金色の指輪を、ニニィに託した。
「任せて♡」
ニニィは軽妙にウインクしてみせると、指輪を右手の中指にはめ、ユイと手を繋ぐ。
「じゃ、行ってきま~す!」
指輪が輝くと、ユイとニニィの姿は一瞬にして消え去った。
「本当によろしかったのですか、姫様? あの指輪は……」
「ええ、構いませんわ。それより……シマノ。わたくし、もう一度ムルとお話ししたいのだけれど……取り次いでくださる?」
急に話を振られ、シマノは心底面倒臭そうな顔をしながら姫様たちの方を向いた。
「えー……ムル、かなり怒ってましたよ? すぐには無理なんじゃないですかね……」
指輪を借りておいてこんな風に袖にするのもどうかとは思うが、もうこれ以上ウティリスを刺激して八つ裂き選択肢を表示したくないのだ。
「今は……辞めといた方が……いいと思うぜ……」
弱々しいその声に、シマノと姫様たちは思わず振り返る。キャンだ。その頭部には、シマノの拳ぐらいの大きなたんこぶが出来ていた。
「キャン!? その頭どうした!?」
「ムルが……一人にしてくれって……石飛んできた……」
姫様の背後でウティリスがなんと野蛮な……と溜息を吐いている。
一方シマノは、たぶん相当しつこく食い下がったのだろうと想像し、可哀想な獣キッズより寧ろムルの方に同情するのであった。
「ほら、キャンもこう言ってますし。辞めといたほうがいいですよ姫様」
とりあえず利用できるものは利用させてもらおう。シマノは哀れなキッズをダシにすることで姫様に対話を断念させ、結果的にムルとウティリスの接触を避けて八つ裂きを回避しようと画策した。
「いいえ、わたくしは
シマノの策は一瞬で無に帰した。駄目だ。この姫様、言い出したら聞かないタイプだ。
姫様の後ろで困ったように頭を抱える従者に、このときばかりはシマノも少し憐れみを抱いた。
シマノたちがいるこの廃村は、あちこちに瓦礫が散乱し、荒廃の限りを尽くしていた。その中にもまだギリギリ使えそうな廃屋が辛うじて二、三軒残っている。
キャンの話によれば、ムルは石をぶつけてきた後、そのうちの一軒に入り込んだようだ。たんこぶをさすりながらしょんぼりと尾を垂らすキャンをその場に残し、シマノと姫様とウティリスはムルがいるその廃屋へと向かった。
「ムルー入るぞー……って、あ゛」
開けようとした玄関扉がそのまま乾いた音とともに外れ、シマノは朽ちた扉を手にしたまま呆然と立ち尽くした。
「騒がしい。何事だ」
キャンの言葉通り、そこにはムルの姿があった。珍しくフードを外しており、深海色の双眸がじっとこちらを捉える。
薄暗い廃屋の中、崩れた屋根から差し込む僅かな日の光が、白く透き通るような髪と肌を妖しげに煌めかせている。
初めて見るその美しさに、ウティリスは思わず息を呑んだ。
一方ムルの方は姫様と従者の姿を認識すると露骨に顔をしかめた。
「……何故連れてきた」
微かに、だが明確に怒気の籠ったその声にシマノはたじろぐ。
ところが、当の姫様本人は何食わぬ顔で前に出て見せた。
「わたくしがお願いしましたの。シマノは悪くありませんわ」
少しも悪びれない姫様の様子が気に障ったのか、ムルは顔を背け、シマノたちに背を向けてしまった。
「王家の者に語ることなどない。去れ」
その言動にシマノは違和感を覚える。ムルたち地底民は地上に住む者に決して良い印象を抱いてはいない。だが、かといってここまで嫌悪するということもなかったはずだ。
特にムルは、王城や地底で姫様と過ごしている間はここまで当たりがきつくはなかった。
まさか、シマノたちが落とし穴で落下を続けている間に何かあったのだろうか?
「ムル、どうしてそこまで王家を嫌うんだ?」
外してしまった扉をその辺に放り投げ、シマノは姫様の右隣に立った。逆側では今にも地底の蛮族を八つ裂きにせんと鼻息を荒げるウティリスが、姫様に抑えつけられている。
ムルは背を向けたまま黙っている。一応屋内であるから石が飛んでくることはないだろうが、事は慎重に運ぶべきだとシマノは判断する。
「俺たちにも……言えない理由か?」
「…………王家の者のいる場では、話したくない」
どうやら罪を着せられ地底に追いやられただけではない、深い理由がありそうだ。この
シマノはこの会話イベントを深堀りしてみることにした。ついでに、地底では詳しく聞けなかった石の声についてや石の涙での出来事についてもなるべく聞いておきたい。
「姫様、ムルがこう言ってるんで……」
まずはイベントの妨げとなっている姫様とウティリスにご退場いただこう。シマノは恭しく姫様の様子を窺った。しかし残念ながら、シマノは姫様の視界の片隅にも映っていないようだ。
「石の正体に、気づきましたのね?」
「……っ!!」
姫様の言葉にムルが動揺を見せた。だがそれ以上に動揺したのがシマノだ。石の正体って、何だ? 石は石じゃないのか? そして姫様がその正体を知っている? 訳も分からず一人混乱していると、幾分落ち着きを取り戻したらしいムルが先に口を開いた。
「それを知るなら、
寧ろ先程までより態度を硬化させた様子のムルに、シマノはますます混乱した。
「ちょーーーーっと待った! あの、俺だけ、置いてけぼりなんですけど!」
このままでは今後の攻略にかかわるようなストーリーの根幹を聞き逃してしまうかもしれない。シマノは無理やり会話に割り込み、何とかここまでの流れを解説してもらおうと企んだ。
「貴様、凡人の分際で姫様の会話に割り込むとは何事だ」
「うっさい今それどころじゃないわ! ムル、姫様。地底の石って、石の声って、いったい何なんです?」
シマノは八つ裂き選択肢のウインドウを勢いよく払いのけた。その剣幕に、ウティリスが呆気にとられている。
呆気にとられたのはウティリスだけではない。姫様も、そしてムルも王族に対する拒絶を一瞬忘れ、ぽかんとした表情を浮かべた。
それから、ムルはいつになく真剣な表情でシマノを見つめる。
「よかろう。我が話す」
そう言うとムルは、身に着けていたフード付きポンチョを脱いだ。突然のことに慌てて逸らそうとしたシマノの目線が、固まる。
「これって……」
ムルの身体。その胴体の中央、ちょうど鳩尾から下腹部にかけて、巨大な鉱石が埋め込まれていた。もはや胴体のほとんどが一つの鉱石に取って代わられているといっても過言ではない。その色は、ムルの瞳と同じ深い青色をしている。
「我ら地底の民は、この鉱石を動力源とする人形だ」
人形、という言葉がシマノの脳内で反芻されていく。まさか、地底民全員、誰かに作られた存在ってことなのか。俺の似顔絵を笑った子も、ユウシェ……の長老も、全員。
「じゃあ、石の声って……」
「我らを作りし主の声だ」
シマノの脳に激震が走った。何ということだ。主が石? 石がどうやってムルたち地底民を作ったというのか。
いや、まさか。出来れば考えたくはない選択肢が脳裏に過る。主が、
「我らの罪は、主殺しの罪。石の声は、我らに裏切られし主の叫びだ」
その考えたくはなかった選択肢が当たってしまい、シマノは唇を噛んだ。薄暗い廃屋を、重苦しい空気が支配していった。